第38話 甘えさせるには

さて、どうやって美矢を甘やかそうか。

この人懐ひとなつっこいくせに抱こうとすると逃げる猫みたいなヤツを、自然に甘えさせるのは難しい。

美月だったら、「おいで」と言えば擦り寄ってくるのだが。

最初の印象は、美矢が犬みたいで美月が猫みたいだったのに、今はそれが逆転している。

「美矢、今夜は外食にしようか」

まずは楽をさせることから始めてみる。

「もうすぐこーすけ君の誕生日でしょ。贅沢ぜいたくはその日に!」

もうすぐと言ったって、まだ一ヵ月近くある。

でも、俺を祝うために贅沢をひかえようと言ってくれてるのだし、普段から節約してくれるのはありがたいから無理強むりじいする気にはなれない。

「安易な考えの虫なのです」

美月が昆虫図鑑を見ながら何かつぶやく。

まあ昆虫の生態は多岐たきわたるから、感心するものもあれば、所詮は虫と思えるものまで色々あるだろう。

「そう言えばサバっちって、時々お前の布団で寝てるよな」

今夜は一緒の布団で寝ようか、なんてことを言いたいのだが。

「最近は暑いから一緒には寝てないよ」

そう言えばそうか。

「何と遠回しな虫もいたものです」

美月は昆虫図鑑を見ながら、ちょっとあきれたような声を出す。

まあ昆虫の生き方なんて様々だから、そういった虫もいるのだろう。

「なあ美矢」

「なぁに」

「真矢ちゃんを見て思ったんだけどさ」

「うん」

「甘える真矢ちゃんも可愛いよな」

「……こーすけ君に甘えたの?」

睨まれた。

いや、真矢ちゃんには甘えられてないけど、対抗して甘えてほしいなぁ、なんて……。

「うわぁ、この虫は愚策ぐさくろうするのです」

美月は昆虫図鑑を見ながら、あざけるように言い放つ。

虫の策略など、たかが知れているのかも知れないな。

「美矢、ちょっと肩を揉んでくれないか」

「いいよ」

甘えさせるには、甘えることから始めてみるのも一つの手だろう。

美矢は意外と力があるから、肩を揉ませてみてもなかなか上手い。

うん、こうやって触れ合っていれば、お互いが寄り添う気持ちになるというものだ。

「よし、今度は俺が揉むよ」

このままだと、その心地よさに甘える一方になってしまいそうだ。

「私は肩凝りなんて無いからいいよ」

あれ?

持ちつ持たれつ触れ合って、やがては甘えさせるはずが……。

「他の虫に甘えるだけの虫もいるのですね」

美月は昆虫図鑑を見ながら、感心したように呟いた。

まあ共存や共生といったものだけでなく、他者に依存するだけの昆虫もいるだろう。

人間もまたしかり。

気を付けたいものだ。

「美矢」

「ん?」

「お前の指、凄く綺麗だな」

こうなったら褒めちぎり作戦だ。

実際、美矢の指はとても綺麗で、これに関しては美月もかなわないのである。

「もう、どうしたの急に」

「いや、前から思ってたんだ。触りたくなる手だなって」

「クッサ! 激烈クサイのです」

美月は昆虫図鑑を見ながら、何やら気になることを言った。

いや、コイツはさっきから気になることしか言ってない気がする。

「美月」

「何ですか?」

「お前は何の話をしてるんだ?」

「私はカメムシのページを見ているのですが?」

「カメムシのページがクサイのか?」

「何を言ってるのですか。連想したことを口にしたまでです」

そう言われてしまうと反論しようが無い。

カメムシが洗濯物に付いて困らされることもあるし、その臭さは美月もよく知っている。

しかし、美月は放っておくとして、美矢に対してどうすべきか。

このしっかり者が、みゃーママに会った瞬間に見せたあの子供らしい姿を、どうすれば俺にも見せてくれるだろう。

やはり母の愛には敵わないのか。

もはや直接的な手段しか残されていないのか。

「美矢」

「もう、さっきから何度もどうしたの?」

何だか甘えさせるような目で見てくる。

これではまるで、俺が構って欲しくて何度も美矢を呼んでいるようだ。

「構ってちゃんな虫もいたものです」

無視だ無視。

「一緒に風呂に入ろうか」

「エロに走る虫も──なっ!?」

「私と? いいよ。ていうか嬉しい」

ニッコニコだ。

エロと言われようが、背中を流してやったり、抱き抱えるように湯槽ゆぶねかったりすれば、それはそれで甘やかしてやれたと言えるのではないか。

「……私も入っても?」

「いや、お前は後で一人で入れ」

「お背中お流ししますが?」

「別にいらん」

「……」

うかがうように俺を見てから、美矢に目を向ける。

ご主人様に突き放された仔犬が、他の家族に助けを求めるようで、ちょっと可哀想になる。

「こーすけ君、タマちゃんも一緒に。いいでしょ?」

「……ああ」

仔犬が飛び付いてきた。

尻尾が見えるようだ。

何だかんだで、結局、甘えてくるのは美月の方だった。

美矢を甘えさせるには、もっと俺が大人にならなければならないようだ……。

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