第6話 カンターレ公爵の不満(バンクレイ視点)
「あの馬鹿犬が、またやりやがった」
カンターレ公爵家の王都にある屋敷に日付の変わる頃に帰るや否や、玄関で当主のバンクレイ=カンターレ公爵は出迎えた筆頭執事に悪態をついた。
ここ数年、とくに訳アリの赤毛の子供を迎え入れてからはよく見られる光景に、筆頭執事のフィリップ=バートルは無表情を崩すことなく冷静に告げてくる。
「旦那様、心の声が漏れております」
「ああ、すまない。お前の胸に収めておいて欲しい。はあ、いやでも今日は見逃してくれ。人を誑し込んで破滅させるのは悪魔の所業だろ?」
「今回の一件について退学は本人の自由にさせました、との報告は受けておりますが?」
以前、アルゥバースに想いを寄せていた学園生徒が嫉妬からサラヴィに危害を加えたことがある。一人や二人では収まらなかったが首謀者を瞬時に突き止め、立て続けに退学に追い込んだ彼に、バンクレイは滾々と生徒を退学に追い込むのはやりすぎだと諭した。そのため、彼なりに考えた結果だろう。
「侯爵当人が亡くなったんだ! 一家の大黒柱を突然失って学園に通い続けられるわけないだろう。あいつ絶対にわざとだな」
「今度は何を?」
「ナグレル侯爵が昨晩、お気に入りの娼婦で腹上死だと。侯爵の娘の名前を昨日聞いたと思ったら、今日にはその話題で御前会議は持ち切りだった。ハイエナどもが利権に群がって大荒れの会議だ」
ナグレル侯爵は悪徳高利貸しで有名だった。方々から恨みも買っており、亡くなったことを喜ばれたどころか狂喜されたほどだ。領地はまだ18歳の長男が継ぐが、すぐによその貴族に取り込まれるだろう。
線の細い弱々しい印象で、まだまだ子供のように頼りなく見えた。そんな彼にすり寄ろうと何人かの貴族が声をかけてはいたが、借金を踏み倒そうとしているのは明白だった。
胸糞悪い光景を思いだし、思わず顔を顰める。
それを作り出したのが娘の執事とはなんとも頭が痛い。
「そのうえナグレル侯爵が通ってたのはあいつの古巣の高級娼館だ」
「まあ、関係ないとは言えませんね」
「完全に黒だ。で、張本人はどこにいる?」
「お嬢様がおやすみになられたのを見届けて、外に出ております。どうやら、王太子関係で狙われていると考えているようで…」
「なんであいつはそう自覚がないんだ?!」
「地味で平凡な一介の執事に懸想する令嬢などいないと考えているからでしょうね」
「地味で平凡な一介の執事が、老若男女問わず誑し込んで破滅に追い込むわけがないだろうが! これで何人目だと思ってるんだ」
「残念ながら、その自覚はまったくありませんから」
バンクレイは盛大なため息を、心の底のさらに底から吐き出した。
アルゥバースは悪魔だ、とバンクレイは考える。そもそも最初から、自分の娘が彼に一目ぼれした時から怪しいとは思っていたのだ。あいつが微笑むだけで、なぜか瞬時に女は落ちる。娘だけでなく、妻もすっかりあいつに骨抜きにされている。異性に限らず長年仕えてくれている侍女頭も侍女もメイドたちも、出入りの商人も料理人も庭師も彼のトリコと言っても過言ではない。
屋敷だけでは飽き足らず、所用で外に出かければすぐに引き抜きの話が舞い込む。従者や見習い執事など仕事関係の引き抜きならまだマシだ。時には養子縁組や愛人契約など、彼が10歳になる頃には相手の正気を疑うような話が次々に降って湧き、対応に苦労した。現在も続いている頭痛の種でもある。
地毛を染めた焦げ茶色の髪は確かに地味かもしれない。親馬鹿と言われようとも娘は文句なしに可愛い。この世のものとも思えない美しさがある。そんなサラヴィの後ろに控える執事など確かに指摘されなければ気付かないだろう。だが珍しい菫色の瞳は涼やかで、よくよく見れば存外彼が整った容姿をしていることはすぐにわかる。
長身の体にはしっかりと筋肉がついて引き締まっており、きびきび歩く姿にはため息をこぼすメイドが後を立たない。
ただ彼の審美眼が厳しいため、自己評価が限りなく低いだけなのだ。
彼の血の繋がった赤毛の父親と同じように。
「大体、童貞のくせに何であんなに色気があるんだ? 女の扱いも手慣れてるしな」
「8歳まで高級娼館の娼婦にチヤホヤ可愛がられていたからでは?」
彼の母親は王侯貴族御用達の高級娼館の中でも最高峰と名高い売れっ子の娼婦だった。その母を筆頭に、精錬された手練手管の年上女性に囲まれて可愛がられて育てばあのような悪魔が出来上がるというわけだ。
「さっさとあの悪魔を呼び戻せ」
「もうすぐ戻ってきますよ。夜遊びは禁止していますから」
にこやかに頬笑む老執事に、お前もか!とつい怒鳴りたくなる。無表情が標準装備のはずでは?と問いただしたい。
フィリップは父親の代から仕えてくれている執事だ。その頃から変わらない白に近い銀髪を綺麗に撫で付けた髪に、張りのある肌、ピンと伸びた背筋が、年齢を感じさせない。いくつになったんだとたまに尋ねるが明確な回答を得られないまま今日にいたる。
独身の厳格な筆頭執事だが、彼の養い親になった途端に孫を可愛がる好々爺に豹変するのだから、彼の人タラシの能力は凄まじいものがある。
「あいつが戻ったら私の部屋へ来るように伝えてくれ」
「かしこまりました」
綺麗にお辞儀したフィリップの整った頭を見ながら、バンクレイはお前がもっとしっかり教育してくれればとすがり付きたい衝動を必死で抑えるのだった。
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