第14話 サガント王国の第二王子
「いや、…アル!」
サラヴィの小さな叫びに先に身体が反応した。駆け出してすぐ、舞踏会会場のすぐ近くで二人の男女がくっつく姿が目に飛び込んできた。
会場の入り口には騎士が二人立っているが、彼らの戸惑いの表情からも手を出しかねるほどの高位貴族なのだろう。
一人はもちろん、サラヴィだ。愛らしい水色のドレスを纏った様は妖精のように可憐だ。そんな彼女に強引に抱きついている外国人である褐色の肌の茶髪の少年の腕を問答無用で引き剥がす。
ついでに自分の腕にサラヴィを収めた。
「大丈夫ですか、お嬢様」
腕の中で主人の顔を覗き込めば、涙を溜めた翠の瞳とぶつかった。一瞬にして、相手に殺意が湧く。
一介の執事では夜会会場にまで踏み込めない。その立場が辛かった。
自己嫌悪を込めて睨み付ければ、少年は金色の瞳を揺らした。アルゥバースの発する圧に本能的な怯えを感じつつも、なんとか踏みとどまっているようだ。
「と、突然なんだ。私の邪魔をして…無礼だろうっ」
「嫌がる相手に無理強いなさる方の台詞とは思えませんが」
暗に無礼なのはどちらだと告げれば、少年は胸を反らしてふんぞり返る。
「私はサガント王国の第二王子だぞ。その女には私の婚約者になる名誉を与えると言っているのに、無理強いになるわけがないだろう」
隣国からの使者は第二王子と第三王女だと聞いている。ガンレットの婚約者として14歳の第三王女が紹介されたのだ。お目付け役として二つ上の第二王子が付き添っているとの話だったがこれほどの愚か者だとは思わなかった。
「丁重にお断りさせていただきます」
「貴様には聞いていないぞ! 大体使用人が勝手にでしゃばるな。お前は下の者を御することもできないのか?」
責めるような少年の視線が腕の中の主に刺さる。
確かにアルゥバースがこれ以上の勝手をすれば咎められるのは主人であるサラヴィだ。それは望まない。
「お嬢様、顔を上げてください。私が傍についていますからね」
励ますように涙を両手でそっと拭うと、サラヴィは何度めかのまばたきをくり返し、ゆっくりとアルゥバースの腕の中から離れた。
「申し訳ございませんが、お受けすることはできません」
しっかりした声音に、アルゥバースの胸が震える。硬質だが毅然とした態度でそのまま背中を踏まれたい。一瞬でそんな夢を見てしまう。
「なぜだ!?」
「振られた理由を聞くのは野暮じゃないかな」
激昂した少年にのんびりとした声がかけられて思わずアルゥバースは舌打ちした。遅いと文句を言いたくなったからだ。
「それに人の婚約者候補を勝手に口説かないで欲しいな」
「ガンレット殿、これはどちらが先かという話ではない。欲しいものを手に入れるための試合のようなものだ。男ならば少しでも極上の女を妻にしたいだろう?」
「だとしたら、貴殿はもう負けたのだから潔く退場すべきじゃないか」
「くっ…今は失礼させてもらおう」
分が悪いと思ったのか、少年はさっさと身を翻した。会場へと戻っていく。
「ごめんね、サラヴィ。隣国の使者相手にあまり大きく出られなくて助けに来るのが遅れてしまって」
「とんでもございません、こちらこそガンレット様のお手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした。あっという間に両親とも離されてしまって外にしか逃げ場がなかったので…」
「人目につかないところに連れ込まれていたかもしれないから、できる限りは会場にいたほうがいい。今回は廚犬が駆けつけたけれど、いつもこうだとは限らないからね」
「重々気を付けます」
「今日はもう帰っても大丈夫だから。公爵には伝言しておくよ。また週明けに学園で会おう」
「はい、ではお言葉に甘えて失礼させていただきますね」
にこやかに微笑んだサラヴィはガンレットが会場の向こうに消えるまで表情を崩さなかった。だが、いなくなった途端、張り詰めていた緊張が切れたようによろめいた。
すかさずその小さな肩を支える。
「よく頑張りましたね、素晴らしかったですよ」
「アルは私を甘やかしすぎです。だけど褒めてくれるなら、頭を撫でてください」
上目遣いに振り向きながら、口を尖らせる彼女を抱き締めなかったのは本当に忍耐が必要だ。
さすが女神は、さらりと試練を与えてくる。
巧みな飴と鞭の使い方で精神が参りそうだ。主人が可愛すぎてどうにかなってしまう。
「本当に立派でした、さすがは私の自慢の主人です」
回廊に焚かれたランプの光に照らされたはちみつ色の髪を優しく撫でる。蕩けるように目を細めたサラヴィを眺めつつ、手触りのいい感触を堪能する。
「お楽しみなところ悪いんだけど、ここ往来だから。あんまり堂々と主人を可愛がるのもどうかと思うわよ。さっきから入り口を護ってる騎士様方も目のやり場に困っているようだし」
「きゃあ、すみません!」
突然、声をかけられたサラヴィが飛び上がらんばかりに驚いている。
「少しは気をきかせてよ」
「忠告してあげてるんでしょう、感謝なさい。使用人が主人に手を出すんなら、もっと秘めやかにするものよ」
「俺は犬なんだから、いいんだよ。貴重なご褒美タイムだったのに…」
「アルは犬じゃないですよ?!」
「ああ、お嬢様はつれない方だ。こんなに犬と呼んで欲しいと懇願しているのに。なんなら首輪をつけていただいても構いません。リードをつけての散歩などきっと素晴らしく……興奮しますね!!!」
「あ、アルゥバース、また発作が起きてますから落ち着いてください! こちらの方はお知り合いなのですか?」
「相変わらずの病気みたいね…血は争えないわ…」
ひきつった笑顔を浮かべつつ、サラヴィに向き合ったジルレイナは優雅に一礼する。貴族の作法がしっかりと身についているところは、彼女の努力の賜物だろう。
「初めまして。私、クリマヤ伯爵の妻のジルレイナと申します。アルの昔馴染みで姉みたいなものですわ」
「私はカンターレ公爵の娘のサラヴィと申します。あの、アルとはいつ頃に―――」
「挨拶が終わったのなら帰りますよ。殿下からの許しもいただいていますしね。では、ジル姐さん、失礼します」
ジルレイナが余計なことを話さないうちに、アルゥバースはサラヴィの小さな手をとり外へと足を向ける。
「え、え、いいのですか?」
「大丈夫です。それよりもお嬢様を早く休ませて差し上げたいので」
「ありがとうございます」
翠色の瞳を丸く見開いて、その後にゆっくり細められた。
「帰ったらさっきの続きをしてください、ね?」
主人の言葉に深い意味はない。それはさすがにわかる。単純に撫でる時間が短かったからもう少し長めにとお願いされているだけだ。
しかし。
そうは言っても、この言葉はダメだ。心臓に直接稲妻が走ったような衝撃を受けた。
彼女は自分を悶え死なせたいのだろうか。
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