第68話 妻VS娘

「孝介さん孝介さん」

縁側でコーヒーを飲んでいると、居間で月菜の相手をしていた美月が、慌てたように俺を呼んだ。

「どうした?」

この春、小学生になったばかりの月菜が、少しふんぞり返っているのは何故だろう?

「月菜を叱ってやってください」

確かに態度はデカイが、別に悪さをした様子は無い。

「なんでだ?」

月菜は、ちょっと小生意気で我の強い面はあるけれど、それだって美月に似ていて可愛いと思う。

まあ俺が親バカなのは自覚しているし、目に余るほどなら叱らなければならないが。

「将来、パパのお嫁さんになるなどと世迷い事を」

「そんな可愛らしいことを言う娘を叱れるか!」

月菜が「にぱー」っと嬉しそうに笑うのを、視野の隅でとらえる。

「可愛らしい? 近親相姦、ファザコンロリコン親子になるのを見過ごすわけにはいきませぬ」

「ならねーよ! 幼い娘によくある願望じゃねーか!」

美月はきょとんとした顔になる。

「父親と結婚したいなどと思ったことはありませんが?」

いや、まあ美月の境遇を思えば仕方の無いことなのだが、俺は月菜に愛情を注いでいるからなぁ。

美月をそのまま、幼くちっちゃくしたような姿。

性格まで似ていて無愛想で慳貪けんどん、そのくせ俺にはあからさまに甘えてくる。

そんな娘を愛さずにいられようか。

月菜がパタパタと俺に駆け寄ってきた。

「お父様」

ぐはっ! なんだこの破壊力は!?

月菜は頭が良くて、普段から「お父さん」と呼んだり、「パパ」と呼んだり、状況によって使い分ける。

だが、「お父様」と呼ばれたのは初めてだ。

「月菜は将来、お父様と結婚しとうございます」

ヤバい!

月菜の可愛らしさもヤバいが、美月の冷たい視線もヤバい!

その目は、まるで俺が娘をたぶらかしたかのように、無言の圧力を持って責め立てる。

「月菜、いったいどれだけ歳の差があると思ってるんですか?」

そこかよ!?

いや、ファザコンロリコンを責めるより、歳の差で言い聞かす方が無難か。

「でもお母様、愛に歳の差は関係無いと」

「もちろん、歳の差どころか性の差、次元の差すら乗り越えます」

いや、二次元と結婚した猛者もさもいる、という話を耳にしたことはあるが、お前がそれを肯定してどうする。

「だったら!」

「残念でしたぁ。親子は結婚できないのですぅ」

美月、お前、娘に対抗意識を燃やしてるだけなんじゃ……。

「法律なんてクソくらえです!」

「月菜! そんな汚い言葉を使ってはいけません!」

そっちかよ!? 遵法じゅんぽう精神は!?

「月菜は知ってます!」

「何をですか?」

「本当は、二人の女性と結婚できないことを」

ドキッ!

我が家が普通の家庭と違うことは、幼稚園に通い出した頃から言い聞かせている。

一般的では無いけれど、特別な、とても大切な形であると教えてきた。

大人ですら、理解してくれない人は沢山いるだろう。

まだ小学校に上がったばかりの月菜に理解できるとは思えない。

それでも何度も丁寧に説明してきたのは、変わった家庭環境が原因で、月菜がいじめられるのを防ぐためだ。

要は、うちのことを外で言い回ったり、余所よそとの違いに戸惑ったりしないように、というのが狙いで、この歪な愛の形を理解するのはもっと先の話になるだろう。

「月菜は、お母さんが二人もいて幸せです」

え?

「他の子より、二倍は幸せなのです」

月菜……。

「変な家なんて言ってくる男子は叩いてやりました」

月菜は、ちゃんと判ってくれてるんだな。

俺達が、どれだけの愛情を注いでいるか。

どれだけお前を大切に思っているかを。

「乳魔──いろはちゃんも味方してくれました」

いろはにも、感謝しかない。

なのに美月、お前は娘に乳魔人などという言葉を聞かせやがって。

「月菜、あなたの言い分は判りました」

あれ?

「十年経ってもその気持ちが変わらないなら、孝介さんと結婚すればいいです」

月菜が輝くような笑顔を浮かべる。

「おい、いいのか?」

美月の意外な言葉に驚く。

「どうせ十年も経てば、自分の愚かさに恥ずかしくなるでしょう」

どういう意味だ?

「お父さん臭い、お父さん汚い、もう、お父さん近寄らないで、などと言うに決まってます」

「決まってねーよ!」

いや、でも、ちょっと不安だなぁ。

「そうなったら、まあ私がいるではないですか」

そう言って笑う美月は、歳を取っても可愛いままなのだけど、やっぱり娘と張り合ってるんじゃ……?


月菜の綺麗な黒髪を、美月がくしいてやる。

「ににんが」

「し」

「にさんが」

「ろく」

「にしが……」

柔らかく落ち着いた美月の声と、鈴の音みたいな月菜の声。

俺はひざにコサバを乗せて縁側に座り、二人の姿を見るとはなしに見て、二人の会話を歌声を聴くように聞く。

さっきまで言い争っていたのに、仲睦まじく勉強をする二人。

小学校一年生で九九を教えるのは、ちょっとスパルタかなぁと思うが、月菜なら習得してくれるだろう。

「にはち」

「そば?」

うっ、なんて可愛らしい。

先日、二八蕎麦そばか十割蕎麦のどちらが美味しいか、美月と議論したのを聞いていたのだろう。

我が娘は頭が良すぎて、あらゆる知識を吸収し、その整理が追い付かないのだ。

「じゅうろく、でしょ」

「じゅうろく」

「そう、にはちじゅうろく。はい最後、にく」

「どれい!」

!?

「あいたっ! なんで私が叩かれるのですか?」

驚くと同時に、俺の手は美月の頭を叩いていた。

「にくじゅうはちだろうが!」

「だからなんで私が?」

「にくどれい、なんて言葉をお前以外から学ぶわけねーだろ!」

美月は目を泳がせた後、何かひらめいたかのように自分の膝を叩いた。

「こら月菜、勝手にお父さんの秘蔵のコレクションを見ちゃダメでしょ!」

「勝手に俺のコレクションを捏造ねつぞうしてんじゃねーよ!」

頭がいいだけに、どんどん無駄な知識をつけていく娘が心配なのに美月ときたら……。

でもまあ、ヘンな知識が豊富になるのも、親子で似てると言えるのかも知れない。

そう考えると微笑ましく……ないよなぁ。

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