第42話 忘れ物

目が覚めると雨が降っていた。

隣の畳の上では美月が眠っており、何故か枕元にはゴーヤが転がっている。

時刻は夕方の六時だが、雨のせいか窓の外は暗い。

体調は……悪くない。

「……私のフェロモンに誘発されて目覚めたのですね」

寝言かと思いきや、隣で寝ぼけまなこの美月が俺を見ている。

「このゴーヤは何だ?」

確か庭で作っていた筈だが。

「庭でっていたものをいできたのですが」

「いや、それがどうしてここに?」

「体調が悪いのを隠したらゴーヤを使うことになりまして」

「……それは、ゴーヤでも食べて元気になろうという?」

「食べるのは下の口です。元気になるかどうかは孝介さんの素質次第かと」

俺はゴーヤをしげしげと見る。

かなりの上級者でないと流血の惨事はまぬがれないだろう。

「という訳で、ケツを出しやがれ、です」

頭を叩く。

「次からだろーが」

「体調はいかがですか?」

「悪くない」

「じゃあケツを──痛っ!」

「ちょっと出掛けてくる」

「え?」

美月は不安そうな顔をした。

俺の体調を案じているのか、それとも……。

「花凛ちゃんのところですか?」

「いや、違う」

違うけれど、同じ意味かも知れない。

「ていうか、どうして委員長が出てくる?」

「孝介さんが眠る前、何か思い出したように名前を呼んだではないですか」

やっぱり俺は口に出していたのか。

「心配はいらん。ただ忘れ物を確認するだけだ」

「忘れ物?」

「いや、落し物かな」

「……拾うのですか?」

「拾わない。だから確認するだけだって」

「……雨なのでお気を付けて」

いつも我儘だけど、真剣な話になると聞き分けがいい。

「美矢にも言っといてくれ。晩飯は帰ってきてからちゃんと食うから」

俺はそう言って、台所には顔を出さずに玄関を出た。

ご飯ごしらえをする、美矢の鼻歌が聞こえた。


軽トラであの池に向かう。

濡れた路面に跳ねるかえるを避けてゆっくり走る。

花火大会は中止だろう。

行ったところで何がある訳でもない。

ただ、置き去りにしたものや、置き忘れてきたものを見届けたいだけだ。


あの後、委員長の姿を見たのは葬式の時で、言葉を交わすことも無かった。

いや、交わせなかったのだ。

制服姿の級友達、涙ぐむ女生徒を、俺はどこか他人事のように見ていた。

けれど、委員長だけは違った。

慟哭どうこくとはこういうことを言うのだろうか。

他人事のように醒めた目で見ることができなかった。

俺は耳をふさぎたくなった。

これ以上、俺の心を掻き乱さないでくれ。

そんなことを思った。

両親のことを知りもしないくせに。

そんな酷いことも思ったりした。

あの日の着信履歴やメッセージに、返事をすることも無かった。

暑い日が続いて、ただ暑いなと思うだけで精一杯だった。


夏休みが終わって学校生活が始まっても、日常はどこか変わってしまっていた。

級友達は俺をれ物に触るように扱ったし、俺はそんな彼らを、景色を見るように眺めていた。

日常と言えば、委員長だけは夏休み前と同じ態度で接してきた。

面倒見がよくてお節介。

でもそれは、変わらない日常などでは無く、変えないようにと作り上げたものだ。

俺にとっては嘘くさく、お節介が鬱陶うっとうしくさえ思えた。

「委員長」

以前の呼び方に戻っていた。

委員長はその度、どこか痛そうな顔をしてから微笑んだ。

「もういいから」

何て心無い言葉だろう。

「え? 何が」

委員長の作る日常が崩れかけた。

でも、もういいのだ。

取りつくろうような日々なんて意味は無いし、作られた日常に合わせるのは疲れるんだ。

「俺のことは、もういいから」

それでおしまい。

全てと距離を取って、全てを他人事のように眺める、それが新しい日常になった。

別に子供のように他人を拒絶して、自分のからに閉じこもっていた訳じゃない。

話し掛けられれば普通に会話したし、普通に笑ったりもする。

委員長もただのクラスメート。

それ以上でもそれ以下でもない。


地元の国立大を目指していたが、成績を落としたこともあり、都会の私大に進学した。

大学では、普通に勉強が出来て、真面目で、でもあまり面白味の無いヤツ、という評価。

就職しても、それは変わらない。

俺も自分を評価するなら、同じ答を出すだろう。

付き合いも悪かったし、たまに昔の友人から連絡があっても、無味乾燥な挨拶を返すだけ。

委員長のことも思い出さなかったし、連絡も無かった。

そう言えば、都会に出てきた時に電話番号も変えたんだっけ。

それを伝えた人の中に、委員長はいなかった。

淡々と、無感動な日々を積み重ねていく。

それが日常で、それ以上も求めていなかった。

なのに突然、降って湧いたようなおかしな出会い。

振り回され、いつしか笑い、いつしか必死になっていた。

美矢と美月に出会っていなければ、そんな日々が自分にもたらされることなど無かったに違いない。


雨のせいか、以前と印象が違う風景。

砂利道だった農道が、舗装されていたからかも知れない。

雑木林の暗い影に向かって進めば、行き止まりの場所が小さな空き地になっている筈。

そこに車を入れて、池まで歩こう。

傘は持ってきていないけれど、雨は小降りになっているから構わないだろう。

花火大会の開始は十九時半。

本来なら間も無く始まる。

空にはまだ微かに明るさの余韻みたいなものが残っているが、ヘッドライトが照らす先は真っ暗だ。

でも、見間違えじゃない。

体調も悪くない。

あるいは高熱があって、自覚症状が無いだけで幻でも見えているのだろうか。

行き止まりの空き地に、見覚えのある軽自動車が見えた。

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