第4話 怪しい影

 バルは何事ものなかったかのように日常に戻る。


 いつ発生するのか分からない異変に備えておくようなまねはしない。


 近隣の住民は素朴で大らかではあるが、つき合いの長さゆえにささやかな変化を感じとってしまうかもしれないのだ。


 したがってバルはいつものように日雇いの仕事をこなす。


 今日は薬草採取である。


 貴族街や一等エリアの住民が買うような高級薬ではなく、二等エリアや三等エリアの庶民が買う安物の材料だった。


 誰にでもできる仕事であるがゆえに身入りはよくなく、何らかの技能を持つ者がわざわざ受けることはない。


 だからバルは定期的に受けるようにしている。


 納品先は町の薬屋だった。




「助かるよ、バル。こんな地味で安い賃金をまじめにやってくれる奴、なかなかいないからね」




「こういう仕事をまじめにやらないと、私は生活できないからだよ」




 感謝の気持ちをあらわす薬屋の親父に、彼は謙遜して笑う。


 もちろん建前である。


 八神輝レーヴァテインの一角である彼に支払われている金額は皇族が受け取る年金よりも多いくらいだ。


 彼はそれらを慈善活動の費用に回し、自身は質素な暮らしをしている。




「複雑だなあ。いい年なんだからそろそろと思うが、こういう仕事をこなしてくれる奴がいなくなるのも困る」




 薬屋の親父は腕組みをして言う。




「せがれはどうだい?」




 バルの問いに親父は渋面を作る。




「ダメだね。町の貧乏薬屋なんてやっていられない、冒険者のほうが夢があるってね。バカなことを言うのは止めろと叱って大喧嘩さ」




「冒険者か……」




 バルは一応納得した。


 一等エリアで客を獲得できればまだしも、二等エリアで商売してもあまり儲からない。


 薬屋の親父も使い古したシャツにエプロンという、お粗末な身なりである。


 一方冒険者は死のリスクがつきまとう反面、成功すれば貴族階級に成り上がることも可能だ。




「当代皇帝陛下は立派なお方だが、冒険者制度の創設は余計だったと言いたくなるなあ」




 薬屋の親父は「おかげで息子が変な夢を見てこまる」とぼやく。




「冒険者制度って腕はいいものの集団行動に馴染めなかったり、組織的秩序が息苦しいタイプの受け皿を作って、最低限コントロールしようというのが、本来の狙いだったらしいがね」




 バルは皇帝を擁護するような発言をする。




「そりゃまあ、軍にいた経験があるような連中が野放しになって、賊になったり悪さをするのも困るが」




 薬屋の親父はうなずきながら言った。


 彼も別に冒険者制度を全否定したいわけではないらしい。 




(魔物が出没し始めたという情報はどうやらまだ知らないらしいな)




 バルはその話が一向に出ないため、まだ帝都の民は知らないと判断する。


 魔物との戦いが増えれば自然と薬の需要が増えるため、薬屋が何も知らないはずはないのだ。


 冒険者たちの情報伝達速度はまだまだ発展途上と見るべきだろう。


 もっとも皇帝の情報網が負けるのも困るのだが。




「バル、お前さんも何とか言ってくれないか?」




「私が言っても説得力なんて感じないだろうよ」




 薬屋の親父の頼みにバルは苦笑する。


 八神輝レーヴァテインの一角としての発言であれば、彼の息子も神妙に聞くだろう。


 しかし、うだつのあがらないおっさんの言葉など、まともに取り合ってくれるとは思えない。




「うーむ」




 薬屋の親父はもっともだと判断したのか、それ以上頼んではこなかった。


 バルは仕事を終えてゆっくり家に向かう。


 何気なく帝都全体と周辺の安全をさぐっているのだが、誰にも気づかれない。


 気づける者がもしもいるとすればそれは八神輝レーヴァテインのメンバーか、同等の実力者だろう。


 だが、彼らは今帝国の各地に散っていて、帝都に残っている戦力は皇族の近衛騎士と、帝都防衛を任務とする騎士団くらいだ。




(……魔物が空から接近しているな。数は二〇〇〇前後か。数キロほど離れた位置から、集団召喚されたな)




 バルはいつものようにふるまいながら魔物の気配を感知し、さらに大ざっぱに分析していく。


 帝都はまだ彼しか気づいていなかった。


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