第66話 いつかはハーレム?

「随分とご機嫌斜めね」

近所の溜池、ぽかぽかと暖かい日差し。

二人で釣り糸を垂れているのに、美月ちゃんは拾った小石を水面に投げ込んだりする。

これでは魚なんて釣れるわけがない。

ぽちゃんという音を何度か繰り返して、ついにはボチャンという大きな音に変わったので、私はたまりかねて尋ねたのだが。

「育児ノイローゼです」

予想外の答が返ってきた。

美月ちゃんがしているのはサポート程度のはずだし、その赤ちゃんも、美矢ちゃんに似てあまり手のかからないように見えたけど。

「そんなに大変なの? 三人が協力し合って上手くやってるみたいに感じるし、美矢ちゃんのお母さんもいるでしょう?」

実際、たまに、というか頻繁ひんぱんにだけど、孝介の家を訪ねてみれば、新しい家族を含めて和気藹々わきあいあいとしているように見える。

「あの優男やさおとこは思っていた以上に子煩悩こぼんのうでした」

ぽちゃん。

また水面が小さな波紋を描いて揺れる。

なるほど、これはアレだ。

孝介が子供にばかり夢中だから、相手をしてもらえなくてねているだけだ。

育児ノイローゼとは全く違う。

「あなた、教師でしょう?」

もうすぐ三十になるというのに、美月ちゃんは相変わらず可愛らしくて、どこか子供っぽい。

「いかにも、タマちゃん先生とは私のことですが」

いや、教師のくせに拗ねてるからあきれてるだけなのに、えっへんと胸を張る。

「花凛ちゃんも、ずっとこんな気持ちを抱いてきたのですね……」

「一緒にしないでよ! ていうかあわれみの視線を向けないで!?」

アレか? 私はずっと、孝介に相手にされなくて拗ねてる女に見えてるのか!?

「どうぞ」

え、いや、何?

私の手を包むように石を渡されたけれど!?

「穏やかな池の水面を掻き乱すことで、乱れた自分の心に平穏が訪れるのです」

何かの宗教!?

……ただまあ、私ももう四十を過ぎたわけで、歳を取って落ち着くどころか、寧ろ心に細波さざなみが立つというか、余裕が無いというか。

ぽちゃん。

こんな綺麗な波紋じゃなくて、もっと乱れてるのよねぇ……。

えいっ。

ぽちゃん。

おりゃ。

ぼちゃん。

うぉりゃあああ!

どっぽーん!

……はっ!? 私は何を!?

「どうぞ」

更に大きな石を、美月ちゃんは笑顔で手渡してくる。

「あら、ありがとう。じゃないわよ! 何やらすのよ!」

「でも、さっきの花凛ちゃんは、確かな憎しみを水面にぶつけてましたが?」

「ぐっ!」

別に反論できないわけじゃない。

少なくとも孝介は絡んでいない。

ただ、歳を重ねてくると、る瀬無さというか、今までの歳月が無為に思えてきたりして愚痴っぽくなったり、これからの歳月に不安を覚えたり……。

「花凛ちゃんは、どうして結婚しないのですか?」

え? いや、どうしてだろう?

端的に言えば、いい男がいなかったから?

「花凛ちゃんならモテると思うのですが」

まあ、交際を申し込まれたことは何度かある。

デートみたいなことも何度かしたけれど、どれもピンとこないというか、寧ろ苦痛だったというか……。

相手が孝介だったらどうだった?

でも、孝介ってそんなにいい男だろうか?

人目を引くタイプじゃないし、割と平凡な男よね?

そりゃあ、そこそこ優しくて、そこそこ努力家かもだけど?

あとは少々の我儘や甘えは受け入れてくれそうな懐の深さみたいな?

飾らなくても素の自分を評価してくれそうなところ?

照れ臭そうな笑顔も悪くないし、幾つになっても頼りなさそうなところも逆に惹かれるかも?

