第33話 アナタにしかできない、けれど一人で戦わせはしない



 扉の向こうは無機質な壁に囲まれていて床には魔法陣が淡く光っている。薄暗いその部屋の中心、魔法陣の上にフィオナとローガンはいた。


 ぱっと光が強まったかとおもうと一瞬、視界が白くなる。カナリアは思わず目を瞑った――それと同時に咆哮が響く。


 目を開けばそこにはローガンではない人物が立っていた。灰髪を一つに結った痩せた男はげらげらと笑い始める。


 ローガンであっただろう男は振り返り、カナリアとノアを見つけて少しだけ目を開いたがにやりと笑みを作った。



「これはこれは、カナリアご令嬢様とノア王子ではないですか」


「ローガン先生……いえ、違うわ。貴方は……」

「えぇ、違いますよ。ワタシはローガンなどという男ではない」

「ならいったい……」


「残念ながらワタシは自分語りなどしないのですよ、王子。まぁ、でも少しだけ話しましょう。ワタシはマシュー、この国にムハンマドに恨みを憎しみを持つ者です」



 気持ち悪い笑みを浮かべながら男はそれだけ言って、これ以上は語る気はないといったふうにただ笑う。


 暫く睨み合っているとみしりと部屋が軋む音がした。カナリアは理解した、邪竜は復活してしまったのだと。


 男はにやけた顔を二人に向ける。彼がマシューで間違いない、ゲームで見た姿と同じだ。カナリアは冷静に相手のペースに飲まれぬように構えの姿勢を取る。



「復讐かしら?」

「そうなりますねぇ」

「もっと他にやりようがあったと思うのだけれど?」

「この学園は国の宝、ムハンマドにとって生徒たちは大事な我が子。他にはないでしょう、こんな素敵な舞台は」



 確かにこの学園を壊すような行動は国にしてみれば打撃になるだろう。隣国の民たち、王子を受け入れているのだからこの国だけの問題ではなくなる。


 ムハンマドも生徒を我が子のように想っているのだから、そんな生徒たちに何かあれば彼の心は軋むだろう。


 考えは分かったけれど理解はできない。けれど、カナリアは煽るようなことは言わず、構えを取りながらマシューを見つめた。



「フィオナさんを返してくださるかしら?」

「扉から離れてくだされば、神子は渡しますよ」



 マシューはワンドをフィオナに向ける。彼の条件を飲むか、カナリアは眉を寄せるも構えの姿勢を解いた。ノアのほうを見遣れば、彼も考えが一緒なのだったのかゆっくりと扉から離れていく。


 二人が扉から離れたのを確認し、マシューはワンドを振り一気に駆けだした。ばちりと電流が走ってフィオナが苦しむ。それを見て二人は彼女のほうへと駆け寄った。


 二人がフィオナの元にたどり着く頃にはマシューは扉の向こうへと行ってしまっていた。自身がより安全に逃げるためにやったのだ。


 フィオナは軽く痺れてしまっただけのようだ。カナリアが抱き上げ、声をかければ瞼を震わせながら目を開かせる。



「か、カナリア様……ノア様まで……」



 フィオナは身体を起こして二人のほうへと向き直る。身体の調子を聞けば、少し頭がぼーっとするぐらいで問題ないと返ってきた。


 彼女が無事だったとカナリアはほっと胸を撫で下ろす。ゲームでも無事は確認されているのだが、いざ目の前で起こると不安になるものだ。


 ふと、建物が大きく揺れた。そうだ、邪竜が復活したのだったとカナリアは慌てて立ち上がる。



「とにかく、外に!」



 カナリアは二人に声をかけて駆けだした。


 急いで階段を駆け上がって大図書館を抜けていく。外通路まで出てみれば、瓦礫の散らばる光景に息を呑むと咆哮が頭上から聞こえて三人は見上げる。


 それは黒い巨体の竜だった。低空飛行しながら暴れ、瞳は赤く濁っている。生徒たちは逃げまどい、教師陣は避難誘導をしている者と竜を降ろさんと防衛している者で別れていた。


 荒れる惨状にノアも、フィオナも言葉が出ない。カナリアはあの竜が邪竜、サナトスリラであるのを理解する。


 邪竜は防衛する教師陣の魔法を受けながらも、地上に降りようとするのを諦めはしなかった。まだ、戦闘のできない生徒たちの避難は終わっていない。今、地上に降りられては被害は免れない。


 教師陣は必死に防衛をしていた。戦闘のできる上級生も、生徒の避難誘導を手伝っている。



「フィオナ!」

「カナリア様っ!」



 声がしたほうを振り向けば、涙目のシャーロットとクーロウ、リオがいた。彼らはカナリアたちのほうへと駆け走る。


 どうやら、上級生であるリオが二人の避難誘導をしていたようだ。クーロウはフィオナの無事を確認して安堵したふうに息を吐く。シャーロットは泣き出しそうな声を上げながらカナリアに抱き着いてきた。



