第52話 ─閑話─ 妻たちのお留守番

タマちゃんの機嫌が悪い。

冷蔵庫の開け閉めの音でそれが判る。

稲刈りシーズンに入って、こーすけ君が忙しくなってきただけならまだしも、基本的に休みにしている日曜日に出掛けているのが気に入らないらしい。

しかも土曜から泊りがけで。

しかも二週連続。

今朝も遅くに起きてきて、トイレに行ったかと思うと、眠そうな目で居間を覗き、てとてとと玄関まで行き、やがて台所から乱暴に冷蔵庫を閉める音が聞こえてくる。

たぶん、タマちゃん御用達の地元ブランドの牛乳をストローでチューチュー飲んだ後、腹立たしげに冷蔵庫のドアに八つ当たりしているのだ。

今日は日曜で、こーすけ君が泊りがけで出掛けていることは昨日から判っていることなのに。

さて、牛乳を飲んだタマちゃんは、居間に来て朝食を摂るのかと思いきや、再び二階に上がり、自室に入ってしまう。

が、一分にも満たない時間で出てくると、やっと居間に落ち着いて座るのだ。

因みに自室で何をしていたかといえば、恐らくは縫いぐるみの孝之助にワンパンチ食らわせていたのだろうと察せられる。

「みゃー」

開口一番、不機嫌さを隠そうともしない声で私を呼ぶ。

「おはよう、タマちゃん」

朝は爽やかに、が私のモットーだ。

そこでタマちゃんは、ふと挨拶を交わしていなかったことに気付き、何故か恥じ入るような声で「おはよう」と返してくる。

今朝はパンとサラダとコーヒー。

私はもう食べちゃったから、タマちゃんは一人でつまらなそうに食べる。

相変わらず、コーヒーはちびちびと飲むけれど、ブラックをご所望なので砂糖もミルクも用意していない。

「実は東京に女がいたのかも」

あまり減っていないマグカップの黒い液体を睨むようにして呟く。

こーすけ君は東京に行っている。

今さら東京に何の用事があるのか、それは私も気になるところではあるけれど。

「そんな訳ないでしょ」

勿論、そんな心配は一切していない。

してはいないが、理由は全く思い当たらない。

「花凛ちゃんを東京案内してるとか……」

「花凛さんなら昨日、一緒に遊んだじゃない」

「みゃーが花凛さんと言うと、いつも肥料で使うリン酸を思い浮かべる」

……どうでもいいよ。

「みゃーママは?」

「うちのお母さんがどうかした?」

「みゃーママに孝介さんの動向を探ってもらっては?」

「いや、ついでか何か知らないけど、お母さんにも会ってるみたいだし」

「な!? 乳魔王と!?」

こらこら、人の母親にヘンな渾名あだなつけないでよ。

「みゃーママって、私達より孝介さんと歳が近かったよね?」

「そうだけど?」

「下級生、同級生、上級生かぁ」

「何それ?」

「私達、花凛ちゃん、みゃーママ」

うーん、考えてみれば、こーすけ君の周りは彩り豊かだ。

「貧乳、普通乳、巨乳で分けることも出来る」

……その区分け、なんかイヤだなぁ。

「はっ!?」

また何か変なこと思いついたのかな?

「乳魔人の存在を忘れてた」

あ、私も忘れてた。

「個人レッスン、個別指導、マンツーマン」

いろはちゃんとは受験勉強絡みしか無いのかな。

いや、でも、どれもイヤらしく聞こえるのは何故だろう。

って、早速電話してるし。

「私です」

いろはちゃんの声は聞こえないけど、まあタマちゃんだって判るよね。

「先日お送りした画像は喜んでいただけましたか?」

誕生会の写真、送ったんだ……。

「え? あの女? いや、あの人は孝介さんの同級生で、深い事情はありますが、問題ないと言いますか……」

なんでタマちゃんの方が尋問されてるんだろう。

「いや、だから綺麗な人だとは認めますが、私ほどではないのです」

うーん、タマちゃんは美少女だけど、花凛さんは美人って感じだよね。

どっちが上とかじゃないけど、大人には敵わない何かがあるっていうか。

「それはそうと、孝介さんがそちらにお邪魔してませんか?」

探りを入れるどころかドストレートだなぁ。

「いえ、浮気の心配などしておりませぬ。いや、だからちゃんと管理監督はしてますが、愚夫が東京に出ているので、ちょっとそちらに顔でも出していないかと」

なんでタマちゃんが追及されてるんだろう。

「ええ、ええ。ちゃんといろはさんのところにも顔を出すように、はい、申し伝えておきますですはい」

行ってないか心配してたのに、逆に行かせることになってる……。

だいたいタマちゃんって、電話が得意じゃないのに勢いで掛けちゃうから。

「では、いろはさんも勉強を頑張ってください」

ただの励ましの電話?

まあ、最初から真剣に疑っていた訳じゃないだろうけど。

「いろはさんはシロね」

……今のやり取りで潔白が証明されるんだ。

不機嫌になったり、疑り深いようでいて、結局はタマちゃんの善人ぶりが発揮されちゃうところが、おかしいというか可愛らしいというか……。


こーすけ君は最終列車の一本前に乗って帰ってきた。

といっても田舎だから、午後九時くらい。

連絡をくれたら駅まで車で迎えに行ったのに。

玄関が開く音がすると、タマちゃんはパアッと顔を輝かせて走っていく。

朝の不機嫌さはどこへやら。

「孝介さん」

「ん?」

「今日は庭にアサギマダラが飛んできたのです」

私はよく知らないけど、アサギマダラというのは昆虫好きの間では有名な蝶々らしい。

それを嬉しそうに報告するタマちゃんは、さながら仕事帰りのお父さんに話しかける息子のようだ。

「美月は昆虫に精通してるなぁ」

「私は女の子ですので精通はしないのです」

微笑ましい会話の筈が、何故か下ネタに変わってしまうのがタマちゃんらしい。

「東京に何の用事があるの?」

タマちゃんは役に立たないので、私がこーすけ君に問う。

出掛ける前にも訊いたから、しつこいと思われちゃうかなぁ。

「ん、ちょっとな」

また同じ返事。

もやもやする。

「こーすけ君!」

ちょっと口調が強くなってしまう。

「みゃー、カルシウムが足りないのでは?」

タマちゃんが言うな。

「私のように毎朝牛乳を飲むことをオススメ」

はあ……。

思わずタメ息が出る。

「美矢」

こーすけ君が申し訳なさそうな顔をする。

「いずれ、ちゃんと話すから」

嘘や、やましいことなど無いと判る笑顔。

そもそも、こーすけ君の笑顔を前にすると、疑うことなど出来ない私だって役立たずなのだ。

まあいいか。

でも、今夜は川の字で寝てもらうからね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る