第8話 お嬢様は女神

「アル、こっちです!」


青い空の下、アルゥバースの唯一の主人が大きく手を振っている。はちみつ色の髪がそれに合わせて左右に揺れると光が溢れるように眩しい。

周囲には同じように制服に身を包んだ少年少女たちがいるが、アルゥバースの目は一点にしか向かないし、呼ばれる前からその姿に捕らわれていた。


「ああ、お嬢様が女神に見える…もしやここは天上の国なのか?!」

「相変わらず君の思考は病気だね」


課外授業のため、生徒は校庭に集められていて自分以外にも傍付きが主人の元へと向かっている。

横を通り過ぎつつサリムが呆れたようにため息をつく。だが、アルゥバースはサラヴィに釘付けのままだ。


「お嬢様は私をどうしたいのでしょう、すでに下僕以下の存在になり下がっているというのに、さらに私の存在を貶めたいのですね。ええ、よろしいですとも。どこまで落ちられるのか、試してみせようじゃありませんか!」

「君の主人はニコニコ笑って手を振ってるだけだからね。君を呼んだ以外は一言も話してないからね」


サリムがうんざりしたように告げるが、それも綺麗に無視するアルゥバースだ。


「どうかしましたか?」

「お嬢様があまりに美しく気高くこの世の者とは思えない存在になっておられましたので魂が抜けておりました」


駆け寄ってきたサラヴィが小首を傾げて上目遣いで見つめてくるので、思わず本音が駄々漏れた。


「え、ええと、ありがとうございます…?」

「私ごときに勿体無いお言葉にございます」

「変態を甘やかすのはよくないですよ、お嬢様。放置すればますます付け上がらせるだけですから」


サリムは矛先をサラヴィに変えて小言を繰り出す。彼女は忠告にへにょんと眉を下げた。

可愛らしい表情に内心で悶えながらもアルゥバースは胸をはる。主人の気持ちは完璧に把握している。

なぜなら、自分は優秀な執事なのだから。


「何を言うんです。寛大なお嬢様は『虫ケラ以下の存在に太陽のように平等に光を注ぐ私を崇めなさいな』との気持ちを込めておっしゃられておられるのですから、ありがたく受けとめるのが最善です」

「何も込めていないので、素直に言葉のまま受け取ってくださいぃ…」

「なるほど放置しても勝手に明後日の方向に突っ走るのか、もう本当に手に終えないね」


サリムがバカは死んでも治らないというものな、と呟いて彼の主人の元にゆったりと向かうのを二人で見送った。


「アルはお友達がたくさんいて羨ましいです」

「お友達、ですか? 私はお嬢様の傍にいられれば満足なのですが」

「え、ええ、私もアルと一緒にいられるのは嬉しいですけど…そういう話ではなくて、あれ? お友達ではないのですか。いつもアルにはいろんな人が話しかけてくるでしょう?」

「廚犬には何を言っても無駄だよ、サラヴィ」


困惑するサラヴィの横にさらりと並んだのはガンレットだ。

相変わらずのキラキラとした美しい容貌は陽光の下、さらに輝く。腹黒さなど微塵も感じさせない姿だが話す内容は辛らつだ。


「サラヴィが遠巻きにされているこの状況ですら、二人の空間ができてると喜ぶような変態だからね」

「遠巻きにされているのは殿下のせいでしょう」


王太子の婚約者候補筆頭などと噂されて、簡単に近づけるものだろうか。比べられて己の不甲斐なさを実感するだけなのだから。

そう信じているアルゥバースは、ガンレットの呆れたような視線には首を傾げるばかりである。


「本気で言ってるんだから、質が悪いな。半分以上はあなたのせいだと思うよ」


確かにサラヴィは生徒たちが集まった場所でポツンと空間をつくって待っていた。周囲の者が怯えた瞳を向けているところを見ると、今朝に控えの間で聞いた噂話がかなり広まっているのだろう。

自分のせいだと告げる王太子は、アルゥバースの所業を知っているかのようだ。

主人の悪口を加速させたいわけではないので心外だが、下手に口を開くとボロがでそうなのでそのまま閉口する。


アルゥバースが白を切るつもりなのを察したガンレットは、サラヴィへと笑顔を向けた。


「今日は二人一組のペアで離れの植物園に観察に行くらしいから一緒にいこうか」

「ありがとうございます」


さらりとサラヴィの手をとってエスコートする様も似合っている。

噂されるだけのことはある。

二人が並べば一幅の絵のように完成された美がそこにあった。つきりとアルゥバースの胃が痛む。悪いものでも食べたのかと首をかしげても、心当たりはない。


「殿下、本日は私をエスコートしていただけるお約束では?」


そんな時に、静かだけれど鋭い少女の声が、突然割り込んできたのだった。



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