桜の記憶

 とは言え、当の本人にはその記憶が抜け落ちているようだが。


「まぁ、ちゃんと逃げられるなら……」


 腑に落ちない様子で重く頷く桜に、俺も首肯を返してみせる。


 昨日までなら、逃げたら無理矢理でも連れ戻すなどと軽口を返してきていたはずだったが、今はそんなことを言い出す気配も薄かった。


 今回はこれまでとは何かが違う。


 桜もまた、そこに関しては真面目に察しているということだろう。


「……昼にも言ったけど、お前は自分の心配だけしとけ。今更俺なんかには気を遣うな」


「……うん」


 声だけで頷き、桜は僅かに笑う。


「で? このまま約束の場所に向かうつもりか? まだ時間には余裕ありそうだけど」


「じっとしてても落ち着かないから、先に行って待ち構えてやろうかなって思ってたのよ」


「ふぅん。まぁ、それはそれで良いだろうけど」


 何とはなしにぐるりと周囲を見やり、それから前方へ顎をしゃくる。


「なら行こうぜ。こっからなら急がなくても一時間ちょいくらいのはずだ」


「オッケー。でもタクシー使えばもっと早く着くよ」


「金ねぇよ」

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