第6話:かりそめの心臓(2)




「私があなたを見つけた時には、すでに、あなたの胸に心臓はありませんでした」


 桔梗は白檀の煙が残る香炉のそばに衣掛けを置きながら、しずしずと語り出した。


「幸い、あなたはまだ死んで間もなく、血もありましたので、新しくこしらえた心臓と、いくらかの血の補充を行い、蘇生させたのでございます。こんなふうに……」


 掌に載せられた小石と、そばにあった白湯の飲みかけが、桔梗の吹く息を受けると、たちまち生々しい心臓と生き血に姿を変えた。


 医者の術とも違うその不可思議な現象には、凪もいまいち、小石が心臓に化ける原理が分からない。


「あなたは、ひょっとすると妖術使いかなにかか?」


「まさか。しがない陰陽師の末裔でございます」


「お、おんみょうじ……?そりゃあ、手品師みたいなものですか」


「……古よりある、いわゆる数学家でございますね」


「数学で、心臓を作ったりできるんですか」


「本来の陰陽師の仕事とはずいぶんとかけ離れた技巧になりますが、陰陽師の中にはこういう、奇怪な方術を使う者がいるのでございますよ」


 なるほど、要するに本職とは別で使える術式を、累代にわたり身につけているというわけだ。


「で、その陰陽師さんが、なぜ俺を?いや、生き返りたかったからよかったんだけど」


「……どうしても、あなたにしかできないことを頼みたく、蘇生させたのでございます」


 刹那、桔梗の面差しが神妙になる。


 凪にさえ、その穏やかな美貌から陰鬱に放たれる殺気には鳥肌が立った。


「あなたの兄、万晴を討ち取りたいのでございます」


「俺の兄を?」


「あの男は、私の息子の仇。私の息子を殺し、目を奪い、己の視力の糧としました。あの男は、他者から体の優れた部分を奪うことで、己の貧弱な体を補っているのでございます」


「桔梗さんの息子……」


「二十歳目前の命でございました。私のように奇術を使う才もなく、そのうえ気性の優しい子でございましたから、あの男の毒牙にかかってしまったのです」


 凪は唖然とした。


 この桔梗という女、二十歳前後の息子がいるようには見えない。どこからどう見たって、妙齢の女性だ。


 だが、同時に万晴の恐ろしい本性にも身の毛がよだつ。他人の臓物を喰らってまで己の糧を欲しがるなど、まるで人食い鬼のような所業ではないか。


(母さんが、俺を抱えて逃げ出したのも分かる)


 凪は、大阪の貧乏町に逃げ込んでまで、凪を護ろうとした母の思いをようやっと理解した。


「あの———俺の兄が、すみませんでした」


 兄弟の絆がないとはいえ、血のつながりはある。血縁ある弟として、凪は慇懃に詫びを入れた。


「よいのです。あなたと、あの男に血以外のかかわりがないことは存じ上げております」


「俺、あなたに兄のことを話しましたっけ」


「いいえ……ただ、あなたの心臓を胸に埋め込んだ時、あなたの心、あなたの思い出を見ただけのこと」


 人の記憶や心まで覗けるとは、陰陽師の奇術とは突飛なものだ。


 凪は思わず舌を巻きそうになった。


「そこで、万晴を打倒したいと思っており、なおかつ、強靭な肉体の持ち主であるあなたに頼みたいのでございます。あの男は東の都で潜み、同じく心の荒んだ仲間を集めている……何をもくろんでいるのかはわかりませんが、彼のために犠牲が増え続けるのなら止めなくてはなりません」


「あの、ちょっといいですか」


「なんです」


「居場所も状況も、その、術で分かるんですよね。言い方は悪くなるけど……呪ったり、遠くから攻撃することは難しいんですか」


 問いかけると、桔梗の顔に陰影が差した。


「———人の命を奪うほどの強い術式は、それほど遠くまでは届きません。それに……」


 桔梗と対峙した時、その眼の奥を見て初めて、凪は沈黙の意味を知った。


 桔梗の瞳の奥は、色がほのかに濁っている。この女、目がよく見えていないのだ。


「近くのものをどうこうするならたやすいこと……ですが、残念ながら、私がそうできるほどに近くまで接近すれば」


「先に殺される……ってわけか」


「その通り。———息子の仇とはいえ、無茶をして犬死をすることはできません」


 凪はその言葉に納得した。


 万晴は怯えた兵士のふりをしてまで、心臓を取りに近づいてくる執念の持ち主だ。そう簡単に接近させてくれはしないだろう。


「それで、桔梗さんは俺を蘇らせて、敵討ちがしたいのか」


「ええ。もっとも、私が力添えできる時間は限られておりますが」


「どういうことです」


 凪が膝を進めると、桔梗の細指が、凪の左胸を差した。


「私は貴方の血の流れを作り、鼓動するための『器』を作っただけ。長く使い続ければ術は解けてゆき、最後には腐り落ちます」


「そりゃあ……具体的にどれくらい」


「一か月、長くても一か月と半分といったところでしょう」


 言葉を失った。


 生き返ったかと思えば、次は残り一か月の余命宣告ときた。


「じゃあ、ひと月もすれば……俺は自動的に死ぬんですかね」


「万晴から心臓を取り返すことが出来なければ、の話でございます」


 桔梗は言った。


「あなたの体はいま、本物の心臓を欲しております。対して、あなたの心臓を食った万晴の胸には、まごうことなきあなたの血が流れているのでございます。あの男の心臓を取り付けることで、あなたは本来の体に戻ることができるでしょう」


「……」


 医学の観点から言っているのか、陰陽師の観点から言っているのか、凪にはよく理解ができない。ただ、どちらにせよ、ひと月のうちに万晴を倒さなくては、自分が死んでしまうことだけは分かった。


『生きて。あいつをやっつけて』


 三途の対岸で、子供らの訴えかける言葉が蘇った。


 生きるには、万晴を倒さなくてはならぬ。


 どのみち、蘇った凪はそういう運命にあるようだ。


「……分かりました。俺はやります。それで、生きながらえることができるのなら」


 兄への報復より、子供らと交わした誓約が、凪を突き動かした。


 ひと月でも半月でも構わない。


 与えられた時間のうちにも暴虐な兄を討ち取り、生き延びてやるつもりだった。


「ようおっしゃりました。それでは、江戸までの旅の支度をいたしましょう」


 桔梗はようやく、先ほどまでの朗らかな微笑みを取り戻した。


「ただし、途中で美濃へ立ち寄ってくださいませ。美濃で『夕立ゆうだち』という少女を連れていくのでございます。———彼女はきっと、万晴を討ち取る強い刃になるでしょう」



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