第9話 執事のいつもの行動
振り返った視線の先に佇んでいたのは水色の長い髪をまっすぐに垂らした少女だった。勝気な青い瞳を僅かに細めているさまは笑顔の筈だが睨まれているようにも思える。
ガメイン侯爵令嬢レイチェル―――それが少女の名前だ。
「約束を忘れてしまったかな、もうサラビィ嬢に声をかけてしまったので帰りでいいだろうか」
ガンレットが苦笑しながら、提案するのでアルゥバースも察した。少女が約束したと言い張っているが、やんわりと断ったのだろう。だが断りの言葉は聞き入れられなかったようで、こうして声をかけてきたに違いない。
王太子は気苦労が絶えないなと僅かに同情してしまった。
「失礼ながら、お嬢様」
「従者風情が、なにかしら」
傲慢を絵にかいたような態度だが、アルゥバースの心は少しも波立たない。やはり主だけが自分に影響を与えるのだと噛み締めながら、こそりと彼女の耳にささやく。
「ここで騒げば殿下の失態を晒すことになりますので、お嬢様にとっても不本意では? 今は提案を受け入れたほうが賢明ですし、殿下も貴女の印象を良くするでしょう」
「なっ…わ、私に指図しないで!」
瞬時に赤くなった少女は、決まりが悪そうに唇を噛み締めると、何かを思いついたようにまじまじと自分の顔を見つめてきた。
「あなた少し私と来なさい。殿下、お帰りの際には必ずエスコートしていただきますからね」
優雅に一礼すると、鼻を鳴らして踵を返して歩き去る。
指名された手前、断るわけにもいかずそのまま彼女の後についていく。王太子の婚約者候補でもあるので敵情視察も兼ねている。自分はサラヴィ付きだが、しばらくはガンレットが傍にいるし彼の護衛もいるので人手は足りるだろう。
二人で連れ立っていく様を悲しげな瞳でサラヴィが見送っていることなど、アルゥバースはもちろん気が付かないのだった。
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「この者と行きますから、ついてこなくて結構よ」
「かしこまりました」
レイチェルが自分付きの侍女に声をかけて人払いを行う。
集められた中庭から横道に進めば植物園はすぐだ。手短な話があるのだろう。
「あなた、少し前に私の妹にお菓子をくれたでしょう」
彼女の妹は学園の一年生だ。タリ・ガメイン侯爵令嬢。
眼鏡をかけた小柄な少女で姉と同じ水色の髪は二つに三つ編みされている。ドジなところがあるらしく、中庭で盛大に転んだところを助け起こした。教科書などを拾って渡せば、まん丸の緑色の瞳が不意にうるんだ。
彼女は侯爵家だがその目立たない容姿から他の令嬢からはつまはじきにされていると聞いている。突然の優しさに戸惑ってしまったのだろうと察して、つい昼休みにサラヴィに渡すはずだったお菓子の包みを差し出してしまったのだ。
ちなみにお菓子の包みなどいつも2,3個用意しているので、サラヴィが食べられなかったことはない。なぜならわりと遭遇した学園生徒のトラブルに行き会っており、解決後には配ることが多いのが自分の日常となっているのだから。
「差し出がましいことをいたしまして申し訳ございません」
使用人風情が勝手なことをするのかと叱責されるのかと思い謝罪すれば、レイチェルはゆるく首を横に振る。
「いえ、そうではなくて…妹はすごく感謝していたの。あの子、あまり学園のことは話さないのだけれど、あの日だけは興奮しっぱなしで……だから、その、あなたにはお礼を、と…」
普段から人に感謝の気持ちを伝え慣れていないだろう。そっぽ向いたまま眉間に深い皺を刻んで必死に言葉を探している彼女の様子が微笑ましい。先ほどまで探ってやろうと意気込んでいたが、うっかり絆された。
「左様ですか。少しでもおなぐさめになれたようで安心いたしました」
「な、な、な…」
にっこりと微笑めば、様子を窺っていた少女の顔色がぼんっと朱に染まる。
「どうかされましたか、もしや体調でもすぐれませんか? ここは日陰の道とはいえ少し暑いかもしれませんね」
「だ、大丈夫です!」
「ですが、植物園では少し休まれた方がよろしいかと。入り口あたりにベンチがありましたのでひとまずそちらへおかけください」
「大丈夫だといっているでしょう?!」
彼女の傍付きの侍女に目配せすると心得たように近づいてきた。事情を説明し彼女を託す。
「先生には伝えておきますので。ご無理はなさらないように」
「私に命令しないでちょうだいっ」
「かしこまりました。では、これで失礼させていただきます」
アルゥバースは素直になれない少女の気が休まるように、その場を立ち去ることを優先した。先生は先頭にいたので植物園の中だ。サラヴィもすでに中に入ったことを確認している。なので、足早に植物園の中に入るのだった。
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