第64話 祝日

庭の片隅に、ヤブカンゾウの花が咲いている。

サバっちの眠っている辺りだ。

縁側からそれを眺めていると、美矢がコーヒーを持ってきてくれた。

缶コーヒーの時はそうでもないが、美矢がれてくれるコーヒーは夏でもホットで飲む。

蝉時雨せみしぐれに、時おり混じる風鈴の音。

去年と同じようで、去年より少し寂しく感じる夏だ。

「今年も咲いたね」

花の形からユリ科であることは判るのだが、その形は整っておらず野性味にあふれている。

花色も上品なものとは違うけれと、萱草カンゾウ色という言葉があるくらいに豊かな橙色だ。

「サバっちが喜んでるよ」

緑の草木の中でポッと炎がともったように咲く姿は、庭を見る俺達を照らそうとしているみたいで、雑草の強さと野良だったサバっちの強さが重なる。

「こーすけ君……あのね」

美矢がサバっちの眠る場所を見ながら、躊躇ためらいがちに話し掛けてくる。

もう一年経ったのだと思う。

あの日、朝まで三人はサバっちを囲んで過ごした。

初めて会った時のことから始まり、思い出話でサバっちを包んだ。

それは泣き顔を笑顔に変えてくれたりもしたけれど、庭に埋める時には美矢が取り乱して困った。

普段の良妻賢母らしさは掻き消えて、泣きわめいて暴れた。

命がいつか途絶えるものだと判ってはいても、理不尽に思えて気持ちは納得してくれない。

もっと理不尽なことを知っている俺でも、簡単に受け入れたくはないことではある。

けれど、幸せそうな、寝顔みたいな顔を見られただけでも良かった。

最期を看取れた。

サバっちが何歳なのかは判らないが、アイツは楽しく暮らしていたのではないかと思う。

死因は恐らく老衰で、苦しむことなく眠るように旅立った。


今年は、三人で暮らし出してから十年目の夏だ。

庭に花が増え、木々も成長した。

結婚十周年ということで、春には旅行にも行った。

節目の年だから美矢も色々と思うところがあるのだろう、話し掛けてきたのに次の言葉が出てこない。

「何か話があるのか?」

こちらから問い掛けて美矢を見ると、どういうわけか庭を見て固まっていた。

「──サバっち?」

「え?」

美矢の視線を辿たどると、ヤブカンゾウの花が咲く辺りに、サバトラ模様の猫がこちらを見て座っていた。

サバトラの猫なんて沢山いる。

でも、そいつはサバっちに瓜二つだった。

「みゃあ」

声までそっくりだ。

もしかしてアイツ、よそ様の猫に種付けしてたんじゃ……。

美矢が急いでキャットフードを持ってくる。

「おいで!」

サバっちと瓜二つのそいつは、少し警戒しつつも近寄ってきた。

「みゃあ」

そいつは美矢を見上げて鳴いた。

「そ、みゃーだよ」

そう呼び掛けると、縁側に飛び乗って、まるで当然のようにそこに寝そべった。

首輪はしていないが、野良猫とは思えない。

田舎だと、家猫と野良猫の中間的なヤツも多いし、一ヶ所にとどまらず、複数の家でご飯をもらってるヤツもいる。

「お腹いっぱいなのかな?」

美矢が用意したご飯には見向きもしなかった。

「古いからじゃないのか?」

「もう、ちゃんと新しいのだから!」

だろうな。

ちゃんと毎朝、庭におそなえしているのだから。

ただ、アリがたかってくるから直ぐに下げなければならないのだけど。

だいたい、この庭はアリにとってエサが豊富にあり過ぎるのだ。

タナゴのお墓やザリガニのお墓もあるので、美月が魚のエサや、ザリガニのためにスルメをいたりもするからアリ天国だ。

「コサバ? サバコ?」

いや、俺に訊かれても。

「コサバっち? サバコっち?」

「……コサバでいいんじゃないか?」

「にゃあ」

どうやらそれでいいらしい。

美矢がニッコニコになった。

「今日からキミはコサバです!」

コサバが美矢を見上げる。

どこか遠い空を眺めるみたいな目をしていた。

秘密基地で見た、サバっちの目と同じだ。

大人になった美矢も、秘密基地で見たときと同じ目をしていた。

別れを肯定的に受け入れることなど出来ないけれど、別れがあるから、出会いをかけがえのないものと感じるのかも知れない。

「で、さっき言いかけたままになってる続きは?」

割と真剣な口調だったと思う。

今も、コサバを撫でてニコニコしていた顔が、きゅっと引き締まった。

「これはまだ、タマちゃんにも言ってないんだけど」

真剣な目に、少したじろぐ。

美月にも言っていない重要案件となると、心して聞かねばなるまい。

「あのね……子供が出来てたの」

なんだ、そんなことか。

そりゃあ俺達だって、いま知ったばかりだし、美月に話しているわけがない。

「まあ、サバっちは自由に生きてたからな。もしかしたらコサバだけじゃなく、あちこちに子供がいるかも知れない」

「えっと、そうじゃなくて、こーすけ君と私の」

コサバが「にゃあ」と鳴く。

「にゃあ」

……大事なことだと言わんばかりに二回鳴いた。

俺の頭には、何度か聞いたみゃーママのセリフが再生される。

「いつになったら孫の顔を見せてくれるんだ? この甲斐性なし」

俺の頭には、美月のセリフも再生された。

「孝介さんよりも立派なオタマジャクシを見たのですが」

くそ、どいつもこいつも。

でも、そうかぁ、俺が親になるんだな……。

親から生まれた俺が親になるというのは、何だかとても不思議で、とても尊いことに思える。

上手く育てられるだろうか。

健康で、伸びやかに素直な子に育ってくれるだろうか。

……いらぬ心配か。

美矢と美月がいれば、いい子に育つに決まっている。

みゃーママだって協力してくれる。

この家は、もっと賑やかになっていく。

「にゃあ」

その賑やかさの一員だと言いたげに、コサバが声を上げる。

「孝介さんより立派な子が生まれるのです」

美月も言葉を挟む。

「って、聞いてたのかよ!」

いや、でも、俺より立派な子が生まれるのなら、それは喜ばしいことじゃないか。

自然と笑顔がこぼれてしまう。

「にゃあ」

サバっちに、頑張れと言われた気がした。

あるいはまた、泣き虫だと思われただろうか。

嬉しくてたまらないのに、目尻が少し濡れてしまう。

「先を越されましたが、私の方が立派な子を産むのです」

「……おう、頑張れ」

「何を言っているのですか。頑張るのはあなたです」

いや、まあ、それもそうなのだが。

「頑張ろうね」

「にゃあ」

「三人の子です」

「にゃあ」

コサバが鳴いて、俺の顔を見る。

俺の両親もきっと夢見たであろう、この縁側に子供と孫達が並んで座る光景が、ふと見えた気がした。

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