第69話 春のように

春の農道は気持ちがいい。

暖かい日差しを浴びて、家族でのんびりと散歩をする。

道端を小さな花が彩り、冬の間、ひっそりと息いていた命が目覚め、その息吹を感じさせるように躍動する。

「春だなぁ」

こーすけ君が、春を味わうみたいに目を細めて言う。

日ごと野山は生命力に満ちていき、色彩も音も賑やかになって、目も耳も春を感じ取る私達は、自ずと顔がほころぶのだ。

こーすけ君の柔らかな笑み。

都会に住んでいた頃は、気温やファッションで季節の変化を感じることが多かったけれど、ここに来てからは、山や田畑、空と生き物たちが季節を教えてくれる。

四季とはこんなに豊かで、こんなにも多彩な表情を見せるのかと、毎年のように驚かされ、そしてそれを家族で繰り返していくことに喜びを感じる。

でも、考えてみれば私達の生活は、毎日が春のようだ。

夏の激しさも、冬の厳しさも無くて、穏やかで、ゆったりと笑顔に満ちた日々が過ぎていく。


我先にと、いちばん前を歩くのはタマちゃん。

隣には網を持たされた孝光たかみつ

ちょっと遅れて孝矢たかやが続き、そのたくましくなってきた長男の背中を見ながら、私と花矢かやは手を繋いで歩く。

後ろには、こーすけ君と月菜つきな

お母さんとコサバは家でお留守番。

空を見上げると、雲雀ひばりがどこまでも高く舞い上って、その青に飲み込まれそうになりながら、ぴーちくぱーちくとさえずりを響き渡らせている。

立ち止まった孝光が、足元を見る。

そして雲雀を追うように空を見てから、何か大発見をしたみたいにタマちゃんの腕を強く引いた。

「地面におそらの色」

孝光が指さしたのは、道端に咲く小さな青い花。

「それはオオイヌノフグリです。憶えておきなさい」

タマちゃんが生物教師の顔になって説明する。

「ヨーロッパ原産の帰化植物で、日本に入ってきたのは……」

うーん、小さい子供にそんな説明はいらないんじゃないかなぁ。

「因みにフグリとは睾丸こうがんのことです。つまり、でっかい犬のキンタ──痛っ!」

こーすけ君が神速でタマちゃんに駆け寄り、その頭を叩く。

毎度、お馴染みの光景。

タマちゃんは待ち構えるようであるし、こーすけ君は手のひらで押すように優しく叩くだけの、そんなやり取り。

「大きな犬の、キンタ……ロウ?」

孝光はつぶらな瞳で問う。

孝矢はニコニコするのみで、月菜は目を逸らす。

「孝光は感性豊かだなぁ」

しゃがんだこーすけ君は、孝光の頭を撫でる。

そうか、ありふれた雑草の小さな花に、空の色を見出したんだよね。

ちょっと親バカなところはあるけれど、こーすけ君がいつも子供を褒めてくれるから、私は安心して叱ることが出来るのだ。

「かんせいゆたか?」

「優しい気持ちがいっぱいってことだよ」

それって、こーすけ君のことじゃないかな。

こーすけ君は、いつも私の笑顔に助けられてきたって言うけれど、本当に笑顔が必要なときに笑ってくれるのは、いつだってこーすけ君の方だよね。

目尻に小皺こじわが増えたなぁ。

日差しを浴びての農作業、そして優しい笑顔が、その一本一本に刻まれている。

結婚した同級生、近所の奥様方は、夫に対する愚痴に余念がないけれど、私には不平不満が思い当たらない。

毎日が春みたい。

「どうした?」

ほら、私は笑っているだけなのに、こーすけ君はその意味を探ろうとして問い掛けてくる。

我が家がずっと春みたいなのは、こーすけ君のお蔭なんじゃないかな。

感性豊かという言葉の意味を、優しい気持ちでいっぱいと表現できる夫が、私は大好きだ。

「はーるの小川はーさーらさーら──」

タマちゃんが歌を口ずさむ。

相変わらず音痴で、タマちゃんが小学校の教師にならなくて良かった、なんて思ってしまう。

でも、タマちゃんの心の中も、春でいっぱいなのだろう。

ねえタマちゃん、歳を取ることをマイナスのことのように思う人がいるけれど、私達は幸せを重ねてきたよね。

大切な日々を積み上げていって、雲雀の囀ずる高い空みたいに生きる意味が広がっていったよね。

「春だなぁ」

さっきのこーすけ君みたいに、私も思わず呟く。

「春ですねぇ」

タマちゃんが返す。

「でも……」

あれ? 何か心配事でもあるのかな?

「最近、孝介さんのエイリアンが猛々たけだけしくないのです」

そんな心配か!

……でもまあ、目尻の小皺もそうだけど、そっちも猛々しいより優しく見えていいんじゃないかな?

こーすけ君に言ったら落ち込みそうだけど。


少し歩き疲れたのか、花矢がぐずり出す。

「ほら、花矢」

こーすけ君がそれに気付いて、花矢をおんぶする。

もう、そうやって直ぐに甘やかす。

でも、他の三人の子達も同じか。

こーすけ君が甘やかしても、ちゃんといい子に育ってくれている。

ぽかぽかと暖かい日差し。

私とタマちゃんも、それに包まれているのだ。


無人販売所に立ち寄る。

小さな木箱にお金を入れると、花矢が二回、手を叩いた。

神社のお賽銭箱さいせんばこと勘違いしてるのかな。

タマちゃんがそれに気付いて、チョーカーの鈴を鳴らしてみせる。

以前のように頻繁に着けているわけではないけれど、最近、新調してもらったそれは、最初のチョーカーとほぼ同じデザイン。

暮らしは豊かになっても、私達の欲しいものは変わらない。

日溜まりみたいなあなたと、日溜まりみたいな生活。

こーすけ君が背中から花矢を降ろし、私に手を伸ばしてくる。

あれ? 私、手を繋いでほしそうな顔したかなぁ。

でもまあ、実は手を繋ぎたかったんだけどね。

そっと包むように握られて、私は年甲斐もなくテレる。

ガサガサの逞しい手は、私の望む最も心地いい強さを知っている。

強く握ってほしいときは強く、今は柔らかく体温が伝わるように。

その優しさに、私はいつでもときめくのだ。

ほら、欲しいときにくれる笑顔も、いつも私を春のような温かさで満たす。

そして──

「ああっ!」

私達に気付いたタマちゃんが駆け寄ってくる。

さあ、タマちゃんも手を繋ご。

私達家族は、いつだって春の日溜まりの中にいる。

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