第23話 卑怯者
小狂の口が三日月に吊り上がる。その醜悪な目より放たれる指令を受けて、横に控える浪人どもが抜刀した。
「けえッ」
縦より振り下ろされる一閃をさけ、その厳めしい顔めがけて一撃を当てた。
短く悲鳴を上げて卒倒する浪人を飛び越え、次から次へ襲い掛かる浪人を殴り倒す。
刀を持ったまま複数人が同時に斬りかかれば、長い得物で互いを傷つける危険もある。ゆえに、たいていの侍は味方同士で間合いを取って、ひとりずつしか斬りかかってこない。
その間合いを狙った。
“人斬り包丁”と称されるだけに、肉を切るに特化した日本刀と、生身の体とでは相性が悪い。だが、堅牢な骨肉でできた拳は、間合いに届けば弾丸と化す。
急所を一突する拳が、ひとりふたりと浪人をのしていった。
「ひッ」
背後で女が恐怖をかみ殺した。
刀を携えた浪人が、牢から女を引きずり出そうとしている。
「この」
凪は浪人の首を掴むや、ほかの浪人が集まる襖めがけて投げ飛ばした。
それでも、斃した浪人の数だけ、また浪人が増えてくる。これではきりがなかった。
(なんだ。どうしてこんなに浪人が多い)
凪は混乱する。
浪人とて、無償で働いているわけではなかろう。彼らを雇うために、賃金や奴隷を与えているはずだ。
これほどに多く雇うには相当の富が必要になることは想像できる。だが、この小狂という男はいい身なりではあるが、それだけの大富豪には見えなかった。
「うう……」
先頭に立つ浪人の、怯えた痩せ顔を見て、凪は確信した。
そして、その卑劣極まりない手段に刮目する。
「お前……このクソ野郎ッ……!」
凪は浪人どもの奥にいる、小狂を睨みつけた。
次々と湧いてきたのは、侍崩れの浪人ではない。
奴隷だ。
もとは百姓や町民だった奴隷に、無理やり刀を持たせて戦わせているのだ。先ほどの浪人たちと比べれば、刀の持ち方や顔つきが格段に違うのが分かる。
「なにしろ、浪人を雇うには金もいるのでな……。貴様を消耗させるには、奴隷でも足りる」
唇の狭間から黄色い歯を剥く小狂に、凪は血の筋の切れる思いであった。
もともと雇っている浪人を後方に置き、奴隷を脅して追い立てれば、奴隷はみずから前衛に立つ。引き下がれば浪人に殺されるからだ。
「おとう」
「にいちゃん」
後方で守っている女子供たちからこぼれた声に、凪の背筋はなお凍った。
凪と顔見知りの夜鷹が、ここに捕らわれているということは———この屋敷には大阪から連れてこられた奴隷も少なからずいるのだ。その中には、家族で奴隷にされたものもいるに違いない。
全身から冷や汗が湧く中、小狂と目があった。
『やれるものなら、やってみろ』
家族のいる奴隷を盾にして、小狂は心で嘲笑している。
その心が表皮にまで現れているのが、凪には見える。
他人の命を盾にしてまで、人を貶め弄り倒そうとする、悪意にべったりと汚れた心だ。
———今すぐにでも飛んで行って、殴り飛ばしてやりたいのに、それができない。
奴隷たちは自分を護るために、命がけで凪を殺しに来るからだ。
(峰打ちで戦えるのか)
凪は固唾を飲む。
小狂はおそらく、凪が奴隷相手になら手加減をすると見越しているだろう。そして、手加減の隙を狙って浪人を放つはずだ。
しかし、かといって逃げる選択肢など、凪は持ち合わせていない。
「かかってこい、お前の脳天に叩き込んでやる」
小狂に拳を向けて大喝した。
凪の声を最後に、前線に立つ奴隷たちが刀を振り上げた。
がむしゃらに振り上げられた奴隷の太刀筋は拙い。
ひとりずつ的確に腹や首を打ち、手に取っていた刀の鞘を奪い取った。
(どうにかして、親玉と浪人を片付けなければ)
また奴隷が使われる前に、諸悪の根源を絶たねばならぬ。
凪は刀の鞘を構えるや、小狂を睨みつけた。
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