第48話 飲み会

「美月」

猪口ちょこに一杯だけのつもりが、少し飲み過ぎたようだ。

俺は机に突っして美月の名前を呼ぶ。

「何ですか?」

優しい声が返ってきた。

「お前も、実家に帰って親と会った方がいいんじゃないか?」

美月は地方の大学に進学するにあたって、下宿するという建前でここに来ている。

親とは縁を切ったつもりなのだろうし、美月が自由に生きることに異存は無いが、やはりたまには顔を見せた方がいいのではないだろうか。

「大丈夫です」

いや、お前は大丈夫かも知れないが、ご両親は寂しく思っているはずだ。

暑中見舞いの葉書も届いたし、お中元も俺宛に贈ってきた。

娘がお世話になってますといった内容の手紙も添えられていた。

俺としては、お前が自由であることを、ご両親にも祝福してもらいたい。

「ごめんな」

「何がですか?」

浴衣ゆかたを着たお前達を、花火大会に連れて行ってやりたかった」

酔っ払っているので、少し支離滅裂だろうか。

「何をおっしゃいますやら。また庭で花火をすればいいじゃありませんか。浴衣姿なぞ、メールで送っておきます」

ああそうか。

支離滅裂なようでいて、俺はコイツに花火を見せたかったと同時に、ご両親にコイツが楽しんでいる浴衣姿をも見せたかったのだ。

いや、ご両親を花火大会に呼ぶ訳にもいかないし、やっぱり支離滅裂か。

でも、なるほど、メールで送ってくれるなら、少しはご両親も喜ぶだろう。

「じゃあ、美矢が帰ってきたら花火しような……」

「ええ」

美月が笑顔で返事するのを見て、俺は眠りに落ちる。


「私の孝介さんはお眠り中ですが」

玄関の方から美月の声が聞こえてくる。

誰かお客さんだろうか。

「別にあなたの孝介が寝てても構わないわよ。美月ちゃんに会いに来たんだから」

ん、委員長か?

「そういうことでしたら、どうぞお上がりください」

委員長とはあの日以来だ。

と言っても、まだ数日しか経っていないが、少し顔を合わせ辛くはある。

だが、委員長の口振りからすると、気にした風はなく、今までと変わった様子は無い。

「何よ、まだ寝てるっていうからお布団で寝てるのかと思ったら、こんな時間からお酒を飲んでるの?」

委員長のあきれたような声を、俺は目を閉じたまま聞く。

「二人とも起き抜けですので、そこはかとなく淫臭がするかもです」

何を言い出すんだ、美月よ。

「飲酒?」

そして汚れなきアラサーよ。

「そうだ、花凛ちゃんも飲みますか?」

「そもそも、こんな午前中からどうして飲んでるのよ?」

「お盆だからですが?」

「お盆だから? 正月じゃあるまいし当然のように言われても……」

「おめでたいではないですか。それに、ご両親を楽しい気分でお迎えしようと」

「え? ……そっか、そういうことね……でも私、車で来てるし」

「醒めるまで、ゆっくりすればいいじゃないですか」

「でも……」

委員長が俺を見る気配。

やっぱりどこか、俺に遠慮しているのだろうか。

「孝介って、お酒に弱そうだし……」

え?

「一人で飲むのもつまらないし……」

そっち?

「酒豪ですか?」

「酒豪なんて言われると困るけど、五合くらいなら……」

五合だと九百ミリリットルか。

俺は五百が限界だ。

「私はお茶なら一リットルいけますが?」

「じゃあ一緒に飲む?」

お茶で負けず嫌いを発揮する美月を、委員長は張り合わずに受け入れる。

「ではでは、お猪口を二つお持ちしましょう」

何だか、ほのぼのとした飲み会が始まりそうだった。


「おい孝介!」

九百ミリリットル飲むくらいでは、酒豪とは言えないだろう。

だが、五百ミリリットルを超えた辺りで声は大きくなり、俺を叩き起こして絡んでくるのは酒乱と言えるかも知れない。

最初はほのぼのだったのに……。

「だいたい孝介は、昔っからそう!」

何がだろう?

いや、それよりも、酔っ払ったら眼鏡をかけるのは何故なのか。

説教モードなのかも知れない。

「人とどこか距離を取ってるくせに、こっちが遠慮せずに踏み込んだって拒絶しない」

「ですね」

「それに気をよくして親しいつもりでいたら、結局のところ孝介はそれまでと変わってなくて、こっちは空回りしてただけっていう」

「判ります」

くだを巻く委員長に、美月は合いの手を入れるように言葉を挟む。

委員長が喋ってる間はチビチビとお茶を飲んでいる。

「いっちばんたちの悪いタイプなのよ」

「まあそこからですけどね」

「百メートル先にいた人が、残り一メートルまで近付いたと思ったら、実は九十九メートルでしたって、そんなの気持ち的には折れちゃうじゃない」

「まだ踏み込みが足りないのです」

「ちょっと、美月ちゃん」

「なんでしょう?」

「まだ足りないって何よ?」

美月が俺をチラリと見た。

「境遇とか立場とかお構いなしにグイグイ行けばいいのです。見せない部分には触れずに、気付いたところは踏み込む。例えば家族のことを話さないなら何も聞かない、けれど誕生日を知ったなら、そこは攻める。そういうことを繰り返しているうちに、ポロっと弱さを見せることがあります。その瞬間を見逃さないことです。結局は愛に弱い男なのです」

何だろう、この小娘に見透かされた感。

もっとも、策略でなくそれを自然にやったのはみゃーですが」

お前も結構、俺の弱いところを突いてきた気がする。

いや、美月の場合は策略か。

「何なの? この、小娘に負けた感……。って、既に負けてるのよ!」

知らんがな。

「……ふふふふふ」

委員長が、壊れた?

「ま、次に策略にまるのは、美矢ちゃんと美月ちゃんだけどね」

「私達の仲を引き裂こうとしても、彼は既にみゃータマジャンキーですが?」

何だそれは?

まるで俺がお前達におぼれて抜け出せないみたいじゃないか。

いや、抜け出せないのか?

「誰が引き裂くのよ! 人を嫉妬に狂った悪い女みたいに言わないでよ!」

「では、策略とは?」

「ふふーん、教えないわ。ねー孝介」

なんで俺?

「あなたの策略だもんねー」

……あ、あれか。

みゃーママと一緒に頼んだ件。

正直、先日の一件以来、このまま委員長に頼るのは申し訳ないような気がしていたのだが。

「いいのか?」

「何がよ? あんな楽しそうな提案しておいて、今さら取りやめるって言ったって遅いわよ?」

「いや、でも……」

「私、あなたに拒絶された時に決めたんだから」

もういいから、と言った、自分の言葉が甦る。

「何を決め──」

「ちょっと、美月ちゃん、お酒が無いじゃない! 追加よ追加!」

「あいあいさー」

美月がお酒を取りに行く。

その背中を、委員長は柔らかな笑顔で見ている。

自然で、どこにも飾り気は無くて、幸せそうにも見える。

「さあ、飲むわよ?」

挑むような口調で、楽しそうに俺を見た。

……暑くて長い一日になりそうだ。

でも、夏の昼日中ひるひなか、セミの声を聞きながら飲む酒も、そう悪くはないと思えた。

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