第51話 反省会

二人は寝てしまい、俺は委員長の酒に付き合わされている。

不思議なもので、お盆を過ぎると虫の声も変わってくる。

暑さは変わらないのに、秋の虫の声が混じるのだ。

確か、夜に鳴く虫の殆どははねを擦り合せて音を出していたはず

でも、夏の虫の多くが、松脂まつやにを塗っていない弓で乱暴に弦を擦るような、やや耳障りな音を立てるのに対し、秋の虫は鈴ののような澄んだ音を響かせる。

それらに耳を傾けながら、ちびりちびりと酒を飲む。

「いい子達ね」

「ああ」

「いい奥さん達、と言うべきかしら」

寝相が悪く、大の字になって寝ている美月と、寝ていても幸せそうな顔をしている美矢。

「あーあ、徹底的に否定してやろうと思ってたのになぁ……」

委員長がコップの酒をグイっとあおると、溜息混じりにそんなことを言った。

俺達の関係を、ということは口に出さなくても判る。

そもそも委員長は、俺を説得してみせると言っていたのだし、こんな三人暮らしを許容するような人物でもない。

曲がったことが大嫌いな、超が付くくらいの堅物。

でも、超が付くくらいお人好しなのも知っている。

クラスの雑用を一手に引き受け、いじめられている生徒はいないか、浮いている生徒はいないかと目を光らせていた。

さながら俺は、そんな委員長も手に負えなかった問題児だろう。

十三年前も、そして今も。

「最初は、人懐っこそうな美矢ちゃんに取り入ろうと思ったのよ」

取り入るとは穏やかではないな。

でもまあ、俺達の関係に懐疑的な委員長としては、どこかでボロが出ると思っていたのだろう。

「鉄壁だったのよねぇ……」

「鉄壁?」

「そ、鉄壁。いつもニッコニコで、人当たりも柔らかくて……でも、絶対に隙を見せないの」

美矢はしっかり者だ。

誰より人懐っこいし、たぶん、人が大好きなんだ。

そんな美矢に、壁を作らせたのは申し訳ないと思う。

美矢も委員長も、本来なら大の仲良しになれるような人間性だと思う。

「ある意味、あなたと一緒だったわ」

「俺と一緒?」

「ええ、この生活を乱すような真似は絶対に許さない、ってね」

委員長が、俺のコップに酒をぐ。

機嫌は悪くない、どころか、鼻歌でも歌いそうななごやかな顔をしている。

「逆に、取っつきにくいと思った美月ちゃんはチョロかったわ」

人の嫁をチョロいとか言うな。

「でもまあ、最初の頃にしかられたから仲良くなれたのかも」

「叱られた?」

「そう。一回りも年上の私に叱るの」

「なぜ?」

「私が、あなた達はおかしいって言ったから」

普通の人からすれば、おかしいと思うのは当然のことだ。

「おかしければ幸せになることもおかしいのですか? って言われて」

俺は委員長のコップに酒を注いだ。

おい、一息で飲み干すな。

「昔、花凛ちゃんが彼を救えなかったことで、彼を責めるのはやめてください、ってね」

「……」

「そうなのよね、私、孝介を責めてた。自分が幸せに出来なかったものだから、私以外の誰かが孝介を幸せにするのはおかしい、なんて」

二人の寝息、虫の声、賑やかなようでいて、時計の針の音さえ聞こえてくる静寂。

美矢、美月、お前達は、あの頃の俺を知らない。

だから委員長を責めるのは酷だと思う。

けれど、お前達が守ろうとしているものは、あの頃の俺を笑い飛ばせるくらいに大切なものだ。

こんな幸せが、俺に訪れるだなんて、思ってもいなかったのだから。

「私、反省したの」

「委員長は、何も悪くないよ」

あの頃の自分を思い返せば、俺こそ反省材料だらけだ。

人の優しさや思いやりを受け入れられなかった。

自分の悲しみが世界の全てだった。

何て狭量で、視野が狭いのだと思う。

「あの頃は、二人とも子供だったから」

それが免罪符になる訳ではないけれど、お互い、まだ訪れた出来事を受け入れられるだけの余裕は無かったんだ。

「でも、この子達は高校生だったのに、それを受け入れちゃったんでしょう?」

時間が解決してくれた分もある。

この二人でしか、成しえなかったものもある。

「……白子は苦いのです」

美月が寝言を言う。

幸い、委員長にはよく判らない事柄だったようで、ただの支離滅裂な寝言と思って微笑んでいる。

「許すまじ」

……美矢はいったい、どんな夢を見ているのか。

「私、あなた達の幸せを認める」

「花凛……」

「世間的には歪な形でも、あなた達は綺麗な三角形を描いているのね」

時には、ケンカすることもあるだろうか。

二等辺三角形になることもあるかも知れない。

でもそれは表面上のことだ。

本当の家族にとって親兄弟に優劣などつけはしないように、俺達ももう上下や強弱などで測れない、ただただ、かけがえのないとしか言いようがない存在になっている。

「あなたに頼まれていた件、許可が下りそうよ」

「変なこと頼んですまない」

「こう見えても、私は優秀な職員で通ってますので」

「それは判る」

「冗談よ。あなたのところの町内会長のご尽力が大きい、かな」

頼んだ時には、委員長にとって過去がどれほど大きなものであるかを知らなかった。

いや、大きさもそうだが、どんなものであるかを、今もまだ判っていないかも知れない。

「ちょうど良かったのよね」

「?」

「この間、お盆の時に言いかけたでしょう?」

俺に拒絶された時に決めたことがある、確かそう言っていた。

「絶対に、孝介が幸せになるのを見届けてやる。そう思ったの」

おっさんかよ。

「なのにあなたは、同じ大学に行くと思ってたら黙って東京に行っちゃうし、同級生とは連絡も取らないし」

「すまん」

もう謝るしかない。

「でも、幸せになるのを見届ける、なんて言ってる時点で負けなのよね」

勝ちとか負けとか、そういうことでは無いだろうけど。

「私が幸せにしてやる、と思えなかったから、今の私の立ち位置なのよね。なのに他の誰かがあなたを幸せにするのが許せないって、矛盾してるわね。だから、例の依頼はちょうど良かった」

「……」

「暗い顔しないでよ。私、友達が増えて喜んでるんだから」

「友達?」

「ええ。今後とも、家族ぐるみのお付き合い、お願いします」

酒を注いできた。

俺も注ぎ返した。

涼しい風が入ってきて、虫のに耳を傾ける。

言葉の無い時間さえ、共有できる気がする相手は稀だ。

家族にとって大切な人と、俺は夜更けまで酒をみ交わした。

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