第4話 犬になりたい
アルゥバースがサラヴィに会ったのは、彼女が3歳の時だった。つまり、彼が8歳の時だ。
王都のいわゆる下町で母子で慎ましく暮らしていたアルゥバースは、7歳の年に母を事故で亡くした。自分と同じく平凡顔でヘタレでダメな父の援助はもちろん断り、紆余曲折の末なんてこともなく、わりとあっさりカンターレ公爵家に引き取られた。
そこで、運命にあったのだ。
公爵家で紹介されたとき、彼女は母親のスカートの後ろに隠れていた。人見知りで引っ込み思案な少女が、緊張した面持ちでアルゥバースをそろっと見つめている。その姿に、魂を奪われた気がした。
母も美しい人だったが、彼女はゆうに凌ぐ。これほど愛らしく美しい少女が存在すること自体、信じられなかった。
はちみつ色の艶めく髪は長くまっすぐで、翠色の瞳は太陽の光を受けてきらきらと輝く。砂糖菓子のように柔らかそうな肌に、傍にいるだけでふんわりと甘い花の香りがした。
水色のドレスをまとった少女は母に促され、たどたどしく挨拶を口にした。
「サラヴィ、です。お見知りクダサイ」
「ああ、ヨロシク」
小さな体の前に膝まづいて、翠の瞳を下から覗き込む。
ガラス玉のように澄み切った色に、にこりと微笑むと、ぼんっと音を立てて彼女の顔が赤くなった。
かと思えばそのまま卒倒したのだ。
「サラヴィ?!」
「あなた大丈夫?」
公爵夫妻が揃って娘に駆け寄った。すぐに気がついたサラヴィが二人に囲まれてあわあわと何かをつぶやいているが、アルゥバースは娘が驚くくらいに何か作法を間違えたのかと周囲を見回した。
夫妻の横に控えていた長身の男がすかさず口を開く。
「ひとまずお嬢様をお部屋へ案内なさってはいかがでしょう、旦那様」
「そうだな。ベルーラ、サラヴィを部屋へと連れて行ってくれ。私はまだ話があるから」
「わかりましたわ。さあ、サラヴィお部屋へ行きましょう」
公爵夫人に促されて、コクコクと頷きながら彼女は部屋を出ていった。彼女がいなくなっただけで、部屋が暗くなったように感じる。
だが、まだ彼女の甘い残り香が漂っているだけで頭の中はふわふわしていた。
「いや、すまなかったね。娘は極度の人見知りということもないんだが…まさかこんなことになるとはな。とにかく、今後の君の話だが」
身の振り方をどうするのか、公爵家に着いてすぐさま問われた。下町訛りの上に礼儀も知らない子供に対する態度ではない。
相手はお貴族様にも関わらず。嫌でも自分の立場を実感させられる。
だからこそ時間が欲しかった。最善でなくとも、母のように最悪の結末にならないように注意しなければならない。もう守ってくれる優しい手はないのだから。
考えさせて欲しいと言えば、では先に家族を紹介しようと夫人と娘が呼ばれたのだ。
だが、アルゥバースの返事などすでに決まっている。先ほどまでの重々しい思考など瞬時に彼方へと吹っ飛んでいる。
「答えは決まってる」
「ほう、では聞かせてもらおうか」
「オレをお嬢様の犬にしてくれ!」
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