第9話 第八十三回乙女会議

部屋の中は、しん、と静まり返っている。

俺は居間を追い出されたわけだが、ガラス障子しょうじを隔てただけの縁側にいるので声は聞こえてくるはずだ。

ガラスはりガラスだから中は見えないし、盗み聞きをするつもりも無いけれど、敢えて離れる必要も無いだろう。

美矢も縁側にいていいと言ってくれた。

「にゃあ」

サバっちもオスだからか、律儀に部屋から出てきて俺の隣に座る。


「それでは、第八十三回乙女会議を始めます」

沈黙を破って、美矢の凛々しい声が聞こえてきた。

へー、美矢があんな風に仕切るのか。

アイツはしっかりしてるけど、意外なような、頼もしいような……。

芽吹いたばかりの庭木の葉と、ひらひらと舞う蝶々を眺めながら、サバっちをひざに抱く。

まあ俺はあくまで傍観者で、会議に介入することなく日向ぼっこでもしていよう。

「ちょっと待ってもらっていいっすか」

「何ですか、いろはちゃん」

「乙女会議なんて言ってるけど、この中で乙女と呼べるのはあたしだけじゃないっすかね?」

「……」

「……」

なぜ沈黙に耳が痛みを覚えるのだろう?

「え? ちょ、もしかして?」

「……」

「……」

「マジで? アンタらこの一ヵ月、一つ屋根の下で過ごしながら何やってたの!?」

「いろはさん」

「なんすか、多摩さん」

「この一ヵ月、私達が無為に一人で摩擦係数の確認をしていたとお思いですか?」

ぶっ! 摩擦係数!?

それは大きかったのか小さかったのか!?

「摩擦係数って、その、自家発電的な何かのことっすか?」

「自家発電だなんて、イヤらしい言い方はよしてください」

「多摩さんに言われたくないっす!」

「私達も、手をこまねきながら手をね繰り回していたわけではありません」

こまねきながらこねくりまわす!?

「いや、誰もそんなこと言ってないっすけど……」

「敵は、大いなるヘタレ」

「……」

……面目ない。

「いろはちゃん、逆に訊きたいんだけど」

「ん、どーぞ」

「こーすけ君ばかりに原因を求めるのは良くないと思うんだ。私達の方にも問題があるかも知れないし。何か思い当たること、あったら言ってほしいんだけど……」

「……乳?」

「……」

「……乳魔人め乳魔人め乳魔人め」

何かゴンゴンと叩き付けるような音が?

「あ、いや、冗談だし! ちょ、多摩さんひたいが赤くなってますって!」

「……まあ、どっちが先かってことで、揉めてたせいでもあるんだけどね」

「ああ、なるほど。で、それは解決したの?」

「うん。だから私達が乙女じゃなくなるまであと少し」

「みゃー、私は先日の話は納得してないけど。私が我儘だからって私を優先してたら、私は全てを先に頂戴することに」

「いや、多摩さん、自覚あるなら直しなさいってば」

「受験生の自覚があるなら勉強なさればいいのでは? いろ乳魔人さん」

「い、息抜きも必要っす!」

「会議は息抜きではございませぬ」

「まあまあタマちゃん、乳魔、いや受験せ、じゃなくていろはちゃんも色々と考えてくれてるんだから」

「アンタら乳を気にしすぎ!」

「勢いよくそう言い放ついろはは、これ見よがしに乳を揺らすのだった……」

「揺らしたんじゃなくて勝手に揺れるんすよ!」

「くっ!」

「オート機能でしたか……」

「乳のことは置いといて……要はさ、一番か二番だから困るんしょ?」

「どういうこと?」

「いや、一番最初と二番以降って意味合いが大きく異なるじゃん」

「まあそれはそうだね」

「二番目と三番目だったら、ほとんど違わなくない?」

「まあ……それは確かに」

「だったらいっそのこと、一番目は第三者に任せてしまえばいいんじゃん?」

何を言っておるのだアイツは。

「何を言っておるのかこの魔乳は」

「勉強のしすぎで疲れてるんだよ、きっと」

「いや、割といいアイデアだと思うんすけどねぇ」

「……はっ!? いろはさん、まさかその持て余し気味の魔乳で、孝介さんの一番搾りを頂こうなどと考えてらっしゃるのでは?」

ぶっ!

「え? いや、特にアテが無いならあたしでもいいかなーなんて」

アイツ、何言って──

「って嘘! 嘘です! 出がらしの三番煎でいいです!」

炬燵こたつがひっくり返るような音がしたが、様子を見に行かなくていいだろうか?

まあ悪ふざけの域は出ていないと思うが。

それにしても、外は長閑のどかだなぁ。

現実逃避などではなく……。

「三番煎どころかオカズにもさせませんが」

「はいはい。考えてみたら以前と違ってアンタら二人は妻だもんね。第三者とか有り得ないよねぇ」

「ふふ」

「えへ」

「……孝介サンの奥さん」

「うふふ」

「えへへ」

「めっちゃ嬉しそうっすね……」

「だって、周りからそう呼ばれることなんて無いし」

「周りなんてどうでもいいっしょ。お互いが伴侶はんりょって認め合ってるんだし」

「いろはさん、あなた、良い人ですね」

「いろはちゃん、勉強頑張ってね」

「なんなんすか、この変わりよう……」

「心は完全に結ばれてるから、あとは身体だけ」

「あ、そのことだけど、さっきは一番目と二番目の差は大きいって言ったけどさ」

「うん?」

「まあ世間的にも二人的にもそうなんだろうけど、孝介サン的には差は無いと思うよ」

「え?」

「え?」

「いや、判るっしょ? どっちが大事とか優劣つけてるワケ無いし、初めての経験した方に愛情を強く感じるとか有り得ないし、あの人にとったら童貞がどうとか初めての女性とかの問題じゃなくて、初めての美矢であり、初めての多摩さんで、どちらも大切な初めてなんじゃないの?」

「……」

「……」

いろは……。

「あの人が迷ってる理由って、自分がどっちを優先したいかってことじゃなくて、ずっと二人の気持ちばっかなんしょ?」

「……」

「……」

「それって、もう順番なんか関係無くね? 愛されてるんだから、ただ愛してあげる。それだけのことじゃん」

「い、いろはさん!」

「ちょ、多摩さん、感極まってないっすか!?」

うん、何とか丸く収まりそうだな。

「いろはちゃん」

「やだなぁ、美矢も落ち着い──って、めっちゃ冷静な目ですやん!?」

え?

「そこまでこーすけ君の気持ちを代弁できる理由、訊いていいかな?」

「え? いや、そこそこ、たまに? 同棲直後までだしね? いろはちゃんのお悩み相談コーナー、みたいな? えへへ」

「……」

沈黙が、怖い。

「み、美矢、それだって二人のこと考えての──」

「それとこれとは別。妻がありながら他の女性に性の悩み相談するのは看過できません」

「いや、でもさ」

「こーすけ君! ちょっとこっちに来て座りなさい!」

俺は、長閑な庭の風景を見ながら、膝を抱えて震えていた。

「こーすけ君! そこにいるんでしょ!」

今日はちょっと冷えるなぁ……。

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