第53話 稲刈り
棚田の
黄金色に実った稲穂を、彼岸花が縁取っているようにも見える。
「水位を調整したり、
美矢が
まだ暑い日は多い。
けれど空に入道雲は無く、風に揺れる稲穂を見れば、気は早いが一年の集大成のように思えてくる。
「植えて刈る、ではないのですか?」
美月が農家の人にケンカを売った。
コイツは春から何を見てきたのか。
「超絶に地味な花を咲かせてからあっという間だったのです」
そこは気づいてるんだな。
「
そうか、美月は農作業ではなく、動植物ばかり見ていたのだろう。
「土の中に潜って、また春になれば出てくるよ」
美月は、ふと寂しげな顔をする。
コイツはホントに、生き物が好きなんだな。
「そう言えば、お前は高校教師になって何を教えたいんだ?」
「生物ですが?」
何を判り切ったことを、と言いたげだ。
でも、なるほどなぁ。
美月が生物教師になるなんて愉快じゃないか。
それは単なる生物への探求心だけじゃなくて、命への
「そうか、頑張れ」
「うい」
照れ臭いのか、ヘンな返事をする。
美矢は、どんな先生になるのだろう?
既に稲を刈り始めて汗を
料理をしていても、掃除をしていても、洗濯も、農作業やあらゆる手伝いをしていても、その笑顔を絶やすことは無い。
「美矢」
「なぁに?」
「お前は、生徒に何を教えたいんだ?」
美矢は空を見上げた。
「生きること」
え?
「それから、死ぬこと」
小学生にそれは……。
「だから、愛すること。悲しいこと、嬉しいこと、痛みと喜び、かな」
それはなんて大切で、なんて難しいことだろう。
でも、小学生には理解できなくとも、大人になってふと思い出すような、そんな大事な言葉を残してくれそうだ。
「そうか、頑張れ」
俺は美矢と美月を応援することしか出来ない。
でもその応援を受け止めて、美矢と美月が子供達を応援するのだ。
それは、なんて素敵なことだろう。
「みゃーが小学校で純粋培養した子を、私が高校で黒く染めるのです」
「美月ぃ!」
「冗談です。というか、荷が重いのです」
稲穂と彼岸花が風に揺れる。
「彼岸花は夏眠植物なのです」
「夏眠?」
「夏の暑さを嫌い、秋から春にかけてだけ葉を付けている植物です」
そう言えば、真っ赤な花ばかりが目立って葉っぱを意識したことが無かったが、彼岸花には葉が無い。
「花が
美月は生き物は好きでも植物には関心が無いと思っていたが、やはり生物教師を目指しているから勉強したのだろうか。
「植物にも色んな生き方があるので、人間はもっと多様で難しいですね」
「大丈夫だ」
何故かそう言えた。
「まあ物分かりの悪い生徒がいれば、この稲穂のように刈り取ってしまえばいいのですが」
「うぉい!」
……物騒なことを言いつつ、美月は微笑んでいた。
「実りの速度は様々で、どんな花や果実を付けるか判らないので、人は刈り取ることは出来ませんね」
──孝介さんが、私の花を咲かせてくれたように。
美月の呟きに、俺は苦笑せざるを得ない。
俺がいようがいまいが、たとえ色や形が違っていようが、お前は綺麗な花を咲かせるに違いないのだから。
刈った稲は
稲架とは、稲を干すための木組みで、農村の秋の風物詩でもある。
地域によって形状も様々だ。
「なんとメンドクサイ。植えて刈って食べる、ではダメなのですか?」
「干すことで旨味が増すんだ」
「生徒には食べ物の大切さを教えてやらねばならないのです。好き嫌いするな、さあ食え」
「これはこれで楽しいよ? 子供達には生産の喜びを教えなきゃ」
「みゃーが生産の喜びを教えて、私が消費の大切さを教えてやりましょう」
この二人から学ぶ生徒達は、幸せなんじゃないかな。
自分達で
刈り取る瞬間、立ち上る稲の香り。
どこか懐かしいようなその匂いと、土の色と高い空。
この二人は、それを知っている。
「ところで、この私の高貴な愛を注がれたお米ちゃんは、当然もらえるのですよね?」
棚田は景観維持のためのもので、この作業はボランティアのようなものだと春に話した。
「まあ、半分ほどは」
「小作人のツライところなのです」
「小作人じゃねーよ!」
「連日、泥まみれになって育て上げたのですが」
「指輪探しだろうが!」
「とほほ」
何か懐かしい漫画のような呟きをするが、満足げに微笑んでいるように見えるのは、何だかんだで収穫の喜びを味わっているのだろう。
数枚の棚田が切り株だけになった。
「帰ったら、腰を揉んであげるね」
いや、お前だって、と言おうとして、腰を押さえているのが自分だけだと気付く。
「今夜はいっちょ揉んでやるのです」
美月はそう言って、赤とんぼを追っていく。
美矢が俺に笑いかけてきて、俺は苦笑を浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます