第8話 サリーの過去③
辺りは相変わらずの重苦しい空気に包まれ、少女の荒い息づかいと鼻をすする音だけがこだましていた。
少女は赤く充血した目元を袖で乱暴に拭い、力強く眼前の老神父を睨みつけている。
そんな少女の視線など、まるで他人事のように笑顔を向ける神父オルダー。
この2人は今、歪な空気感の中にいる。
「サリー、君は不幸なのかい?」
何を言ってるんだ? そんなもの今のサリーを見たら明白だろう。彼女が経験したことはとてもではないが5歳の少女が耐えきれるものではない。
むしろ、よく今まで沈黙を貫いたものだと感心してしまうほどだ。
「じゃあ! ……今の私は幸せそうに見えるの?」
「見えないさ」
「⁈ ……っ! うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
すっかり瞼の腫れた目を大きく見開き、手に持つ刃をオルダーに向け、サリーは自分の中の最大限の力と速度をもってオルダーに襲いかかる。
追い込みすぎたんだ。いくら神父様の言葉とはいえ、今のサリーの状態を考えたらもう少し言葉を選ぶべきだったんだ。
サリーを止めようと間に割って入ろうとした僕をオルダーは手を突き出して制止する。
正直、この時は何を考えているのか分からなかった。でも、不思議と安心できたんだ。神父オルダーが、いつもの笑顔だったから。
太陽の光を浴びて鈍い銀色に輝くナイフがオルダーの
「サリー、幸せとは何だと思う?」
その問いと同時にサリーの渾身の突貫は、オルダーの右手の人差し指と中指によって呆気なく止められた。
指で挟んだナイフをオルダーはゆっくりとサリーから取り上げる。
「私が思うに幸せとは、命そのものだと思うんだ。いや、正確には幸せになるための根幹の部分とでも言うべきかな」
顎に手をあてがい、先ほどの問いを自分で答え始めるオルダー。
「確かに、今の君はけっして幸せではない。だが、不幸でもないのではないかな?」
その場の誰1人として動けない。いや、動こうとしなかった。僕もエルナも、そしてサリーも。
オルダーの言葉にただ耳を貸し、いつしか聞き入り、オルダーの次の言葉を待っていた。
困惑と興味を、曖昧なバランスで保ちながら。
「いいかいサリー、君は本当の不幸になる前に助けられたんだよ」
「私が助けられた? あなた達に? ふざけないでよ!」
「違う。僕たちが君を保護する前に君はすでに助けられていたんだ」
「……いったい、……いったい誰に助けられたって言うのよ! 誰も助けてくれなかったからお母さんは死んだんじゃない! 調子の良いことを言わないで!」
僕も同じ意見だった。今の言葉の通り、もっと早くに助けられていればサリーはこんなにも傷つかず、自分を守ってくれた母を失うことはなかった。
……ん? 守ってくれた? もしかして、オルダーが言っているのは
「君を助けてくれたのは、君のお母さんだ」
僕が思い至ったと同時にオルダーが口を開く。
「何……言ってるの? お母さんは助けてもらえなかったから殺されたのよ?」
それは半分正解で、半分は不正解だ。
結果で言えばサリーのお母さんは殺された。しかし、言ってしまえばサリーのお母さんも助かる方法は2つあった。
1つは黙ってサリーを父親に差し出す。
2つめはサリーと共に教会に逃げ込むという方法が。
だが、どちらも選ばず殺される事を選んだ。サリーの為になると信じて。
仮に黙ってサリーを差し出してしまえば待っているのは圧倒的な暴力の嵐だろう。
そして、教会に逃げ込んでしまえば足がつく。つまり、居場所が簡単にバレてしまう。そうすれば教会は悪魔を匿ったという事で誹謗中傷され、あげくサリーは晒し者となるだろう。
これらを考えた結果、例え1人でも父親から逃げ続ける事でサリーの居場所の撹乱をした。
教会が悪魔を匿うなど、当時では考えられなかった事であるが故に父親の選択肢から完全に教会を消したんだ。
「君のお母さんはね、君を守ると決めたその時から命を捨てる覚悟だったんだよ」
────強い。
魔力や武力があるわけではない。絶対に勝てない事は分かっていたはずなのに、命を賭したのは護るべき者の為。
サリーのお母さんはきっと、心がとても強い人だったんだ。
「人は死んでしまえばそれ以上の人生を歩めない。確かに不幸になる事はないが、それと同時に幸福を得ることもできなくなってしまうんだ。君のお母さんはそれを認めたくなかった、君にこれからはたくさん幸せになって欲しいと願った。故に君1人でも救おうと決めたんだ。──サリー、君は最後までお母さんに愛されていたんだね」
サリーの瞳から大粒の涙がこぼれた。怒りではなく、喜びと悲しみが混在した……切ない涙が。
「サリー、これからは幸せになろう。我々と共に」
「うっ、……ひっぐ、……うん、私────幸せになりだい!」
「よく言ったわサリー! その言葉を待っていたのよ! さぁこっちにいらっしゃい!」
全快したのか、せっかくの感動の場面を似つかわしくないテンションでぶち壊していくシスターアルテナ。
サリーが潰れるくらい強く抱きしめ、はじける笑顔を向けている。いつもならシスターらしくないと注意するとこでしたが、今はこれでいいと心の底から思ったのです。
「すっかり昔の事を思い出してしまいましたね」
「そうねぇ、なんだかとても懐かしいはねぇ」
2人で顔を見合わせて笑い合う僕とシスターエルナ。
サリーのお母さんは見てくれているでしょうか。あなたの娘さんは今、とても幸せに暮らしているという事を。
「ただいま帰りましたー!」
帰ってきましたね。僕とシスターエルナの大切な家族が。
「「おかえりなさい!」」
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