第45話 慰め

「そう言えば、孝介さんに何か聞きたいことがあったのでした」

お盆に入って、美矢はみゃーママの実家に二泊三日で出掛けた。

美月は何の予定も無いと言うので、こうして二人で縁側に腰掛け、ぼんやり夏の暑さにひたっている。

「何が聞きたいんだ?」

美月は足をブラブラさせながら、軒先のきさきの風鈴を見上げていた。

「はて、何でしたっけ」

見上げたまま首をかしげるので、まるで風鈴を初めて見た子供みたいだ。

「あ、そうそう、みゃーが……ゲルニカ? のような顔を」

「えらく混沌とした表情だったんだな」

「いえ、違いました。もっと直接的な……ダリ?」

ひげでもやしたのか?」

「いえ、生やした訳でも時計のようにグニャっとなった訳でもなくて……」

何が言いたいのか、さっぱり判らん。

「奇声を発するような……あ、叫びです叫び」

「叫んだのか?」

「いえ、ムンクの叫びのような顔をしたのです」

美矢がそんな顔を?

ダメだ、想像出来ない。

「それで?」

「何故そんな顔をしたのかと」

「……何故そういう状況になったのかと」

説明不足でさっぱり判らない。

「実はですね、指輪の話を聞かされまして」

「ああ、って、アイツ、話したのか!?」

「それはいいのです。私が悪いのです。その件に関しては、どのような羞恥しゅうちプレイもアクロバティックな体位も受け入れる所存です」

「誰も要求しねーよ!」

「それはそれで、うら寂しい夏の終わりをそこはかとなく感じる今日この頃のようですが」

コイツとは会話が成り立たないことがあるが、今日は特に難しい。

「で、結局なにが聞きたいんだ?」

む、まだ判らないのか、という顔をされる。

「だからもう一つの指輪がどうなったのかと」

「あひゃ!?」

「……その顔ですが」

いま全てを理解した。

美月が聞きたいことも、美矢がムンクの叫びになったことも。

「あ、あれは……」

「まさか他の女にくれてやったとか?」

「そんなワケあるかっ!」

「ではどうしてそんなに狼狽うろたえるのですか?」

「い、いやまあ、失くしてしまったというか……」

いろはが失くしたことは、言わない方がいいだろう。

「そうですか……」

あれ? どうして美月が落ち込む?

元はと言えば、自分が指輪を失くしたのがきっかけだからか?

「どうした?」

「……いえ、いろはさんが失くしたのかと思いまして」

鋭いな、コイツ。

「ところで、失くし物ならぬ落し物は拾えたのですか?」

落し物? ああ、今度は花凛の話か。

「だから最初から拾うつもりは無いし、そんな立場でも無いって」

美月は庭に舞うカラスアゲハを熱心に目で追った。

黒地のはねが陽光を浴びて、時おり虹色の光沢が輝く様は、移り気に関心を変える、気まぐれな美月みたいだ。

でも、もしかしたら美月は熱心に見ているふりをしているだけで、実は耳を澄ませ、俺の次の言葉を待っているのかも知れない。

「忘れていた約束があったんだ」

一緒に花火を見る。

言葉にすればそれだけのことだ。

そこに期待めいたものはあっても、さほど特別感のあるものでも無い。

ひらひらと蝶が舞って、庭のあちこちに移動する。

美月はそれを目で追うのをやめ、うかがうように俺を見た。

「約束は果たされたのですね」

「ああ」

過去の約束を果たして、滞っていたものも過去になった。

「孝介さんに、ほろ苦い過去があるとは夢にも思いませんでした」

俺は苦笑する。

ほろ苦い、か。

確かに甘酸っぱくは無いなぁ……。

「別に過去として流す必要も無いのでは?」

美月は、今度は縁の下へとぞろぞろとう、ありの行列に目を向けた。

四苦八苦しながら、セミの翅を運んでいる。

美月がさっき言った、夏の終わりをそこはかとなく感じるという言葉は、このセミの翅を目にしたから出てきたのかも知れない。

「思い出は大切ですからね」

俺は頷く。

「私など、孝介さんの袋のしわや、イクときの間抜けづらまで大切な思い出です」

頭を叩こうかと思ったが、コイツなりに慰めているつもりなのだろうか?

あるいは、励まし?

「蟻がこうやって食べ物を蓄え、冬を豊かに過ごそうとするように、蓄えた思い出は人を豊かにするのです」

生意気なことを言う。

「忘れたい思い出だってあるだろ?」

「いいえ」

断言した。

あの路地裏で初めて出会ったときみたいに、大人びて、凛としていた。

「嫌な思い出も、愛情に飢えていた過去もあるから、私は孝介さんに甘えられるのです」

「……」

「花凛ちゃんも、決して忘れることは無いと思います」

ちっくしょ……。

コイツは時々、こうやって俺の意表を突いてきやがる。

事情も知らないくせに、なんて思えない。

事情を知らなくても、コイツは俺を思って言ってるのだ。

花凛の慟哭どうこくを見て、両親のことを知りもしないくせに、なんて思った俺は、その自分のみにくさを忘れてはいけないのだろう。

いや、それよりも、花凛との思い出も、俺を形作る一部なのだ。

「今夜は二人きりですが」

「そうだな」

美月は悪戯っぽく笑う。

「私の身体で思いきり慰めてあげましょう」

「調子に乗るな」

「慰められるより慰み者にする方がいいですか?」

「……ばーか」

俺は日差しが眩しいふりをした。

「あなたの美月はバカですので」

そう言って美月は、足をブラブラさせながら、いつまでも笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る