第20話 救済


 *


「た、助けてくれ」


 小汚い襤褸をまとった男が、凪の元へと助けを乞うてきたのは、岡崎の宿場町で一晩を明かしてから、いくつか時のたった頃のことだった。


 岡崎から駿河へとつながる山道に沿っていると、藪の茂りをかき分けて、この男がやってきた。見れば、足には刀傷が走り、男の様子は息も絶え絶えだった。


「どうしたんだ」


 と凪が問いかける前に、


「助けてはいけませんよ」


 夕立が無慈悲に命じた。


「この男の首には荒縄がついています。きっと、人買いから逃げてきた奴隷でしょう」


「ならなおさら、助けてやらなきゃいけないだろう」


「だめです」


 夕立は動じない。


 目の前に、いまにも泣きそうな顔で切羽詰まっている人がいるというのに、万晴討伐を優先しろという。


「だいだい、ここまで逃げてこられたなら、わざわざ他人に声をかけずとも、自力で逃げればよろしい。それをせず人に頼るのは、ほかに助けてほしい奴隷がいるからではないのですか?」


「……」


 厳しく問いかけられ、男が押し黙った。


 そんな男に冷たく息を吐くと、夕立は男を追い越して道を歩み進めた。


「こんな頼みごとにいちいち付き合っていたら、凪くん———あなたの寿命なんて、とっくに尽きてしまいますよ。分かったら、さっさといきましょう」


「俺はいかない」


「なんですって」


 即座に異を唱えた凪を、夕立は睨みつける。


 そんな夕立に、凪は珍しく睨み返した。


「あんたに恩師がいたように、この人にも大事な人間がいる。それをむざむざ見捨てろっていうのか」


「大事な人間がいるなど、どんな人にも言えることです。だから、特別扱いして助けていたらきりがないでしょう。当たり前のことを聞かないでくれますか」


「じゃああんたは何故、桔梗さんを斬りつけた」


 初めて、夕立に対して強く言い放った。


「———どうしても、恩師を救ってほしかったんだろう。それができないと分かったから、怒って斬ったんじゃないのか」


「いい加減にしてくださいよ」


 夕立は肩を震わせたまま、背中で吐き捨てた。


「そんなに言うなら、自分一人で助けに行けばいいでしょう」


 夕立が非情なのはいつものことだ。


 ただ、あまりの冷徹ぶりに、凪はこの瞬間だけは怒りを覚えてもいた。


 顔は可愛いが、心はとことん自分のことしか考えていない女の子だ。


「———じゃあ、行ってくる。あんたはここで待っていてくれ」


 決して売り言葉に買い言葉ではなく、自分自身にも問いかけて決断した。


 たしかに、強い夕立にしてみれば、弱者に構っている暇などないのかもしれない。人助けに使う時間が、凪の余命を削るのも案じてくれているかもしれない。


 だが、それであっても、助けなければ今後自分の人生に、大きな禍根を残すことになると分かっている。だからこそ、自身の善意に従って助けに行くのだ。


「あんた、どこから来たんだ。道を案内してくれ」


 襤褸衣同然の男に、凪は優しく問いかけた。


 *


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