1.始まりは気まぐれの花束

そこに存在する。

そこにある。

それはどの様な物なのだろう。

触覚?臭覚、聴覚、味覚、視覚?

五感のうち、いくつを感じる事が出来たのならば、そこに居ると言っても良いのだろう。

曖昧に広がる、カーテンから漏れ出す光の中でボンヤリと考えるのだ。


毎晩の様に決まって見る夢のせいであろう。

いくら謝っても許してもらえない、過去に出会った人に一方的に詰られる夢。

今日は、昔、母と呼んだ事のある人だった。

「貴方のせいで、全ては滅茶苦茶よ」

「何故、当たり前のことが出来ないの」

「いっそ死んでしまいなさいよ」

自分で選んだわけではない趣味の悪いテーブルクロスのかかったダイニングテーブルに腰掛ける私に向かって、金切り声が刺さる。

パクパクと口を動かしてはみるのだが、声帯は仕事をせずに酸素を肺に送り込むことですら困難になる。

(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ..)

心の中で繰り返す毎に、彼女は大きな影に成り果ててゆくのだ。

ああ、見えもしない。声だけが脳をガンガンと揺らす。

そうしている間に、息が出来なくなり夢は重く心の中に薄いフィルムの様に残る。そして、声の代わりに溢れた涙が現実である事を冷たく耳に流れ込み教えてくれるのだ。許されもしない罪の終わりを。


ここ数年、2時間続けて眠る事が出来ていない。

常に靄のかかった様な眠気の中、つまらない、色のない、ボヤけた景色の中を少し不器用に歩くのだ。

時刻は早朝の4時12分。

朝である事を、毎朝律儀に教えてくれるスマートフォンの白っぽい数字の羅列が時間だと認識できると同時に、浮かぶのは代わり映えのしない日常に溶け込む自分の姿である。

今日もまた、あの道を歩いて齷齪と働くのだと口から漏れるのは、呼吸ともため息ともつかぬ生暖かな一筋の圧。

おはよう世界、もう一眠りしたところで休まりもしないのだから諦めましょうね。


誰かと、言葉というもので二次元的に繋がりたい。

漠然とした不安や寂しさを埋めてくれる物として、インターネットは大変優秀なツールである。

声は生々し過ぎて、肌の温もりは、離れてしまうと冷たさを更に際立たせる。

文字だけであれば、何者にもなれ、また何者でなくても良い。

チャットサイト。

私が28年という程ほどには長い時間を使い考えた結果、最善の選択として、こういう日にはチャットサイトで誰かを演じ、実態のない、また誰かと取り留めのない話をするのが正解なのである。

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