第56話 叱られて

美月が縁側に腰掛けて、ボーッと空を眺めている。

いつもより早い時間で、少し肌寒い中、鳥のさえずりが賑やかだ。

美月の左のほほが赤いのは、焼けた朝の空のせいばかりでは無いだろう。

俺はいつものように、美月の左側に座った。

「ごめんな」

美月がこちらを向いた。

赤い頬は美月を可愛らしく見せもしたが、痛々しくも見えた。

それに、右の頬は白い。

「アシンメトリー美月です」

おちゃらけて言う。

「叩くことはなかったと思う」

「いえ、あなたの美月はバカですので、間違ったことをすれば叩けばいいのです」

「……」

「でも、叩くのは、出来れば性行為の時にお尻にお願いしま──痛っ!」

いつものノリで頭を叩いてしまう。

いや、いつものノリにさせられたと言うべきか。

子供かと思いきや、大人みたいになったりする。

振り子のように、あってへ行ったりこっちへ来たり、つぼみだと思っていれば、目を離した瞬間には花開いていたりする。

時に背伸びをしていることもあるだろうけど、俺に罪悪感を抱かせまいとする気持ちは、どうあっても変わらないものなんだろう。

寧ろ、まだ自分を責め続けてるかも知れない。

「なあ美月」

「なんでしょう?」

「お前、ご両親のこと、どう思ってる?」

両親のことは、恨んでないと言った。

実際にそうなのだろうが、何かわだかまりはあるのではないか。

「親子水入らずで幸せになってくれればいいなぁ、と」

それは、とても自然で、穏やかな口調だった。

まるで自分が邪魔者であったかのように、まるでそれが当たり前のことのように言う。

お前は自身を、家族の関係を希釈してしまう水のようなものだと、ずっとそう思い続けてきたのか?

そのように思わされる境遇にあってなお、そのように思わせた人達の幸せを願うのか?

でもお前は、大きな勘違いをしている。

あの家族はお前がいなくなって、空虚な日々と、より希薄になった繋がりを維持しているに過ぎない。

「小さい頃、か弱く深窓しんそうの令嬢然とした私は、学校で倒れたことがありまして」

それだけで、何となく事の顛末てんまつが判った。

今回のことと一部が重なり、そして大事な部分は重ならない。

「べつに大したことではなくて、ただの貧血でして、まあ美少女に有りがちな属性みたいなもので」

冗談めかして言うけれど、心細さに押し潰されそうになっていた筈だ。

幼い心は、親を求めていた筈だ。

「父も母も来てくれなくて、先生が車で家まで送ってくれました」

何か、どうしても外せない用事があったのかも知れない。

いや、あの両親は、お互いへのつまらない意地と虚勢で、娘に優しくすることすら我慢してきた愚かな人達だ。

用事の有無は関係なかっただろう。

「みゃーを使ったのが私のずるいところでして」

「狡い?」

「いえ、弱い、でしょうか」

……自分が倒れたことにして、もし俺が帰ってきてくれなかったら傷付くから?

「矛盾しているのですが、自分のことを心配してくれるかな、と思いつつ、みゃーを倒れたことにしました……でも、それで欲求は満たされたのかも知れません」

「欲求?」

「考えてみれば、私は両親に叱られたことも無いのです」

「え?」

「ですから私は、ああ、こんなに怒ってもらえるほど愛されてるのだと」

確かに、美月や美矢でなければ、あんな嘘をかれたら俺は愛想を尽かしている。

「普段から俺は、お前に対する愛情を垂れ流しているつもりだが?」

「ですね。だから今回のことは私の我儘わがままで、叩いてくれて正解なのです。たぶん、私より孝介さんの方が痛かったでしょうから」

美月は目を伏せた。

右手はずっと、左手の指輪に触れていた。

「倒れたのが美月であっても、どこからでも駆けつけるよ。ていうか倒れるな」

「弁慶のように?」

「いや、死ぬなよ」

「俺より先に、死んではいけない?」

「そうだ」

「あなたの美月は、ウサギのように寂しいと死ぬのです」

「少しは我慢しろ」

「善処します」

日が照ってきて、ポカポカと暖かくなってきた。

美月の横顔も、温かさを感じる穏やかなものだ。

「もし明日になっても頬が腫れてるようなら、学校は休めよ」

「痴話喧嘩をしたと吹聴ふいちょうするいい機会なのに」

「言いふらすな」

「愛のムチの証でもいいですよ?」

「お前が言うとイヤらしく聞こえる」

「くふふ」

嬉しそうな含み笑い。

「ところで孝介さん」

「なんだ?」

「先日、いろはさんに電話したのですが」

「ああ」

「その時、孝介さんがそちらにお邪魔してませんかと尋ねたのですが」

たぶん、二回目に東京に行った時のことだな。

「今日は来てないけど、次に来る時には立ち寄るようにと」

「そうか」

「あの日に限ってはシロだと判定しましたが、今日は、と言ったのは怪しいかと」

意外と、というか、やはり鋭い。

「……考え過ぎだろ」

「普通なら、滅多に東京など行く訳でもないのに、次に、と言ったのは怪しいかと」

いろはめ、不用心な発言しやがって……。

やましいところなど無いのだから、ここは正直に言おう。

「ま、まあ、前回にいろはのところにも立ち寄りはしたが、せっかく東京に行ったのだし、ついでみたいなものだ」

「あら、あらあらあら」

「な、なんだ」

「みゃーには黙っておいてあげましょう」

「……いや、別に隠すようなことはしていない」

「孝介さんにとってもいろはさんは友達ですから、会うなとは言いませんが、孝介さんにとってもいろはさんは女性ですから、黙って会うなと言っておきます」

「……判った。というか、これにも事情があってだな、それも、またこんど話すつもりだから待ってくれ」

美月は笑って頷いた。

もっとお前達を笑顔にしよう。

そのために、俺はみゃーママに電話して、予定が狂ってしまった今日のことについて打ち合わせをしなければ。

「美月」

「なんですか?」

「ちょっと電話してくる」

「わざわざ外で?」

また隠し事を重ねる気かと、むっとした顔をする。

「みゃーママだ」

「乳魔王じゃないですか」

何だそれは?

「乳魔王は女性ですよ?」

当たり前だ。

大人の顔になったり、心細げな子供になったり、笑ったり、怒ったり、ねたり、ホントに忙しいヤツだ。

でも、そんな豊かな表情をずっと──

「乳魔王は子持ちですよ!」

「判っとるわ!」

少し落ち着かせた方がいいのかも知れない……。

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