第28話 慰む


 *


 結局、その日は道を引き返し、峠のふもとにある町で一晩を過ごした。適当な薬師に弾丸を引き抜いてもらったが、すね毛でも抜くような杜撰な処置にはたまらず悲鳴が上がった。


 凪の体がようやく静かに横たわったのは、痛みが引いてきたその日の晩のことである。


「お夕さん、ありがとう」


 薬師の家の一間を貸してもらい、白湯を一口飲んだところで、凪が弱弱しい第一声を発した。


「私、なにかしました?」


「あの屋敷で、怒ってくれたろ」


「私が苛ついたので怒っただけです。だって、むかつくじゃないですか。自分の子供がそんなに大事なら、人に預けるんじゃなく、自分で守っていればよろしい」


「でも、救われた。あの人は深く傷ついたかもしれないけど、俺はあれ以上悲しまずに済んだ」


 藁の上に敷いた布へ横たわりながら、凪は静々と口にする。


 力なく言葉をつくさまを、夕立は厳めしい顔で眺めていた。


「どうして、人の子供なんて預かっていたんです?自分の兄弟でもないのに」


「———そうしなきゃ、みんな生きていけなかったからだよ」


 凪は天井を仰いだまま打ち明けた。


「大阪の貧困街、見たことある?夜鷹や物乞い、孤児なんかがそこに住みついててさ、皆その日暮らしをしていたんだ。俺はいちばん働けたから、稼げないチビたちの親代わりだった」


「別に、自分のためにお金を使えばよかったでしょう。ひとり分の稼ぎで皆を食べさせていたら、貧しいのは当然です」


「そう思うよな。でも、俺も母親が死んだとき、周りの人にご飯を分けてもらって育ったから、お互い様なんだよ。チビたちも、働けるようになったら楽をさせてやるって、俺によく言ってくれた」


「……その”チビたち”のなかに、あの女の子供も」



「うん」


 凪は緊縛の解かれた髪に触れてみた。自分の髪の毛が、思ったより長いのが分かった。


「吉蔵は、人を笑わせるのが得意でさ……道端に座り込んで、わざと馬鹿げた話をするんだ。仲良しの玄太げんたが吉蔵をどついて、まともなことを言って……そうすると、面白がった人が小銭を恵んでくれるんだって」


「———」


「金が稼げるようになったら、母ちゃんに仕事辞めさせて、夜までずっと一緒にいるんだと。そうすれば、夜だけ離れ離れになることもないから、って」


 口に出すほど、記憶は幸福な印象をまとって蘇る。


 記憶が美しいほど、失った実感は大きくのしかかった。殺された人数分だけ侍の命を奪って、清算したつもりだったが、心はそう簡単に納得しはしない。あの長屋の賑わいを思い出すほど、今がいかに静かで、静まり返っているかが分かる。


「我慢していたけど……意外と、きついな……俺は生き残ったのに」


 大阪へ帰りたい。


 自らの髪の毛を覆って、皺の刻まれる口元を隠した。


 身内の死が悲しいのか、吉蔵の母親に責められたことが辛いのか、自身でも感情の判別がつかない。ただ、どうしようもなく胸の底が寂しくなって、抑えられなくなった。


 夕立の前で情けないと、分かっていても。


「……凪くん」


 夕立がおもむろに、凪の頭を引き寄せる。


 音もなく、その胸元に抱きしめた。


 男の胸より深く沈む懐に包まれて、思わず、こぼれる涙が引き止まった。


 夕立はなにも言わない。


 しかし、柔らかな胸を通して、落ち着いた鼓動が伝わってくる。背を叩いて寝かしつけるような、優しい鼓動だ。


(お夕さん)


 夕立のことは、心の冷え切った女の子だと思っていた。


 だが、凪は自らが思ったことを取り消した。


 本当に冷たい人ならば、こんなにも優しく抱きしめたりはしない。本当は、夕立は優しい女の子なのだ。


 凪はその体温を確かめるように、夕立の華奢な背中を抱きとめた。


「……かっこ悪いとこ見せて、ごめん」


「いいですよ」


「あの……もうすこし、ここにいてくれるかい」


 夕立は返答しない。一拍、二拍と間をおき、凪の手を取って肯定した。


 少女の華奢な肩を、今度は自らの太い腕で包み込む。肩に細い手を回されたのが分かると、少女もろとも藁布団の上に沈んだ。


 夏夜の残り香が漂う温い一晩、凪の深い悲哀は徐々に薄れていった。


 もう守るものは自分の命しかないと思っていた。それが情けなくて、虚しい、後ろめたい思いが心のどこかにはある。


だがこのとき、凪の心底に眠っていた底のない激情が、別の姿をとって次々と芽吹き始めていた。


自分の命よりも大切にすべきものが、かつて守ってきた彼らに “代わる” ものが、いま腕の中にある。


これからはたとえ命を落としてでも、彼女を、夕立を守らなくては。



 *


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