第39話 コスプレ

「花凛ちゃんの制服姿が見たいのです」

不意に美月が放ったその一言に、何やら緊張のようなものが走った。

えっと、委員長って何月生まれだっけ?

今年三十一になるのは確かだけど、もうなっているのかまだなのか。

いや、三十と三十一にさほど違いは無い訳で、制服なんて十年以上前に脱ぎ捨てた大人である訳で……。

「み、美月ちゃん、この卒業アルバムの私、制服姿でしょ?」

俺の高校の卒業アルバムは美矢も美月も既に見ていたが、委員長の存在を知ったからか、改めて見たいと言い出したのだ。

「こんなダサい制服ではなく、私の制服をお貸ししますが」

「ちょ、無茶言わないでくれる?」

「無茶? サイズ的に問題は無いと思いますが?」

これはイジメなのだろうか。

それとも、純粋な希望なのだろうか。

ただ、委員長は委員長のイメージを残しているし、華やかなタイプでは無いけど若く見える。

と言っても、せいぜい二十代半ばくらいか。

衣装や化粧を頑張れば女子大生でも通じる?

「こ、孝介」

「なんだ」

「私、公開処刑されるの?」

「いや、寧ろ大人の女性であるのに、制服だって着こなせてしまうアピールが出来るんじゃないか」

あれ? 俺なに言ってんだ?

もしかして俺は、委員長の制服姿が見たいのだろうか?

「そう言えば委員長って、授業中は眼鏡かけてたよな」

「な、何よ急に」

「今も持ってる?」

「車の運転の時は眼鏡をするから……どうして?」

「それです!」

美月が「ドン」と机を叩いた。

「この卒業アルバムの花凛ちゃんは、よく見れば綺麗だけど野暮ったい真面目少女になってます。ですが今時の都会の制服で身を包み、そこに眼鏡を装着することによって、洗練された知的委員長が誕生するのです!」

美月が、俺が言わんとすることを代弁した。

というか、美月の言葉によって、俺が見たいものが明確になったのだ。

「ちょ、ちょっと、そもそも今日は、美月ちゃんと釣りに行こうって話だったでしょ?」

「釣り? そう言えばそうでした。孝介さんより立派なこいを釣り上げる予定でした」

「そんな鯉はおらんわっ!」

「だから、そろそろ出かけましょう?」

美月が窓の外に目をやる。

眩しいくらいにいい天気で、セミの声もうるさいくらいに賑やかだ。

「……今日は、外は暑すぎるので、日を改めるべきかと」

「いや、でも、立派な鯉が誰かに釣られちゃうかも」

「心配いりません。孝介さんより立派な鯉は沢山いるのです」

「そんな鯉はおらんわっ!」

ミーンミーンとセミが鳴き、チリンチリンと風鈴が鳴る。

そんな長閑のどかな夏の空気が、何故か息が詰まるほど張り詰めていた。

三十路で制服を着る羽目になるかどうかの瀬戸際に立たされた委員長と、鯉などに負けてたまるかという俺の誇りが複雑に絡み合う。

お互いが相手の出方をうかがうように息を呑み、下手な発言は墓穴を掘ることになると身構える。

美月が緊張に耐えかねたように、俺にちらりと視線を向けた。

「別に孝介さんより立派なふなでもいいのですが?」

「誰もそんな心配しとらんわっ!」

美月の頭を叩き、俺より立派な鯉や鮒がいるかの議論は終止符を打った。

いや、いるわけが無いし議論でも無いのだが。

「でも、鯉って百年以上も生きる場合があるし、そうなるとその辺の人間より威厳があるわよ?」

委員長が、話題を制服から離そうとしているのは見え見えである。

「マジですか!?」

だが、それに簡単に喰いつく美月。

コイツは鯉より簡単に釣れるんじゃないか?

「ええ。一メートル以上もある鯉を見たことがあるけど、悠々ゆうゆうと泳いでる姿は、気品と貫禄かんろくさえ感じられたわ」

くそ、そいつは俺より立派なのか?

いや、そんなことより話題の軌道修正を。

「それです!」

「え?」

「きっと花凛ちゃんも、気品と貫禄ある委員長の姿を顕現けんげんさせることでしょう!」

ナイスだ美月。

同じ気品と貫禄なら、鯉よりも委員長の方がいい。

「こ、孝介には見せないという条件なら」

なに!?

それでは何の意味も無いではないか!

「何を言ってるのですか。昔の花凛ちゃんを知る孝介さんの意見を聞いてみたいとは思わないのですか?」

どこかに、私だってまだまだイケる! という心理。

もしかしたら見違えるかも、という願望が誰にだってある。

美月はそれを揺さぶったのだ。

「で、でも」

「花凛さんは肌も綺麗だし、大学生がよくしてるようなメイクなら私がするよ? 似合うんじゃないかな」

今まで黙っていた美矢が発言した。

それは、助け舟を出すようでいて、逃げ場を無くすセリフだった。

「あ、う……」

逃げ場だけでなく、言葉も失くしてしまったか……。

「さあ、私の部屋に着替えに行きましょう」

もはや逆らえない。

委員長は二人に両脇を抱えられ、力なく二階へと上がっていった。


「孝介さん」

随分と時間がかかっていたようだが、美月が戻ってきた。

俺の耳元に口を近付け、内密な話でもするように言う。

「花凛ちゃんが、委員長では無くなってしまったのですが」

「は?」

予想に反して、ちぐはぐなイメージになってしまったのだろうか。

「それでも見ますか?」

ここまできて見ないというのもアレだけど、委員長が見られて傷付くようなら避けておきたい。

「お前から見てどうなんだ?」

「現役と言うには無理がありますが、コスプレとしてならアリかと」

ふむ。

コスプレとしてもイタイ場合があるのだから、アリならアリだろう。

俺はゆっくりと頷いた。

「花凛ちゃん、どうぞー」

美月がそう言うと、美矢が委員長の背中を押すようにして部屋に入ってきた。

「ほら、花凛さん、恥ずかしがってないでビシッとして」

見慣れた二人の制服。

そこに眼鏡をかけ、背筋を伸ばした委員長、いや、生徒会長の顔があった。

こ、これは、生徒会長コスプレだ!

「さあ会長、言ってやってください」

委員長は恥ずかしがりながらも、眼鏡をキラーンと光らせる。

きっと二人にさんざん褒められて、少しはその気になっているのだろう。

ビシッと俺を指差す姿は様になっていた。

「孝介!」

俺は居住いずまいを正した。

アリだ。

逆らえない威厳と気品がそこにはあった。

俺は委員長に見下ろされながら、恐らくは美月が言わせているであろう会長様のお言葉を、うやうやしく聞き続けたのだ。

何かに目覚めてしまいそうだった。

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