第30話 夕子 (※過激描写あり)


 *


 荒廃した京のなかでは、なかなか裕福な家の生まれだったことは覚えている。


 優しい両親がいて、贅沢さえしなければ生きていける富があり、家の周りには優しい友達もいた。


 夕立———かつて夕子は幸福な娘だった。


 よく笑い、よく遊び、幸福なまま大人になるのだと確信したまま育った。ゆえに、危機感がなかった。平穏な生活に甘んじていたからこそ、夕子は刺激に弱い娘である。


 たまたますれ違った、流れ者の侍に目を奪われた。


『ほしいか?』


 春の盛るころの、満開の桜の下———まさしく少女の夢見る舞台で、すれ違った侍は夕子に声をかけてくれた。荒々しい風体でありながら、顔かたちは整った青年だった。


 その侍が、高くそびえる桜から枝を折り取って、美しい花弁を夕子の眼前にちらつかせた。


『ちょうど非番なのさ。よければ、花見の相手でもどうかな』


 自分の前に膝を折り、下から優しく枝を差し出す姿は、実に紳士的だった。その侍の姿は、この世の修羅を知らぬ少女を騙すには十分すぎる餌になる。


 夕子は、


『もらえません……』


 自分好みの男前と、絵巻のような刺激的な出会い方に、たじろいだ。


『お父さんから、ひとりで知らない人にはついていったらいけないって……』


 父の言いつけを護りながらも、頬の熱を隠し切れない少女の純朴さに、侍の炯眼が光った。


『なら、夜にでも出かけてみようか。今宵は月が明るい』


『でも、夜に出ていったら怒られてしまいます』


『こっそりと出てくればいい』


『でも……』


 夕子の躊躇いのなかには、欲が芽生えている。言いつけは守りたいが、この侍と夜歩きがしたいと、心では強く思っている。侍が、その美しい表皮の下に、残忍な心を隠していると知らずに。


『———ならば、俺が迎えに行こうか?』


 甘い言葉で夕子を惑わした。


『家の鍵だけを開けておいてくれればいい。俺がこっそりと連れ出してやろう。……なに、朝までに帰ればよいさ』


 少女の純朴をくすぐる巧妙な虚言に、夕子は騙された。


 家の場所を教えて、鍵を開けてしまった。夕子はまだ経験もしたことのない夜遊びに心を躍らせながら、のうのうと待っていたのだ。


『さあ、行こうか』


 迎えに来た侍に手を引かれる瞬間さえ、その甘い感覚に酔っていた。きっと、素敵なことが起こると期待していたのだ。侍に連れ出された先が桜の木の下ではなく、京から遠く離れた破れ屋の中に来るまでは。


 そうして、破れ屋のなかでいたぶられた。


 泣き叫ぶこえに構わず、襤褸の土間に肌を擦りむいてなお、侍は気のゆくまで嬲り続けた。


 必死に両親を呼び、友達に助けを乞うても、その叫びは京外れの荒野にむなしく響くばかりだった。やがて、なにもかも考えつけなくなり、力尽きると、侍は夕子をさらに遠い場所へと攫っていった。


 それは、思い出しただけでも、全身の毛がよだつ日々だ。


 毎日のように辱めを受け、家に帰してと乞えば殴られた。誰にも引っ張られたことのない髪の毛を掴まれ、手綱のように扱われて、髪は常にほどけていた。


 髪を結う必要もない。友達とおそろいで使っていた、お気に入りの簪はとうに壊された。粉々にされた簪をかき集めて、涙する夕子の姿を、侍は面白そうに眺めていた。


 侍は特定の国には仕えず、戦の起こる地に赴いては、その日の賃金で戦う流れ者だ。同じように血の気の多い仲間がいて、戦のたびに住処を変えては、殺し合いの興奮が冷めぬまま帰ってくる。


 夕子は戦から帰ってきたときの侍が、なにより怖かった。人を殺したばかりの侍は、残虐な行為に面白みを見出すからだ。


 侍の所業は徐々に残酷さを増してゆき、次第に、夕子を襲う人数が増えた。かわるがわる犯されるその姿を、侍は絵に描きうつしていた。


『俺の元から逃げた時は、京じゅうにこの絵をまいてやる』


 生々しい裸体、抱かれるさまを描いた絵を、まざまざと見せつけながら言った。


『この絵を見てお前の家族は、友は、どう思うだろうな。一目でお前だと分かって、さぞや軽蔑するだろうな』


 そう脅した。


『男が大好きなお前のことを』


 侍が夕子にささやきかけるのを見て、ほかの仲間も愉快に笑っていた。


 こんな不細工が、男に囲まれてて羨ましいな。


 嫁にはいらないが吐き出すにはちょうどいい。


 下卑た笑声とともにこぼれる悪口が、少女の心臓を八つ裂きにした。


 もう家には帰れない。友達と遊ぶこともできない。


 憧れの男性と恋に落ちることもできない。こんな汚れた体では。


 それが分かって、夕子はとうとう逃げることができなくなった。




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