第2話 サラ

 奴隷は街の彼方此方に居る。

 労働の多くは安価な奴隷無しでは成り立たない。

 コンビニの店員も工場の工員も奴隷ばかりだ。

 奴隷を管理するのは消す事が出来ないインクで押された額のスタンプと埋め込まれたICチップ。奴隷はこの国に入国する時に奴隷処理と呼ばれる処置を入管によって施される。

 スタンプは外見から奴隷だと解るようにするため。ICチップは所有者などの情報が記されている。非接触型なので、警察などは特殊な読取機で数メートル離れていても奴隷の情報を確認する事が出来た。

 

 黒いワンピースに白いエプロン。頭にフリル付のカチューシャ。

 サラはありふれたメイド姿で手に9ミリ自動拳銃を握っていた。

 屋敷の地下に設けられた射撃場。

 「もう少し、腕を鍛えて、筋肉を付けろ。50発ぐらいで腕が振るえている」

 三田は彼女の横で射撃の指導をしていた。

 サラはこうして三田から戦闘訓練を受けるのが日課だった。それは主の身辺警護をする為である。

 屋敷の主である戸田公爵は陸上自衛隊陸将であると共に防衛省政務官という役柄もあり、身辺警護が防衛省警務隊が担う。だが、息子である俊樹にはそのような事は無い。大抵の貴族の場合、家族や邸宅の警備には私費で行う。

 だが、戸田公爵は質素倹約の人だ。否、大抵の自衛官出身の貴族は戦前からの生活をあまり変える事は無い。大きな世界の変容に対しても自分をあまり変えたがる人は多くないからだ。

 年老いて、退役した三田を執事として雇用したのも、邸宅の警備も含めてだ。それだけじゃなく、年金制度も崩壊した為に定年後の人々の生活も大変である事が容易に推測が出来たからだ。

 サラにこうした戦闘術を教えるのも警備の一環であり、大戦によって、銃器が世界中に流れている現在、貴族や金持ちの邸宅に強盗に入る輩は重機で武装している事が多いからだ。その時、大抵の使用人などは抵抗が出来なければ、殺される事が多かった。

 自分の身は自分で守る。

 その考えは戦後、日本では当たり前だった。

 

 サラは息を整える。

 三田は幼い少女と言えども、手加減無しで訓練を施す。それは自衛隊仕込みだ。

 サラは腰まで伸びた白い髪を一本に纏めている。このような訓練も含めて、本来なら、短くした方が良いのだが、サラは何故か、それを拒む。この屋敷には女性は彼女しか居ない事もあり、その事をどうかと言える雰囲気は無かった。

 そして、彼女の特徴の一つが丸眼鏡だ。彼女は大抵、丸眼鏡をしている。それが似合ってないわけじゃない。ただし、可愛らしい彼女の顔には不釣り合いな感じもするが、彼女はそれを好んで装着している。

 「今日はこの辺で・・・夕飯の準備時間だ」

 三田の指示でサラは食事の準備を始める。

 この間に三田は学校から帰る俊樹を迎えに上がる。

 金持ちや貴族の子弟は誘拐され易い。普通に送り迎えがあるのが当たり前だ。

 

 俊樹の通う学校は貴族が通う高校である。

 送迎が当たり前の為、高校の敷地の一部には車寄せが設置されている。

 多くの貴族は運転手以外に警護のボディガードも連れていたりする。

 「俊樹、お前の所は相変わらず爺さん一人か?」

 俊樹に声を掛けて来た同級生の1人。

 「あぁ、三田さんだけだよ。うちは彼とサラしか使用人が居ないから」

 「ぷっ、サラって、確か奴隷だよな?奴隷は使用人じゃねぇよ」

 彼は俊樹に向かってバカにしたような笑いをする。

 「奴隷は確かだが・・・雇用しているわけだから、使用人だと思うけど?」

 俊樹は当たり前だと言わんばかりに応える。

 「あっはは。こいつはやっぱり、おもしれぇ。奴隷なんか。犬や猫と同じだぜ」

 彼等は笑いながらその場から立ち去って行く。

 俊樹はこの学校で最も優秀だが、それが気に入らない連中というのは多い。特に貴族として、特別視される事の多い彼らにとってはだ。ましてや、俊樹の場合は、自分が貴族という意識もあまりないから余計だった。

 だが、俊樹も俊樹で彼らがあまり好きではない。彼らは奴隷に対して、酷い扱いをしている事をまるで自慢話のようにしているからだ。奴隷だからと言って、人権を無視したような扱いを平然と出来る者達とはあまり交わりたくないので、普段、まともに会話などをした事は無い。それが孤立感を深める事になるわけだが。

