丑三つ時
「そうそう。それでついカッとなっちゃってね~」
「静先生は相変わらずですね……」
「本当にね。ゆかちゃんみたいに冷静になりたいね!」
「フフフ……ねぇ、静先生……大丈夫、なんだよね……?」
私に残された事は、ただ元気づける事だけだった。
「大丈夫。ゆかちゃん。絶対に。まわりにはもうほとんど化け物はいないんでしょ?」
「うん。夜には弱るのかな……?それとも、夜は元気になって、外に狩りに出掛けるのかな……」
友香子は、夜になって化け物がひいてからはずいぶん落ち着いた。でも、それでもひどく怖いはずだ。だから、私だけは家に帰らず、一人学校に残っていた。
「ま、アレだよ。初めてのお泊まりデートみたいな感じでさ……」
「こんなのが初めてなのは嫌ぁ……」
「それもそうか。じゃ、全部終わったら、なんやかんや理由つけてデートしちゃおっか?」
「本当に?えへへ……じゃあ楽しみにしてる……!」
私はコーヒーのグラスを干し、なんにも出来ない苦さを噛み締めた。
「あ……」
「ん?どうしたの?ゆかちゃん?」
「充電が切れそう……モバイルバッテリーしか持ってなかったから……」
「職員室に私の充電器刺さってるから、そっちにもあるかもよ?」
「外怖い……静先生電気つけて」
「はいはい。任せて。」
「あった?」
「あったよ……でも、途中でボールペン拾ったんだけど、これって静先生のだよね?なんかバンドのやつ……」
「え、うん。いつ落としたんだろ。持ってて良いよ。……もしかして、ほぼ完全にリンクしてるのかな……?」
「……かもしれないね」
「充電器抜いたけど、そっちに変化ある?」
「うん、抜けたよ……え、嘘……」
自分の席に置いてあったキャラもののマグカップが、ひとりでに落ちて割れた。職員室じゅうの、いや正確には私の机から出口方向の直線上に位置する机に置かれたプリントやらペンやらがいきなり散乱し始める。
「どうしたの!ゆかちゃん!ゆかちゃん!」
返事はない。切れてしまっている。…………
まさか、化け物が……
ドアが開かない。職員室の入り口であり、さっきまで友香子が居た場所に最も近い出口である、ドアが。
つまり、それは、
背筋がざわざわと騒ぐ。嫌な予感が駆け回る。いや、最早予感ではない。そこが開いてなければ、外には、出れていないということだ。
足元で、私からの着信を訴える友香子の携帯が、電池切れにより止まった。
五分。床に散乱した紙が、ぐしゃぐしゃシワが入る。そこにまだいることを安堵したが、その歪み方や破れ方で、きっとのたうっているであろう事がわかる。どうすればいい?何が出来る?
十分。突然地面にゲロが撒き散らされる。デスクにびったりとこびりつき、生暖かく酸味の強い臭いが鼻をつく。周りなんて全く眼中にないかのようにとにかく吐きちらかされている、固形物が見られない吐瀉物。そんなモノにホッとする自分が、情けないし悔しい。でも友香子はまだ生きてるみたいだ。どうか出来るだけ無事でいてほしいと祈りながら、私はそれを片付け始めた。拭いて、掃いて、洗って。最後の方は、むせかえるような胃酸の臭いに耐えながら。結局、不安と彼女のゲロのに耐えきれず、トイレで吐いた。食べたものを全部吐いても、それでも汚く吐き出した。なんだろうか?これは。やたらに吐き気がする。
私は携帯から鳴る機械音に起こされる。どうやら、トイレで気を失っていたようだ。
「……全く、私の方が心配しすぎでダウンするとは……うぅ……」
胸のムカつきを意識的に無視しながら、電話を見やった。着信アリで震えていたようで、友香子の名前が、暗いトイレで明るく輝いていた。
私は、急いでそれをとった。
「……静先生?」
良かった。いや良くないが、友香子の声だ。
「ゆかちゃん?大丈夫だったの?」
「静先生!良かった、怖かった、痛くて、つらかった。」
涙声で濁った口調で、早口に捲し立てる友香子。
「触られて、のし掛かられて、そこがずくずくして、静先生、徐々に、痛くなって、痛くて、でも逃げられなくて、びりびり痛くて、それで、先生、胸が苦しくなって、なんだか、それで、腐ったような、千切れたような、突き刺さったような、痛みで、それで、ゲホッゲホゲホッ」
不安と恐怖にまみれた友香子は、何かから逃げるように声を次いだが、突然咳き込んだ。
「大丈夫、ゆかちゃん、一旦落ち着いて、水でも飲んで?」
「違うの、先生。違うの。もう駄目、無理。あんなの、無理。いや。日が射すの。もういや。消えたけど、またくる。朝。嫌だ。嫌だ。」
泣きじゃくり、泣きじゃくり掠れた言葉を送ってくる。パニックで、痛くて。
「友香子!落ち着きなさい!絶対に早まっちゃ駄目!」
私が友香子を遮ってようやく、その言葉は止まった。
「絶対動かないでね!今、コーヒー入れてあげるからね。どこにいるの?」
トイレを出て、職員室に向かう。
「先生と同じトイレ……」
「わかった!」
「……落ち着いた?」
「うん……ごめんね、静先生」
すごく弱々しく、ぼそぼそとした覇気のない声になってしまった。落ち着かせたのはいいけれど、何とか、こっちに戻してあげないと駄目だ。友香子の言う通り、朝が来ればきっとまた化け物が現れる。下手したら発狂死すらしかねない。
「いいのよ。……でも、朝が来る前に何とかしなくちゃね。奴等がどこから来るのかもわからないし」
「少なくとも、トイレの中には出ないんじゃないかな。あいつらはドアを明け閉め出来ないみたいだから、ワープでもしない限り、トイレは安全だよね。昨日は、トイレにはいなかったし。……ドアの開閉で出入りはしたけど。……それに、もしワープするなら、そんなの、どうしようもなくて、終わりだしね」
「……そう、ね。じゃあ友香子、職員室の前のトイレに隠れてて。私は、コンビニで食べ物買ってくるからさ」
「うん……」
「じゃあ、一旦切るからね。」
「……静先生。もし、私が死んじゃったら、この事を皆に伝えてね。あの、体験とか、全部……」
「……そんなこと考えないの。行けたって事は、戻れるって事なんだからね。」
「……うん。じゃあ切るね。……また、かけさせてね。」
「約束よ。」
通話が終わり、職員室のドアがひとりでに開いた。ほんの数十センチの通話、なんでこんなことになったんだろうか。
頭を捻っても、何もわからない。民俗学も神隠しもまるで見当がつかない。というか知らない。
私は、どうしようもなく数学教師だった。
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