第5話 執事の望み

生前の母はよく言ったものだった。


『男なんて所詮、犬なのよ。多少芸ができてしっぽ振ってすり寄ってくるだけでいいの。それが可愛いんだから』


犬になれば、きっと彼女も可愛がってくれるに違いない、とアルゥバースは考えた。だが、彼の発言にその場は静まり返った。


「では君は、公爵家の養子に興味はない、と?」

「ああ。俺はお嬢様の犬だから!」

「ああー今、はっきりと血縁を感じたな…あのバカも同じ顔して同じようなこと言うんだ…まったく、人の上に立つ者が虐げられたいだなんて」

「旦那様、心の声が漏れております」

「ああ、すまない。お前の胸に収めておいてくれ。はあ、では君は今日からアルゥバース=バートルだ。彼が養い親になるフィリップ=バートル。我が公爵家が誇る筆頭執事だ。君も彼のもとで学んで執事になりなさい」

「シツジ?」

「主人の世話をしてくれたり、主人に代わって家を切り盛りしてくれる。君に分かりやすくいえば犬だよ」

「犬なのか!」

「成果が見えれば、娘付きの執事にしてあげよう」

「ああ、わかった。よろしくな、オッサン!」


にこりと笑えば、フィリップと呼ばれた男は無表情で見下ろしてくる。なぜかぞくりと背筋が冷えた気がした。


それから、もう死んだほうがましだと思えるような暗黒の日々が始まったのは言うまでもない。



#####



「お茶が入りましたよ、お嬢様」


優雅にカップをテーブルに置くと、本を読んでいたサラヴィが顔を上げた。


「ありがとうございます、アル」


にこりと花がほころぶように笑う少女の傍で囲って守っていきたいと思う。同時に、冷たい声でこの駄犬が、と罵っても欲しい。

そんな日がきたら、自分は興奮で狂ってしまうかもしれないが。


「本日はカナデン産のラーグ茶の初摘みものです。こちらはアナログ鶏のカナッペになります」


内心の葛藤などおくびにも出さずに説明すると、サラヴィはふっと眉根を寄せた。


「あんまり困らせてはダメですからね」

「なんのことでしょうか」

「今年のカナデン産のラーグ茶はほとんどが豪雨で流れてしまったと聞きました。初摘みなんて市場には流通していないでしょう? またメーラルを困らせたのかと思ったのですけど」


メーラルは厨房の筆頭料理人で、様々な買い付けを自分で市場を探し回って行っている。彼にお嬢様が飲みたいと言っていたと一言告げるだけでどんなものでもたちどころに仕入れてくれる。

無理難題を押してつけているつもりはないが、彼が無理だと言わないのは確かだ。


「強いているつもりはありませんが、彼もお嬢様の喜ぶ顔が見たかったのでしょう。一番好きなものですから」

「…言ってませんよ?」

「おっしゃらなくても分かります。お菓子はメーラルの焼くスフレとクッキー、料理はトマトシチューでしょう? パンなら塩パンで、バターは多めがお好みです。それから―――」

「もう十分です! もう、アルには何でも分かってしまうのが悔しいです」


やや頬を赤らめて口を尖らせたサラヴィに、心の内で喝采を送りながら、アルゥバースは表情筋を引き締めた。平凡顔がヤニ下がったところで醜悪なだけだと戒める。


「主の好みに沿うのが私達の使命ですから。日々お嬢様が快適にお過ごしいただけるように全力を尽くす次第です。もちろん、ご要望にもすぐにお応えいたしますよ。ストレス解消のために鞭に打たれることすら吝かではありませんとも。それとも縄にいたしますか。上級編ですね! いつでも心の準備は整っていますから!」

「ええと、アル。昨日いただいた招待状への返事を書いておいたから、明日にでも送ってください」

「かしこまりました。ですが、もうお書きになられたのですか? それほど急がれると向こうもますます調子にのりますよ」

「アルは時々、不敬になりますね。特に王族の方に対しては」


首を傾げたサラヴィに内情を語る訳にもいかず、アルゥバースは曖昧に微笑んだ。


「そうだわ、もうすぐアルの誕生日ですね。 今年は何がいいのですか」

「では眼鏡をください」

「今年も眼鏡ですか?」


王城に行くときだけ掛ける眼鏡は、毎年サラヴィが誕生日プレゼントとしてアルゥバースに送ってくれるものだ。

度の入っていないガラス入りの眼鏡は、あまり高価なものではなく、サラヴィの小遣いからでも十分に買える。

デザインに凝っているので何個あっても重宝する。


親の教育方針で学生に見合った金額しか小遣いのない彼女のためでもあるし、サラヴィから貰える物であればなんでも身につけたいアルゥバースの望みでもある。


「大切なお守りですから、たくさんあっても困りません」

「お守りですか?」

「ええ。とても感謝しておりますとも」


初めてサラヴィが眼鏡をプレゼントしてくれた10年前から、アルゥバースにとっての心の拠り所となっている。

彼女はもう覚えていないだろうけれど、自分が昨日のことのように鮮明に覚えているので十分だ。


「今年も楽しみにしていますから」

「わかりました、今年もアルに似合うものを送りますね」

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