第8話:夕立という女(2)




 岐阜城の城下町についても、瓜百姓に合ったきり、目立った目撃証言はない。


 結局、その日は城下町の隅で夜を過ごすこととなった。


(人を探すのが、こうも難しいとは)


 凪は痛感する。


 人は多いし、美濃は広い。


 これでは夕立を探すだけで、ひと月が過ぎてしまいそうだった。


 盛況する城下町といえど、町の隅はややすたれているのか、空き家が多い。そこをねぐらにしている物乞いに場所を貸してもらい、『静かに過ごす』という制約の上で野宿に決めた。


「この辺は夜盗が出るで、物乞いだって小銭持っとったら襲われるんや」


 場所を貸してくれた物乞いは、そう語っていた。それゆえに、気配を悟られないようにするのだそうだ。


 だが、いびきひとつ立てないことを約束させられ、かえって眠れない。


 茣蓙のうえで何度か寝返りを打ったところで、


「きゃあ!」


 空き家の外から、女の悲鳴が立った。


「見たらかん」


 物乞いに止められるも、凪は無理に窓を覗き込む。


 見れば、こぼれた剣をたずさえた野盗どもが、腹の大きな女と、男の旅夫婦を取り囲んでいる。


「奴らじゃ。出てったらかん。おめえも殺されるで」


 物乞いは凪の衣を掴んで言い聞かせる。


「あの女、腹が大きいぜ。孕み女だ」


「だからなんじゃい、おめえ、あの大人数相手に助けられんのかい」


 物乞いは親切から言うのであろうが、生まれてこの方、凪の正義辞典には「見捨てる」の文字がない。


「ごめんよ、おじさん。迷惑はかけねえから、ここで静かにしていてくれ。あと、宿貸してくれてありがとう」


 礼と謝罪を同時に並べると、凪は勢いよく飛び出した。


 浪人風の野盗を前に躍り出ると、大きな足で地を踏みしめる。


「こっちを見ろ!」


 大喝した。


 振り向いた刹那、戦闘にいたいちばん大柄な暴漢を蹴り飛ばす。


「ぎえっ」


 強烈な一撃に、野盗の親玉が泡をふく。


 たまらず襲い掛かる子分は、腹やうなじに拳を打ちつけて地面にのした。


 首に手を当ててみると、幸いにも脈がある。非情な野盗とはいえ、やはり余裕が出てくると敵に情けを覚えて、無駄に殺すのはさけようとしていた。


「危なかったな、大丈夫かい」


 蒼白になった夫婦に、凪は言ってやる。夫のほうは血色の戻りが早かったが、妻のほうはまだ震えが止まらない。大きくなった腹を抱えると、ようやく、その場に泣き崩れた。


 凪にも、小さな子供をいつくしむ心がある。


 母になる女の、子への思いが少しは理解できた。号泣する妊婦に優しい眼差しを向けると、その背中を穏やかに撫でた。


(母さんも、家を出た時はこんな心持だったのかな)


 残虐な兄から自分を逃がしてくれた、母を見ているようだ。


「早くここから逃げろ。こいつらはまだ死んでいないから、いまのうちに……」


 刹那、凪は肩を跳ね上げた。


 全身の毛が粟立つ、鋭利な殺気。


 たまらず振り返ってみると、血飛沫が上に咲いた。


「ひっ!」


 妻が短い悲鳴を上げる。


 地面にのされていた野盗が、次から次へと、首から血を噴いてゆく。


 凪でさえ、その静かな殺戮には慄然とした。


(なんだ、こりゃあ)


 夫婦を背に庇って、息を飲む。


 血の吹雪の奥から、小柄な影が現れた。襤褸衣をまとって返り血をしのぎ、小さな女が歩いてくる。


 切りそろえられた黒髪の奥から、沼の底のような眼が覗いた。


 なんと冷たい、心のない眼差しであろう。この世のすべてを足蹴にし、自分以外の何者にも思いやりを見いだせない、冷酷な瞳だ。


 血飛沫が止むと、女が襤褸衣を捨てる。衣に揺られて、肩下にのびる黒髪がなびいた。


「あんたは……」


 凪がやっと声を上げた。


 女ではなかった。少女だ。


 幼げな童顔に黒髪、小柄と黒い羽織。そして、血の紅に濡れる鋭利な打刀。


「夕立!」


 確信に似た叫びをあげる。


 名前を呼ぶと、かすかに、少女が首をあげて凪を見た。


 ほのかに血のかかった肌は、雪細工のように白い。


 その様をおぞましいと感じつつも、凪の心の底では、


(かわいい、好みだ)


 とも、思っていた。




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