 

 俊樹が自宅に戻るとサラが頭を下げて、待っている。

 「おかえりなさいませ」

 「あぁ、ただいま。今日はカレーかな?」

 すでに香りが漂っている。

 「はい。牛肉が良い物が入りましたので、主様と俊樹様のお好きなカレーにしました」

 「ありがとう」

 俊樹は着替えをする為に自室に向かう。サラはそのあとをついて歩く。

 「もう、訓練は終えたのかい?」

 俊樹は笑いながらサラに話し掛ける。

 「はい。今日の訓練は全て終わっております」

 「じゃあ、今度は勉強だね。今日は歴史を教えよう」

 俊樹は中学生の頃から自分の勉強も兼ねて、サラに勉強を教えている。

 サラはとても学習能力が高いせいか、かなり、成績は優秀だと思う。奴隷の中には文盲の者は多い。彼らに学習の機会など与えられない事の方が多いからだ。だが、俊樹も俊樹の父もそれを嫌っている。

 3時間程度の勉強を終えてから、夕食の時間となる。この時には大抵、父親も戻って来るが、忙しい身ではあるので、パーティなどがあると遅くなる場合もある。

 「今日はカレーで良かった。多分、好きだから、寝る前に食べてしまうだろうね」

 俊樹はカレーを食べながら言う。そのテーブルにはサラしか居ない。三田は夕飯前に自宅へと帰るからだ。

 「はい。それまで待機しております」

 「いや、いいよ。別にコンロの火を掛けるぐらい。男でも出来るよ」

 俊樹は笑いながら言う。

 「いえ、主様が戻って来るまで、起きて待つのがメイドの役目であります」

 サラは堅い表情で告げる。

 「ははは。メイドと言っても、ずっと仕事をしなきゃいけないって事は無いさ。今では形骸化しつつあるけど、この国には労働基準法という法律があって、一日の労働時間はある程度、決められているのさ」

 「労働時間ですか・・・しかし、それでは一人で全てをこなす事は出来ません」

 「それは使用者側の責任だよ。8時間労働で24時間の作業が必要なら最低、3人は雇う。休日なども含めたら、代わりの人も含めて雇う事が大事なのさ」

 「はぁ・・・人をいっぱい雇わないといけないのですね」

 サラは少し驚く。この時代、奴隷は最低限の休憩と食事だけで働かされるのは当たり前だった。否、普通の人であっても、似たような労働を強いられている者は多い。故に奴隷だからと言って、特別に厳しいとは誰も言わないのだ。

 サラは俊樹と会話をしていて、自分は幸せだと思った。

 俊樹は決して、サラを奴隷として扱わない。とても優しい人だった。三田が曰く、俊樹は父親に似て、優秀でありながら、気持ちが優しく、それでありながら、勇気を持っていると。

 確かにそうだった。昔、サラを伴って、外出した際、貴族の悪い子どもがサラを奴隷だとして、スカートを捲って揶揄った時、彼はそいつを殴り倒した。そして、サラに謝らせたのである。相手は数人も居て、勝ち目がありそうにも無いのに彼は堂々と彼等と戦い、そして、ボロボロになりながらも勝った。そんな人なのだ。

 だから、サラは俊樹が好きだった。奴隷の身分ではそれを口にする事は出来ないが、どんな形であれ、俊樹から離れたく無いし、彼の為ならどんな事でもやるつもりだった。

 

 俊樹の父は困惑していた。

 会議の席で突然、決闘を突き付けられたからだ。

 無論、本人同士が決闘をする事は無い。殺し合いは殺人と同義だからだ。

 この場合、決闘と言うのは奴隷同士を戦わせる事である。

 多数決でも決まらない事でこのような決め方がいつの頃からか当たり前になりつつあった。

 「決闘・・・断る。私はそのような奴隷を雇ってはいないし」

 「ほぉ・・・じゃあ、この議案は・・・通してくれるんだな?」

 決闘を申し込んだ大谷伯爵が取り上げた提案は混乱する朝鮮半島の併合であった。

 「そんな・・・のは歴史を見れば、解るだろう?現地の民の気持ちを考えた上でも、植民地政策は上手くいかない。また、無用な混乱を産むだけだ」

 「だが、今の日本経済を拡大させねば・・・どうやって、国民の生活を向上させるのだ?労働力を多く得るためにもこれは必要な事だ」

 「だが・・・」

 戸田公爵の意見に賛同する者も多い。戦前のかの国とのやり取りを知る者は殆んどだ。半島の植民地支配は難しいと考えている。だが、反対に経済圏拡大と労働力の確保を求める者も多い。互いの意見は完全に拮抗し、答えが出ない。戸田公爵は答えの出ないまま、審議時間不足として、話を終えようとしていた矢先だった。

