8 ポメルの村で

 霧の狼を駆って北へ、ひたすら北へ。

 北大陸を越え、そのさらに北にある極北の大地プルリタニアを目指す。

 極光はその地でしか見られないから。稀に北大陸最北端で見られることはあるが、そんなわずかな可能性に賭けるよりは確実性を選ぶ。

 その道の途上で立ち寄った、とある村での出来事。

「ティア、今日はこの村で休もうか」

 夕暮れの橙色の明かりが辺りを照らし出す。セインリエスが見詰める先には村らしき光景。

 ティアは病人だから、出来るだけ野宿はさせたくないというセインリエスの判断だった。

 うん、とティアは頷く。

 そして霧の狼の引くそりは、ついにその村に辿り着く。

「わぁっ、神様だぁっ!」

 村に着いた途端に聞いた、第一声。そう言えば霧の狼も凍霧のそりも戻していなかったなと気付き、慌てて戻そうとするがすでに遅い。彼とティアは子供たちに囲まれていた。

 ふわっふわの茶色の髪の毛の男の子が、その目を純粋な好奇心に輝かせていた。

「あのね、ぼく知ってるの! 霧の狼と凍ったそり! それってね、霧の神様のシンボルなんだよー!」

「あ! あたしも知ってるー!」

 男の子の隣、金の巻き毛の女の子が元気に声を上げた。

「でね、そんなの魔法で作れるわけないの。だからあなたは霧の神様なのー! なのなの!」

「……水の魔法では霧は生み出せない。そもそも霧を人工的に作り出すことなど不可能だ。ましてや霧を凍らせてそりを作ったり、霧に実体を持たせて狼として使役することなんて。そんなことが出来るってことは……あなたは本当に神様なのか」

 静かな声と同時、子供たちの後ろから、黒い髪に青い瞳の、クールな雰囲気の少年が現れた。

「ようこそ、ポメルの村へ。こんな辺境に神様が何の用だ? この先には何もないぞ?」

「極北の大地プルリタニアに行くんだよ。でももう日は暮れた。だから一晩だけ、泊めてほしいと思ってね?」

 それにしてもいい村だねぇと彼は辺りを見回した。

 のどかな雰囲気の村だった。村人たちも皆明るく純朴そうで、暗く排他的な雰囲気のあったティアの村人たちとは全然違った。

 そんな空気を感じるのか、ティアは顔を輝かせて、辺りをきょろきょろしている。

「神様がこの村に泊まるの?」

 茶髪の男の子が嬉しそうな顔をした。

「ならねならね、村のおっきな集会所にね、そういったお客さんのためのお部屋があるんだよ。そこに行く? でもその前に! ねぇね、ぼく、いっぱいお話聞きたい!」

「あたしもー! 神様に会えるなんて、もうこの先ないかもしれないんだもん!」

 元気よく金髪の女の子も乗ってくる。

 わかったよ、とセインリエスは頷いた。

 そっとティアに問う。

「体調、大丈夫かい?」

 ええ、とティアは頷いた。

「この村にいると落ち着くんです。だから大丈夫。それに……私も聞きたいです、セインさんのお話」

「その子は……あなたの仲間なのか?」

 問う黒髪の少年に、

「いいや、大切な人だよ」

 愛おしげにセインリエスは答えた。

 そして子供たちに連れられて、村の集会所に向かう。

 その先でセインリエスは語った。天界で見聞きしたこと、数々の物語を。人間好きな闇神が関わった数奇な運命を持つ人間たちの話や、兄である風神ガンダリーゼの語った、まだ見ぬ様々な土地の話。傲慢だった時代でも、セインリエスはこの二人の言うことは聞いていた。兄はともかくとして闇神の話も聞いていたのは、闇神が自分よりも格上だからという理由だけではないだろう。

 強い力を持ちながら、決して驕らずいつもクールに笑っていた闇神。そんな彼にも憧れの念を抱いていたのかもしれない。

 子供たちはそんな彼の話を一生懸命に聞いていた。セインリエスは子供たちを喜ばせるために、霧の力を披露した。子供たちの反応はとても良く、セインリエスは満足だった。

 やがて、夜も遅くなり皆がうたた寝し始めると、黒髪の少年が子供たちを家に帰らせ、セインリエスらを客室に案内した。

「オレはラヴァン。ポメルの村で警備隊をやってる。何かあったら呼んでくれ」

「ありがとうラヴァン。君に灯台の祝福を」

 微笑み、セインリエスはラヴァンの頭に手を乗せる。乗せた手から光が溢れ出す。驚くラヴァンに「動かないで」と言い、しばらく。光の奔流はおさまり、セインリエスは手を退けた。

「ちょっとした魔法を掛けたんだ。僕は惑わす霧だけじゃない、導く灯台の神様でもあるからね。君がこれから何か迷ったとしても、その迷いから抜け出せるように」

 セインリエスはラヴァンの瞳に見る。その奥に、星の光が宿っているのを。

 その星の光が宿っている限り、ラヴァンは迷っても正しい選択をすることがだきるだろう。そんな魔法を掛けたのだ。

「ふふ、ちょっとした贈り物だよ。この村って本当に素敵だから……何かしたいなって思ってね」

「……ありがとう、ございます」

 ラヴァンは深く礼をして、部屋を出た。

 そしてセインリエスはティアと二人きりになる。

 部屋の窓からは星空が見えた。輝く真夜中のイルミネーションを眺めながら、セインリエスはティアが確かに今ここにいるのだと意識した。

 いずれは消えてしまう命だけれど、今はまだ、確かにここにいる。

 死をつかさどる北極星は確かに頭上に輝いてはいるけれど、死はまだ彼女に追いついていない。

 あと何回、その笑顔が見られるのだろう。あと何回、その優しさに温かさに触れられるのだろう。

 失いたくないから、セインリエスはティアをそっと抱きしめた。セインリエスの腕の中で、ティアは幸せそうに笑っていた。


 セインリエスは知らない。

 この穏やかで優しい部屋の外、物騒な話し声がしているのを。

「魔女だ」「殺す」「殺さねば」

 言葉に、ラヴァンはきゅっと唇を噛み締め俯いた。

「ラヴァン、やれるな? 警備隊なんだろう?」

「……ええ、当然です」

 クールな少年の青の瞳に、仄暗い灯りが揺らめいた。


  ◇

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