第27話 泣き叫ぶ声


 *


 絶命した男たちの骸は、そのまま放っておくことにした。埋葬する労力をかける価値が、この男たちにはない。


「あっつ……」


 凪の脇腹に食い込む弾丸が、動くたびに肉の中でうごめいた。初めて体に受けた鉛弾は、考えていたよりもずっと痛い。


「早くここを離れましょう。奴隷の人たちは放っておいたって逃げ出します」


「うん、そうする……」


 凪は最小限の答えだけを返した。


 痛みのあまり、次から次へと汗が流れてくる。人との会話など苦痛にも思わない凪が、生まれて初めて、口をつぐんでいたいと思った。


「凪……」


 よろよろと立ち上がった凪に、奴隷の戦闘にいた女———吉蔵の母親が声をかけた。


 ある者は捕らえられた仲間を助けに、ある者は足早に外へと逃げ出してゆく中、その女だけは立ち尽くしたまま、涙をためた眼で凪を見つめている。


「私の坊は……吉蔵はどうしているの……?」


 ついに、問われた。


 凪が最も、聞かれたくない謎であった。


「……」


 さっと、我が身に流れる血が引いてゆくのが分かる。


 吉蔵が死んだのを、直接見たわけではない。だが、凪が戻ってきたとき、瓦礫にまじって薬指の小さい手が落ちているのを見つけた。


 吉蔵には、薬指が異様に小さい特徴がある。


「……ごめん」


 凪は女に向き直らないまま、小さく謝罪した。


 女だって、本当は分かっているはずだ。あの激戦の中、六つや七つばかりの小さな子どもが生き残るのは難しい。凪の助けが間に合わなかったことくらい、想像がついているだろう。


 女はそれを、認めたくはなかったのだ。


「うっ」


 女が泣き崩れる声が聞こえた。


 さめざめとした嗚咽は徐々に色を変え、投げやりな、泣き叫ぶ声に変わってゆく。その声には、聞いている誰もが耳を塞ぎたくなるような、悲しい心が染み込んでいた。


 いくつもの晩を泣き通したって、癒えることのない悲しみ。我が子を失った母親の悲しみが、母のない凪にはわかる。


 同時に、深い罪悪感が襲った。


 この母親にとって吉蔵は、体を売ってでも守りたかった大切な息子だ。そんな大切な坊やを、凪は守れなかった。


「……行きましょう」


 夕立が凪の手を引いた。


 心の冷たい夕立には、この程度のことなど胸が痛まないのだろう。凪は夕立に導かれるまま、とぼとぼと歩み進めることしかできなかった。


 母親の泣き声に耳を塞ぎたいのに、腕が動かない。脚だけが、まるでからくりのように動くのだった。


(守れなくて、ごめん)


 凪は、心の中で何度も詫びた。


 あの戦乱の中では、凪の助けが間に合わなかったとしても仕方がない。あの母親だって、本心ではそれくらい分かっているだろう。


 だが、自分がもっと早く走っていれば、吉蔵もほかの子供も死なずに済んだかもしれない———そんな想像をせずにはいられなかった。


「どうして……」


 母親が嗚咽の中で、吐き出すように言葉を落とした。


「どうして、お前だけ生き残ってるのよ……ッ」


 憎しみに姿を変えた言葉が、凪の胸に突き刺さる。


 吉蔵はこの女の子供である。だが、母親が仕事の間、預かっていたのは凪だ。


『守ってくれなかった凪がいけない』


 母親が凪を恨むのはもっともだろう。


 それでも、母親に次いで吉蔵を愛していた凪にとっては、母親の恨み言はどんな罵詈雑言よりも苦痛だ。


「っ……」


 いっそ、この耳を串で突いて、何もかも聞こえなくなってしまいたかった。


 何よりも守りたかったものを、守れなかった過去は消えない。それどころか、母親の言葉がなおさら過去を突き付けてくる。


 どうしようもできなかった……そう言い訳をするだけの余裕も、凪には残っていなかった。


 そのとき、


「うるさいわね!そんなに言うなら自分で助りゃよかったでしょ!」


 それまで無言に徹していた夕立が、初めて大声で口火を切った。


 聞いたこともない大きな怒号に、凪は我に返って顔を上げる。視線の先では、夕立が後方に泣き崩れる女を睨みつけている。


 女は泣くでも、怒るでもなく、ただただ言葉を失っていた。


「何があったのかは知りませんけど、泣くほど大事な子供なんでしょう。そんな子供を他人に預けて、自分だけ逃げて……それで他人を責めるって、どういう神経してるんですか」


 追い打ちをかける、凄絶な一言だった。


 女にも、夕立の言い分が決して間違っていないと分かっているのだろう。


 凪がようやく振り返ってみると、女は二の句を告げぬまま、静かにうつむいて泣いた。


「———お夕さん、ちょっといいか」


 凪は夕立の手を離すと、蹌踉な足取りで女の前まで歩み寄った。


「……これ、皆が編んでくれた髪紐なんだ」


 凪は優しい声色で、自らの髪を束ねる紐を解いた。


「金がないからって言って、皆が着物から少しずつ糸を集めてくれた」


「……」


「吉蔵の着物も、編みこんであるんだよ」


 言って、女に紐を手渡した。


『兄ちゃん』


 耳になじむ声に呼ばれて、たまらず、紐を差し出す手が震える。


 それでも、母親の華奢な手に譲り渡して、凪はそっぽを向いた。もう一目見てしまったら、自分の手に返してほしくなるからだった。


「……ごめんね、待たせて」


 凪は夕立の元へ静かに戻ってくると、髪紐を抱きしめる母親を置いて歩み去っていった。




 *


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