第61話 はじめまして

五十音順の席。

私の後ろは、伏し目がちの、ちょっとお人形さんみたいに綺麗な女の子だ。

伏せた長い睫毛まつげが話し掛けられるのを拒んでいるようでもあるし、整った顔立ちも、やや冷たい感じがして気軽にお話できそうに無い。

それでも、仲良くなりたいと思うのは何故だろう?

ニッコニコの血が騒ぐ。

私の中に流れる、お母さんの血が騒ぐ。


窓際の、いちばん前の席から自己紹介が始まる。

割とみんなおとなしめの挨拶で、ほぼ必要最低限のことしか言わない。

こういうのって、きっかけが必要だよね。

というワケで、いつもニッコニコのこの私が、ややハイテンションで自己PR。

何となく息をひそめていたような教室の空気が一気に軽くなる。

さあ、道はひらいた、後の者は私に続け!

「多摩……美月です」

ぺこり。

……え? それだけ?

道はふさがれ、後の者はそれにならうようにローテンションになる。

でも、もしかしたら私のせいで、後ろの子にはヘンなプレッシャーかけちゃったのかも知れない。

タマちゃんかぁ……。

声も少し震えていたみたいだし、だとしたら申し訳ないなぁ。

それに、やや低めの澄んだ声は耳に心地よくて、もっとこの子の声を聞いてみたいと思っちゃう。

大きな明るい声を出せば、きっとずっと素敵なのになぁ。


「二人ともTMだね」

帰る準備をしながら後ろを向いて話し掛ける。

「……イニシャルの話?」

うかがうように視線を持ち上げるのは、目を合わせたくないからだろうか。

「革命を起こすかネットワークを構築するか」

「何のこと?」

タマちゃんは少し戸惑っているようだ。

でも、この子にはグイグイ行った方がいいように思う。

「よし、まずはネットワークを構築しよう。はじめまして、滝原美矢です。よろしく!」

「た、滝原……みゃー?」

あれ? さっきの自己紹介、聞いてなかったのかな。

「みゃーじゃなくて美矢」

「み、みゃー」

あ、緊張して「み」に力が入り過ぎてるんだ。

「みゃーでいいよ。猫みたいで可愛いし。タマちゃんもタマちゃんでいいよね?」

「た、タマちゃん?」

少し目を見開く。

「イヤ?」

私が尋ねると、合いそうになった視線を慌てて下ろし、首をぶんぶんと振る。

「べつに……イヤじゃない」

頬が微かに赤い。

何だコレ。

女の子の私でさえ胸キュンする

何でこんな可愛い子が対人関係に慣れてないんだろう?

第一印象は、確かに話し掛けにくい。

いざ話し掛けてみると……視線は合わさないし、なかなか打ち解けてくれそうにもない。

うーん、女子は頑張ってコミュニケーションを取ろうとは思わないかな?

男子には……ちょっとハードルが高いかも知れない。

うん、解った。

私が普通の人より強引なだけだ。

「というわけでタマちゃん、一緒に帰ろ」

「う、うん」

私が立ち上がると、戸惑いながらタマちゃんも立ち上がる。

躊躇ためらいがちに私の後ろに付いてくる姿は、どこか捨て猫みたい。

もしかしたら、家庭環境に何か問題があるのかも。

「タマちゃん」

「な、なに?」

「猫は好き?」

「う、うん。生き物は……人間以外はみんな好き」

……なんか重いセリフを吐かれましたよ?

ていうか、私も人間なんだけど。

「あ、ごめん! そうじゃなくて、接し方が判らないっていうか……ごめんなさい」

なんだろう?

タマちゃんとは仲良くなれる気がする。

作り笑いじゃなくて、自然と笑える関係になれる気がする。

「な、なんで笑ってるの?」

おや、既に自然に笑ってしまっていたようだ。

だから、見たいよね?

タマちゃんが自然に笑うところ。

タマちゃんが、人を好きになるところ。


「……私、家こっちだから」

校門を出たところでお別れかよ!

だが構わん! 私はニッコニコで手を振るのみ!

あ──

ぎこちなくだけど、タマちゃんが笑った。

まるで、私の世界が広がったみたい。

タマちゃんの世界も、広がるといいなぁ。



高校にも慣れた頃、登校中に一匹の猫が道路を横切るのを見た。

まだ時間に余裕があるし、ちょっと危なっかしい横断だったので叱ってやろうと思う。

それにしても……毎朝ここを通っていて、ラーメン屋さんがあることにも気付いていたけれど、その横にこんな路地があるとは知らなかった。

私は少しワクワクしながら、猫が入り込んだ路地の奥へと進む。

微かに、油とアルコールの混じったような匂い。

表通りの喧騒が遠のいて、ほんのちょっとの寄り道が、非日常を連れてくる。

猫は、ラーメン屋さんの裏、勝手口の横にあるポリバケツの上にいた。

灰色に黒の縞模様をしたその子は、逃げもせず私を見上げていた。

かーわいー!

なんだコイツと言いたげな、ややふてぶてしい目がたまらない。

私は叱るのも忘れて、あごの下をナデナデする。

他にも二匹の猫がいたが、警戒しているのか遠巻きにこちらを見るのみ。

「お前は人に慣れてるの?」

うるさそうな顔をしつつも、おとなしく撫でられている。

「名前、あるのかな?」

おー、だんだん目を細めてきた!

「私はみゃー。お前は?」

「みゃあ」

「それは私」

「みゃあ」

「うーん、キミがみゃあだとややこしいから、今日からキミはサバっちにします」

「にゃあ」

サバっちは、何だか不思議な目をして私を見上げた。

どこか遠くを見るみたいに、深く、静かな瞳。

そこに映された路地裏の狭い空と私が、ずっと遠くまで続いているような、そんな感じがした。

「みゃあ」

優しい声。

私を呼んでくれた気がして、私はニッコリ笑うのだ。

はじめまして。

素敵な出会いが続いて、また私の世界が広がる。

サバっちの世界も、広がるといいなぁ。

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