第54話 観察記録

目覚まし時計の音を聞く前に、雨音で目を覚ます。

それが憂鬱に聞こえる時もあるが、安らぎに感じられることもある。

稲刈りは終わったし、今日中にやらなければならない仕事も無い。

だから今朝の雨音は、ゆったりと耳に心地いい。

それを子守唄代わりにして、しば微睡まどろむ。


一人遅れて朝食を摂り、食器を洗う美矢の背中を眺める。

鼻歌でも歌っているのか、ポニーテール状にまとめた髪が揺れている。

今朝のエプロンは赤色で、確かポケットの部分にネコの絵が入っていたはずだ。

美矢が俺の視線に気付いて振り返る。

リズムを取って身体を動かしていたことが恥ずかしかったのか、舌をペロッと出した。

美月は寝そべって、ノートパソコンを熱心に見つめている。

画面にはオオサンショウウオの動画が表示されていた。

先日、三人で谷川に遊びに行き、偶然オオサンショウウオを見かけたのだが、それ以来、美月はオオサンショウウオに夢中になっている。

因みに「王さん」と名付けていた。

オオサンショウウオの前半部分を切り取っただけのようでもあり、その大きさに対する敬意を込めたようでもある。

アシダカ軍曹もそうだが、どうも美月は大きいものには礼儀をもって接するようだ。

いや、決して俺のモノが小さいという意味では無い。

それにしてもコイツはよく名前を付ける。

飼っている五匹のタナゴにも、それぞれ名前を付けていた。

タナコ、ターナー、タナバタ、カタナ、フタナリ……。

五匹全てが雄であることは体色から判っているので、タナコも雄であるし、フタナリも雌雄同体では無い、と思う。

ターナーは外国産でも無ければ絵心がある筈も無いし、タナバタが七月生まれかなんて判らない。

ただ、カタナだけは他のタナゴより、どこかとがった印象があるのでアリだと思う。


昼前には雨が上がって、青空が顔を覗かせた。

美矢は縁側でサバっちとじゃれ合っている。

髪を纏めているとキリっとして見えるが、今は下ろしているので少し幼く見える。

心和む光景だが、美矢は鋭いので俺の視線にすぐ気付く。

ん? という風に小首をかしげるから、何でもないよ、と笑顔を返す。

ずっとネットで動画を見ていた美月は、太陽の光に気付くとノートパソコンを閉じた。

「散歩に行ってくる」と言って家を出たので、俺も後を追うように家を出る。

アイツはいつも、いったいどのような散歩をしているのか、ということが以前から気になっていたのだ。

持ち物は虫捕り網とスーパーのレジ袋のみ。

最近お気に入りらしい麦わら帽子は、美少女の美月にとてもよく似合っているのだが、網を持っているので田舎のガキにしか見えない。

昆虫でも見つけたのか、自動販売機の前でしゃがむ。

網は使わず、右手で何かをまみ上げる。

……百円玉のようだ。

さて、どうするのだろうと見ていると、美月はてとてとと、さっきよりも早足で歩き出した。

うーん、ネコババ?

それにしても、アイツは美矢と違って視野が狭いというか、一点集中型というか、俺の存在に全く気付かない。

勿論、見付からないように後を付けているのだけれど、都会と違って遮蔽物は少ないから、いつバレてもおかしくない筈なのに……。

美月が石段を上る。

その先は、深い影を作る鎮守の森だ。

確かにここなら、何か変わった昆虫が見つかるかも知れない。

と、思いきや、さっき拾った百円玉を、美月は賽銭さいせん箱に投げ入れた。

いいのか?

いや、百円なんか警察に届けても迷惑だろうし、元の場所に置いておくのも意味は無いだろうし、かといってそれで何か買うくらいなら、お賽銭に使う方がいいような気もする。

ただ、神様的には複雑な心情ではあるまいか、などと小市民の俺などは愚考ぐこうする訳だが。

……なるほど。

美月は手も合わせず、つまりは、何のお願いもせず拝殿から境内けいだいの奥へと移動した。

自分のお金では無いので、お願いする権利は無いと考えているのだろう。


結局、美月は境内を一周しただけで、虫を探すこともなく神社を出た。

もしかしたら、神域で生き物を捕るのは良くない、という判断かも知れない。

神社を出たところで麦わら帽子が風に飛ばされた。

美月はわたわたと追いかける。

農道を歩き、稲刈りの終わった田圃たんぼ籾殻もみがらの山を見つける。

最近はあまり見かけなくなったし、籾殻の野焼きも減る傾向にあるものの、夕暮れ時にその煙が流れてくることもある。

俺にとっては懐かしい匂いでも、地域によっては苦情が多いのだとか。

美月は籾殻の前にしゃがみ、それを手ですくう。

今朝の雨で表面は濡れているようだが、中の方は乾いているみたいだ。

後ろ姿だから判らない筈なのに、美月がニヤリと笑ったのを感じた。

おもむろに、美月は両手を籾殻の山に潜らせた。

判る、判るぞ美月。

俺も子供の頃によくやった。

さらさらごわごわこしょこしょして、なんか気持ちいいのだ。

助走をつけて飛び込んだりもしたなぁ。

今もちょっとやってみたくてウズウズする。

さすがに美月はそこまではせず、立ち上がるとパンパンと手をはたき、網を持ち直して歩き出す。

きょろきょろしながら、立ち止まっては歩きを繰り返す。

随分と熱心に何かを観察しているなと思ったら、トンボの交尾だったりもする。

あちこち目を向けながらも、どうやら家の方向に歩いているようなので、先回りして家に帰ることにした。

昼も過ぎたし、美月も腹ペコだろう。


「どうだった?」

美矢がニコニコしながら聞いてくる。

子供を陰で見守っていた父親に対する母親みたいなセリフだ。

「アイツは面白いな」

素直で、好奇心旺盛で、ひたむきだ。

本来なら都会でオシャレして、異性を意識したりする年頃なのに、そんなことには一向に興味を示さない。

妖精みたいだ、なんて思ったりもしたが、さすがに恥ずかしいので口には出さないでおく。

「ただいま」

美月が帰ってきた。

「孝介さん孝介さん」

ほら、子供みたいに純真な顔をして、外の世界で見た出来事を伝えようとする。

もしかしたら、子供みたいに荒唐無稽こうとうむけいなことも言い出すかも知れないが、俺は父親のように寛容な気持ちだ。

「孝介さんより立派なトンボを見たのです」

「嘘をくな!」

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