3 彼女の「強さ」

 ティアは確かに優しかったけれど、全てを拒絶して生きてきたセインリエスには、人間への接し方が分からない。初めて抱いた好感情に戸惑い、どうすることもできず、ついつい冷たい態度を取ってしまうことが多々あった。そしてそんな自分に対し罪悪感を抱き、沈む。そんな彼を心配そうにティアは見て献身的に世話をするけれど、長年染みついた習慣は中々消えない。

 彼に一番の打撃を与えたのは、力の喪失だった。力を失い、ただ人と成り下がること。それがどんなに大きな罰なのか、彼は強く強く理解する。

「私は……無力だ」

 ある日彼は呟いた。その日、ティアは怪我をした。山菜を取ろうとして、偶然にも熊に襲われたのだ。セインリエスは病み上がりの身体で彼女を守ろうとしたけれど、彼女の方が強かった。『セインさんは下がっていてください。動物への対処は慣れてますっ!』

 目をぎらつかせる巨体に対し、一歩も引かずに凛とした鋭い目でティアは相手を睨む。小さな身体のどこにそんな力があるのだろうかと思わせるような、圧倒的な覇気がその全身から噴き出した。

「私はティア、機織りの娘ッ! 私は確かに力ない女の子かも知れないけれど! それでもッ! ここから先には通させませんッ!」

 毅然とした態度に威圧され、動物はすごすご引き下がる。彼女の腕には長いひっかき傷が残された。

 力があれば、彼女を守れたのだろうか。力があれば、あの程度の動物、霧に惑わせ無傷でどこかへ追いやることなど朝飯前だった。なのに今の彼には力がない。己の無力を改めて理解し、彼は絶望した。

 セインリエスの言葉に、自分の傷の手当てをしながら、そんなことはないですよとティアは言う。

「無力なんかじゃありません! セインさん、そんな身体で私を守ろうとしてくれましたよね? 私、それだけでも嬉しいんです!」

 良かったら、聞かせてくれませんかと彼女は言う。

「セインさん、昔は大きな力を持っていたように見えるんです。どんな冒険をしたのでしょう、どんな日々を送ったのでしょう。この村から出たことのない私は、そういった『外の世界』の話が知りたくて……」

 セインリエスは顔をしかめた。思い出したくもない、傲慢だった頃の記憶。

 そんな自分の話をしたら、彼女が自分を嫌いそうな気がして。

「……話したく、ない。放っておいてくれ」

 嫌われたくないから、彼女を突き放した。

ティアは残念そうな顔をした。

「そうですか……。なら、いつかでいいです。話してくださったら、嬉しいです」

「済まない」

「変なこと聞いてごめんなさいね。……さて! 怪我はしましたけれど美味しい野菜が採れましたし! 今日のご飯は張り切りますよーっ!」

 気分を切り替え、彼女は元気よく笑った。

 何か手伝えることはないかとセインリエスが訊ねると、怪我人は休んでいてくださいと返事が来た。あんただって怪我人じゃないかという言葉を呑み込み、セインリエスは部屋に戻る。

 力を失った自分がもどかしかった。自分を助けてくれる彼女に何か恩返しをしたかったのに、力がないから、できない。

「……人間の身体というのは、無力なのだな」

 ぽつり、呟いた。

 そんな無力な存在なのに、彼女があんなに強いのはどうしてなのだろう?


  ◇


 ティアと過ごすうち、心の傷も身体の傷も癒えていった。最初はティアに冷淡な態度を取っていたセインリエスだったけれど、そんな態度も自然と柔らかくなっていった。

 ある日、セインリエスはティアに言った。

「私は……いや、僕は、実は神様なんだ」

 言ったのはほんの気紛れ。醜い過去なんて明かすつもりはなかったけれど。

 知ってもらいたいと、思ったのだ。明るく健気な彼女に。

 ティアはにっこり笑って、そうなんですかと答えた。

 そのあっさりした返しに驚いたのはセインリエスの方だった。

「驚かないのか?」

「驚きませんよ? だってセインさん、人間離れした印象がありましたもの!」

 私、こう見えて鋭いんですよと挑戦的に彼女は笑う。

「でもセインさんは今、力をなくしてる。それで無力を嘆いてる。神様の世界で何があったのかはどうでもいいです。私にとって、目の前に倒れている人がいた、それが重要なのです。傷ついてボロボロならば、神様であれ人間であれ精霊であれ、好きに居て下さって構わない。それが私のポリシーです!」

「……地上に落とされて最初に出会った人間が、君で良かったよ」

 彼女の言葉に、そう、セインリエスは笑って返した。

 神様に出会ったら、普通の人間は彼女のような態度は取れまい。過剰に敬うか、逆に得体の知れない存在として遠ざけるか。天界にいた傲慢だった時代に人間好きな闇神の話を総合すると、人間というのはそういった態度を取るものらしい。

 しかし彼女は違った。彼女は彼にも普通の人間と同じように接し、負った大怪我を治してくれた。そんなことができる人間が、一体どれ程いるだろうか。

 偶然に感謝しつつ、天界のどこかにいる運命の女神の采配なんじゃないかと訝しみつつ。彼はそっと語りだす。

「天界というのは不思議な世界だよ。この空の遥か彼方に天界はあってね、翼持つものしかたどり着けないし、翼持つ民アシェラルでも、辿り着く前に特殊な力で跳ね返されてしまう。天界というのは選ばれし者しか行き着くことのできない特殊な世界なんだ……」

 自分の悪行には触れないように気を付けつつ、彼は闇神や戦神などから聞いた話や自分の見聞きした話をティアに聞かせた。ティアは目を輝かせて、それらの話を聞いていた。

 

  ◇

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