「カナリアさま~」

「ワタクシは大丈夫よ、シャーロット。心配かけてごめんさなさいね」



 そう優しく返事をしてカナリアはシャーロットの頭を撫でる。シャーロットは「心配したんですよ~」と、涙声で言っていた。



「此処は危険だ、とにかく避難を」

「リオの言う通りだ、カナリア」



 リオの言葉にノアは同意するように頷く。けれど、カナリアは動こうとはしなかった。抱き着くシャーロットを離し、フィオナのほうへと向き直る。



「フィオナさん、アナタにお願いがあるの」

「わ、私にですか?」

「竜の神子として、あの竜の動きを止めてほしい」



 カナリアの言葉に傍にいた全員が驚いた。今、彼女はなんと言ったのかと。


 竜の神子の力なくして、邪竜サナトスリラを止めることはできない。カナリアはこれがラストバトルであることを知っている。


 緊急伝達の魔法によって、王都に連絡は行っているだろう。魔導士団や騎士団が動き出しているのは当然だ。けれど、間に合わないことも知っていた。


 この世界にある転移魔法というのは便利なものではない。よくあるゲームのように一度行ったことがある場所に瞬時に移動できるといものは存在しないのだ。


 物と物を交換する転移魔法というのはあるが、それで生き物を移動させることはできても、人間をそれも大人数は無理なのである。


 学園は王都から少し離れた森の中にある。遠くもなく、かといって近くもない距離だ。魔馬を使っても時間はかかる、待っていては遅いのだ。



「む、無理ですよっ! 私、出来損ないなんですもんっ」



 フィオナはぶんぶんと首を左右に振る。自身は何もできない、竜の神子であるのもおかしいぐらいなのだと。


 竜と心を通わせることができない、何度やっても言葉が分からない、伝わらない。父に何度として出来損ないと言われたか。


 彼女の身体は震えていた。思い出したのだ、父の厳しい指導と言葉の数々を。



「アナタは出来損ないなんかじゃないわ」



 強く、はっきりとした声が響く。フィオナの目に映るカナリアは真剣で、その瞳は迷いも嘘もなく綺麗な色をしていた。



「出来損ないの人間が、戦う力もないのに友を守るような行動をとるのかしら?」


「そ、それは竜の神子とは関係が……」

「あるわよ」



 カナリアはフィオナの肩を掴む。強く、それでいて優しく、言った。



「いいこと。アナタは自身よりも、強いモノに立ち向かう勇気があるの。アナタが怯えていては、怖がっていては、竜に言葉が通じるはずがないわ」



 怖がっている、怯えている者の言葉を竜が聞くわけがない。弱き心の持ち主の言葉など通じるはずもなかった。


 怯えている、恐れているだけなのだ、フィオナは。もちろん、竜を恐れる気持ちも分からなくもない。彼らは巨体であり、強力な存在である。


 それが悪いことではないけれどずっとそうやっていては前には進めないのだ。



「アナタは竜の神子として生まれてしまった。それは変えられることのない運命。それから目を逸らしたい、そう思うのはしかないこと。でもね、アナタにしかできないことなの」



 竜を止めることも、交渉することも、竜の神子であるアナタにしかできないこと。それには大きな勇気が必要になる。でも、今のアナタなら、レッドサーペントに立ち向かうことができたアナタならできる。


 フィオナは分からないといった表情を見せた、きっと、そんな勇気が自身にあると言うのだろうかと思っているのだろう。でも、カナリアの瞳を真剣な眼差しを見て、どうしたらいいのか迷っているように俯いた。



「フィオナっ!」



 聞きなれた声にフィオナは振り返った。腕に包帯を巻いたルーカスとベルフェットが駆け寄ってきたのだ。


 フィオナはルーカスの無事に安堵したふうな表情を浮かべる。そんな彼女をルーカスは抱きしめた。



「よかった、本当によかった……」

「ルーカス様……」



 彼は心の底から心配していたのだ、フィオナの無事を。それが、温もりとなって伝わってくる。


 そんな空気を裂くようにドゴンという音が響く。邪竜の吐いた炎の玉で建物が崩れたのだ、もう残された時間はない。



「フィオナさん」



 カナリアに見つめられてフィオナは瞳を迷わせる。そんな様子にルーカスがどうしたのだと問う。ノアが説明すれば、そんな危険な事をとカナリアを睨んだ。



「フィオナよ、わしからも頼まれんだろうか」

「ムハンマド学園長っ!」



 いつの間に現れたムハンマドが立っていた。彼はカナリアと同じように考えていたのか、彼女を探していたようだ。



「助けがくるまでの間、此処を持ちこたえねばならない。それには君の力が必要なのじゃ」


「で、でも……」

「君が交渉している間、わしが命をかけて守ろう」



 ムハンマドの言葉にフィオナは口を噤む。ムハンマドは守り人であったにもかからわず、この被害を出してしまったことに罪の意識を感じているのだろう。


 フィオナは迷っているようだ、自身に本当にできるのかと。カナリアはそっと彼女の頭を撫でた。



「大丈夫。アナタは一人ではないの、ワタクシがついていますわ」



 一人ではない。カナリアの言葉にフィオナははっとする。


 カナリアは腕につけている籠手に魔力を籠める。ぼっと淡く光り冷気を帯びるそれに、彼女も戦うのだと気づいた。



「一人で戦わせたりはしない。ワタクシもアナタと共に戦うわ」



 その一言で、フィオナの心は決まった。


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