第10話 お掃除

明かり取りの窓は小さく、蔵の中はほの暗い。

微かにかび臭いような匂いはするが、扉を開け放っておけば、それも気にならなくなる。

「意外と綺麗っすねぇ。もっとゴチャゴチャして蜘蛛くもの巣でも張ってるのかと思ってました」

いろはが蔵の中を見渡し、最後に天井てんじょうを見上げて言う。

「まあ適当に整理と掃除はしてたからな」

俺は水を満たした二つのバケツを、一つは一階に置き、もう一つは二階に運び上げる。

バケツを持って梯子はしごを上るとき、いろはが少しだけ不安げな顔をした。

「心配すんな。今の俺は、美矢や美月を抱えて上れるくらい力持ちだ」

いろはが口許をほころばせる。

目鼻立ちがはっきりしているので、薄暗いところにいても表情が判りやすい。

「いろははちょっと無理かもだが」

「もう、孝介サン!」

本気で怒っていないことは、表情ではなく口調で判る。

いろはは二人より背が高いしグラマーだ。

何より、胸がデカイ。

胸の大きさが体重に及ぼす影響は判らないが、あの量感はかなりのものだ。

いろはが雑巾ぞうきんしぼろうと、バケツの前にしゃがむ。

自身の膝で圧迫された胸の量感が増す。

「おい、それはいい」

「え?」

「お前の仕事はこれだ」

俺は二階の壁にぶら下げられていたハタキをいろはに渡す。

「上の方からパタパタしてほこりを落としてってくれ」

「え、でも楽すぎないっすか?」

「べつにばつだからって、進んでキツイことする必要はないだろ」

「そんなこと言ってると、後でまた美矢に怒られるっすよ」

俺は苦笑する。

きつく美矢からお叱りを受けた後、二人は罰として蔵の掃除を言い渡された。

ちょうど本格的に掃除して何か有効活用しようと思っていたところだし、恐らく美矢もそう考えていたはずだ。

罰と言ってもパフォーマンスみたいなものである。

このすきに、美矢はいろはを歓迎するための買い出しにでも行っているに違いないのだし。

「孝介サン」

「ん?」

俺はハタキがけの終わった壁や柱を雑巾で拭いていく。

「スミマセン」

「……何がだ?」

「さっき美矢に言っちゃったこととか」

「ああ、そんなこと、寧ろ俺が口で説明出来なかったことを上手く伝えてくれたと思ってるよ」

「……それから、これ」

いろはは手の甲を俺に向ける。

「どうした?」

「あたしがネイルアートしてるから、こんな楽な作業させてるんすよね?」

自爪に施された装飾は、かなりの手間がかかっていると思われた。

正直、そういった飾り付けは好きではないが、せっかくの努力を無駄にさせることもあるまい。

ましてや一応は、お客さんなのだし。

「まあ農作業を手伝うつもりなら、そんなお洒落しゃれはいらないけどな」

「……つい、はしゃいでしまいまして」

「まあ、二、三日はくつろいでたらいいさ」

「……あざっす。いえ、ありがとうございます」

「よせ、気持ち悪い」

「もう、孝介サン!」

「うわっぷ」

パタパタと俺にハタキがかけられる。

何だか、高校時代に掃除の手を抜いて委員長に怒られたことを思い出した。

まあその時は、ほうきでシバかれたのだけど。


今度は箒で掃き終った床を雑巾で拭いていく。

「美矢は、凄いっすね」

箒を持つ手を止めて、いろはがしみじみとした口調で言う。

腕の動きに合わせて揺れていた乳の動きも止まる。

「凄い?」

お前の乳も凄いが、などと思ってしまう。

「だって、さっきはあんなに強く叱ってたのに、こうやって二人に掃除させてるじゃないっすか」

「そりゃあ罰を受けるのは二人だろ。アイツは友達だからって贔屓ひいきはしないし、勿論、旦那だからって贔屓もしない」

「そうじゃなくて、普通なら一緒にはさせないっしょ? 怒った理由からして」

「まあ、それはそうだな」

アイツはバカみたいにお人好しだ。

でも、バカでは無い。

「美矢はね、孝介サンがあたしと仲良くするのは素直に喜んでくれるんすよ」

「ああ、知ってる」

「ただ、ケジメっていうか、線引きはしっかりしないと妻として激怒する」

「うん、そうだな」

バカでは無いどころか、賢い妻だと思う。

「そして、信頼してくれてるから、こうやって二人に任せてもくれる」

「ああ」

「その点、多摩さんは妻というよりは、まだまだ女の子っすね」

「え?」

いろはが声をひそめる。

「ほら、あそこに隠れてますよ」

俺は身を乗り出して、階下を覗き込む。

「あ」

ほぼ真下、段ボール箱と古い家具の間に身をひそめていた美月と目が合う。

と同時に、俺はバケツをひっくり返してしまった。

「あ……」

バケツは落ちなかったが、中身の水は、ほぼ階下へと一気に落ちた。

「……」

濡れねずみになった美月が、ちょっと悲しげに俺を見上げる。

「孝介さんから、初ぶっかけされてしまいました……」

いや、全身ぶっかけ?

「なるほど、ぶっかけというものは、女性の尊厳を踏みにじるものなのですね……」

何か意気消沈した様子で、美月はトボトボと蔵から出て行く。

「いろは」

「はい」

「美月と一緒に風呂でも入っててくれ」

「了解っす」

ビシッと敬礼して、美月の後を追いかける。

何か既視感のようなものを覚える。

ああ、あの時か。

一昨年の文化祭、いろはと初めて会ったときにも、さっきみたいな敬礼をされたことを思い出した。

俺は濡れた床を雑巾で拭きながら、何故か鼻歌を歌っていた。

いや、当然か。

可愛い嫁が二人もいて、素敵な友達が遊びに来てくれたのだから、気分が良くないわけがないのだ。

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