そのくせいざとなったら一所懸命だし、美矢ちゃんや美月ちゃんを見てると、愛され守られてるなぁ、って思う。

だから、結婚式の時に、想いは思い出にした。

三人を見てても嫉妬はしないし、幸せそうな孝介を見てると、こっちも幸せな気持ちになれる。

だけどそれ以降、色んな男性と知り合ったものの、一周回って孝介をまた見てしまってるような?

つまりは誠実で、ちょっと不器用だけど頑張り屋さんなところとか、けっこう好きなのかも?

しかも高校時代から変わらない真っ直ぐな人間性と、優しい目に優しい声。

花凛って呼ばれたら、今でもちょっとドキッとしたりして?

この間なんて、花凛はいつまでも若くて綺麗だな、なんて言っちゃってヤダもう好きぃ。

「花凛ちゃん花凛ちゃん」

花凛ちゃんじゃなくて花凛って呼んでぇ──はっ!?

「わ、私、何を!?」

「大丈夫ですか? いま目が天国の方を向いてましたが?」

「て、天国って、どっち!?」

「たぶん方向ではなく視点だと」

「も、もう、何をわけの判らないこと言ってるの! 美月ちゃん大丈夫?」

「……花凛ちゃんこそ、ぶっ壊れてませんか?」

「ぶっ!? 嫌ねぇ! 私は冷静沈着で通ってるのよ?」

「いいのですよ」

……へ? 慈愛?

美月ちゃんの笑顔が、慈愛に満ちてる!?

「な、何がいいの?」

「無理しなくても」

ちょ、ちょっと、何で優しく肩なんか叩くのよ?

「そう言えば、釣れませんでしたねぇ……」

苦笑しながら、しみじみとした口調で言う。

「は? まだ釣りをしている最中じゃない」

「花凛ちゃんとは、こうして何度も釣りに来ましたが、孝介さんより立派な魚は釣れず仕舞いでした」

そりゃあ……百年くらい生きている鯉は、その辺の人間より風格があるなんて言ったことがあるけど……実際、孝介はその辺の人間とは違うんだ。

高校時代から変わってないなんて言いながら、より逞しくなったし、より強くなった。

いいところはそのままで、より良くなっちゃったんだから始末が悪い。

「孝介さんは、ちょっとおかしな理想と言うか野望を抱いているようでして」

美月ちゃんは、どこか楽し気に言う。

ったく、アイツは……。

今の生活なんて、ほぼ理想を叶えたようなものだと思うけど、あの男はまだ上を目指しているのだろうか?

「私達が、六十や七十になったとき、仲のいい年寄りだけが集まって一緒に暮らそうか、なんて考えているようです」

「は?」

何それ? 普通じゃないわ。

「花凛ちゃんや、いろはさんが独身だったらという条件付きですが、言わば自主的な老人ホーム……いえ、老人ハーレムを築こうと画策しているらしく」

「馬鹿らしい! あなた達はそんなこと許せるの?」

「子供達や孫に囲まれて暮らすのもいいかも知れませんが、このご時世、家を出ていく可能性の方が高いですし、仮に残るとしても家を増築するでしょう。今あるスペースは、私達のつどう場所として」

「だから、私やいろはちゃんが一緒の老後でいいの?」

「ええ、まあ楽しそうだなぁとは思います」

ホント、常識はずれな夫婦だ。

いや、そもそも成り立ちからして常識はずれなのだから今更か。

でも──

「参加したい!」

何故か熱望していた。

常識はずれな老後は、常識はずれに楽しそうだ。

「食い付いてますね」

「く、食い付くって言うか」

「いえ、花凛ちゃんの竿さおに」

「ああっ!」

かつて無いほど竿がしなっていた。

「この池の主に違いないのです」

「ちょ、ちょっと、暢気のんきに構えてないで手伝ってよ」

「あいあいさー」

普段、腐っている自分が馬鹿みたいに、孝介達、この子達といると楽しいのだ。

それが老後まで続くのなら──

「ハーレムなんて許しません!」なんて、七十になっても孝介に言ってやれるなんて、そんな楽しみなことってないよね?

ほら! 二人が笑顔いっぱいで釣り上げた鯉は、やっぱり孝介より貧弱なのだ!

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