 「奴隷が居ないなら・・・時間を僅かに与えてやる。用意しろ。軍人上がりや武装勢力上がりなら幾らでもやれる奴は居るだろ?」

 大谷伯爵は笑いながら言う。奴隷の命など、安い物だと言わんばかりだった。

 会議はそれで終わった。

 戸田公爵は意気消沈のまま、自宅へと戻る。

 「おかえりなさいませ」

 サラが扉で待っていた。

 「あぁ、サラか・・・こんな遅くまで起きていたのか?」

 「はい。今日はカレーでしたので、温めようかと思いまして」

 サラを見た戸田は涙ぐむ。

 「もう、寝て構わない。カレーを温めるのは自分で出来る」

 「いえ、それが私の仕事ですから」

 そう言うと、サラは厨房へと向かった。

 

 翌日、いつも通り、朝食が取られた。その日、久しぶりに俊樹は父親と同席して、朝食を取った。

 「学校はどうだ?」

 「問題ありません」

 俊樹は表情一つ変えない。

 「そうか・・・」

 父親からすると自分に似て、少し硬過ぎる息子を僅かに不安に思った。

 「最近は、奴隷を決闘させる事が当たり前になってきた。どうして、殺し合いをさせる事が普通だと思えるのか。大戦で多くの血を見てきたはずの・・・そうか。あいつは後方任務だったな」

 戸田公爵は嘆息した。

 「父上、何かありましたか?」

 心配そうに父親を見る俊樹。

 「いや・・・少しな。仕事上で嫌な事があってな。まぁ、今日もそいつの顔を見ないといけないかと思うと・・・気持ちが沈むよ」

 戸田公爵は笑った。

 この笑顔が俊樹が最後に見た父親の顔だった。

 その日の晩、父親は暴漢に襲われて、自動車にロケット弾を撃ち込まれ、運転手、ボディガードと共に死んだ。

 車自体が燃えた為、死体は骨も残らない有様だった。

 三田と共に駆け付けた俊樹はその無残な姿にただ、泣くしか無かった。

 そこに近付いて来たのは父と共に活動をしていた元自衛官の政治家だった。

 「実に残念だが・・・。戸田殿は朝鮮半島併合案を渋った為に暗殺された。相手は解っているが、簡単にはシッポを掴ませないだろう。君の事は出来る限り、支援はさせて貰うが・・・」

 「いえ・・・構いません。こんな時代ですから・・・」

 俊樹は毅然としていた。唯一の肉親を失ったにも関わらず。

 

 父親を失った子どもは貴族と言えども、跡目を継ぐ程度に成人して無い場合、後継者たりえない。すなわち、貴族の爵位こそは保持するが、収入を失い、没落するしかなくなる。

 「俊樹様・・・まことに良いのですか?」

 三田は涙ぐみながら俊樹の前に立つ。

 「構わない。どうせ、ジリ貧になるだけだ。家と土地、不用品は全て売り払った。それで三田さんの退職金と当面の生活費にはなります。あとは働き口を・・・まぁ、自衛隊にでも入れば良いだけだと思います。とりあえず、貴族ですから、優遇はされるでしょうし」

 「俊樹様・・・その年齢で・・・わたしめも知り合いにあたり、出来る限り、お力になれるようにいたします」

 「ははは。気にしないでくれ」

 「そ、それで・・・サラですが・・・」

 そこに残るのは俊樹の引っ越し荷物を纏める少女の姿。

 「サラは僕が預かる。他に行っても良い事にはならないだろうしね」

 「そうでありますか・・・最悪、私が預かるとも思っていましたが・・・」

 こうして、三田も去り、俊樹は平民が住む地域にある安いアパートに移り住んだ。

 

 「すまないね。こんな狭いアパートで」

 残された金で長らく生活をするにはあまり贅沢は出来ない。

 「私は構いません。俊樹様と一緒に居られるなら」

 サラは少し嬉しそうだった。

 「僕はこれから、職を探しに行ってくる。この部屋の片づけを頼むよ」

 そう言い残して、俊樹は立ち上がる。

 「あの、俊樹様。お一人では危険な気がします」

 サラが不安そうに立ち上がる。

 「危険って・・・。確かに貴族かも知れなけど、没落貴族さ。金も無い」

 「それでも主様・・・お父上を狙った連中が襲ってくるかも」

 「あれは政治的な事だから。僕にそんな力はないよ」

 「それでもです」

 「解ったよ」

 そうして、二人はアパートの扉を開いた。

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