第16話 お嬢様の婚約
「うおおおおおー尊いいいいい!!!」
突然叫んだアルゥバースの頭をぺしりと筆頭執事のフィリップが叩く。
カンターレ公爵家の執務室で大きな机を挟んで腰かけていた侯爵がびくりと体を震わせた。
夜も更けた頃でカンターレの屋敷は静まり返っているが、この部屋だけはどこまでも騒がしい。
「今度はなんだ?」
「お嬢様が尊すぎて、もう爆発してしまいそうです」
「本当に病気だな…恐ろしい血があったものだ」
歓迎式典の夜のことを思い出すと、叫びたくなる。サラヴィの髪の感触やうっとりと細められた瞳や、ほのかに漂う甘い香りや、柔らかそうな白いほっぺたや。
いつまでも聞いていたくなるような可愛らしい声でのおねだりや。
「ああお嬢様、今頃はステキな夢でもご覧になられているんでしょうね。私はあなたの枕になりたい。シーツでもいい。できれば踏みつけてめちゃくちゃに汚してほしい」
「こら変態。私の娘に邪な感情を向けるんじゃない」
「お嬢様のことを考えていないと何をしでかすかわかりません。そもそも旦那様にはくれぐれも、とお願いしましたでしょうに」
ふと真面目になってバンクレイを見つめれば、彼は一瞬で表情を青くさせた。
「うわ、もうその顔をやめろっ。政務を滞らせた私を虫けらのように見る顔だ。本当にアイツそっくりだな。娘との妄想を許すからもう少し静かにして、頭の片隅でいいからどうすればいいか考えてくれ」
「かしこまりました」
バンクレイの机の上には一通の封書が置かれている。
今日の朝にはすでに届けられていた書簡だが、アルゥバースには見られないように筆頭執事が隠して公爵に渡していたらしい。
差出人はサガント王国第二王子であるエルフーン=デセル=サガントだ。
内容など開けなくてもわかっている。
サラヴィへの結婚の申し込みだ。
夜にバンクレイに呼ばれた時から嫌な予感はしていたが、名前を聞いただけで殺しに行きたくなってしまう。
「わかっているとは思うが、断るにはそれなりの理由が必要だ。国王陛下と王太子殿下にも話は通してあるが…正式にサラヴィを王太子の婚約者にすることにした」
サガント国に断れるくらいの相手となると、ガンレットしかいないのは仕方がない。
「ただし、公式に発表するのは学園の卒業式だ。だが一部には公表する。それがサラヴィの誕生会の日になると思う」
「それが最善でしょうね」
はきはきと答えた自分に、バンクレイは窺うような表情になる。
「本当にいいんだな。お前、サラヴィが誰かと結婚してもいいんだな?」
「どういうことですか。お嬢様ほどの立場であればご結婚されることは当然でしょう」
「そうだが。お前は何も気にならないのか?」
「私はお嬢様の犬ですので。愛玩動物と言ってしまうと気恥しいですが、番犬ではあるつもりです。お嬢様を主人と崇めているので、どこまでもついていきますよ」
「あああー、もうやだ。どこで育て方間違えたんだ?」
「旦那様、お心が漏れております」
「ああ、そうか、すまない。いや、だって、これどうするんだ。もう本当に無理だから。ごめんなサラヴィ!」
頭を抱えたバンクレイにフィリップが深々とため息ついたが、アルゥバースはキョトンと二人を眺めるだけだった。
何処に問題があるのかさっぱり分からない。
そもそもアルゥバースは父親には本妻がいて、母親は情婦だったので、世間一般の夫婦や結婚がよく分からない。
そんなものよりも犬でいたほうが、はるかに大好きな主人と一緒にいられると思うのだが。
「殿下と結婚しても爵位は賜るのでしょう?」
サラヴィは昔から女侯爵になることを夢見て勉強に励んでいた。だからこそ、婚約者筆頭候補と言われても受け入れようとしなかったのだ。二人も重々承知していることなので、正式に婚約するとなればバンクレイがうやむやにする筈がない。
確信を込めて見つめれば、彼は眉間の皺を深めた。
「そこをどうするかは追々詰めていくことになった。とにかく早く婚約しなければいけないからね」
「どういうことです?」
「サガント国の第二王子が、しばらくこちらに滞在するからだ」
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