第3話 挨拶回り 1

ご近所さんに挨拶にうかがうことにする。

隣家のおっちゃんち以外はやや離れているのだが、何も言わないままという訳にはいかない。

この一年、それとなく根回しはしてきた。

絶対に信用できると思える、長く深く付き合ってきた数軒の人には本当のことを話した。

それ以外の人には、都会で会社勤めをしていたときの上司の娘、ということにして、こっちの大学に通うから下宿させると言ってある。

昔から俺を「孝ちゃん」と呼んでくれていた人達は、おおむね理解してくれた。

表情を曇らせる人もいたが、中には「でかした!」と言って豪快に笑う爺さんもいた。

実際に二人に会えば、悪い印象を持つ人はいないと思うのだが……。


まずは町内会長さんのところへ。

「信用度は?」

美矢が訊く。

「五だ」

ふん、と美月が鼻を鳴らした。

「信用度たったの五。ゴミめ」

「五段階評価だよ!」

両親が亡くなった時には、町内会長には随分とお世話になった。

特に奥さんには、子供の頃から可愛がってもらっていた。

「ということは、こーすけ君の奥さんとして挨拶したらいいんだよね?」

「専属肉便器と自己紹介しても構わないのですね」

「構うわ! 俺の信用が落ちるわっ!」

「十歳以上も若い女性を二人もはべらせておいて、どの口が信用とかのたまうのでしょう。全くもって笑止千万、片腹痛い、へそでお茶が沸くレベ──痛っ!」

「お前はどれだけ俺をおとしめる気だ?」

「私は人見知りが激しいのでテンションあげあげで行かないと、ただの妻ですと言ってしまいそうなので……」

「それ以上を求めてねーよ!」

「そうですか。では、あなたの美月はただの妻に成り下がります」

コイツ、今まで何様のつもりだったんだ?


町内会長の家は豪邸だ。

この辺りの大地主で、過去に政治家になった人もいる。

会長自体は俺が通っていた高校の、元校長だった人だ。

そういう意味では高校教師を目指す美月にとっても、会っておいて損は無いだろう。 

「中田氏!」

表札を見て美月が絶句する。

「いや、ナカダじゃなくてナカタな」

「惜しいですね」

何がだよ。


応接間に通される。

柔和な笑みをたたえた会長は、教育者と言うよりは学者っぽく見える。

隣の奥さんは上品に歳を取ったなぁ、という感じで、やはりにこやかだ。

「妻の美矢と申します!」

元気でニッコニコの、美矢らしい挨拶だ。

「……美月です」

美月の方は緊張して、借りてきた猫のようにおとなしくなった。

さっきまでの元気はどこへやら。

俺の将来の展望や、二人の進路などについては事前に話してあるから、会話の内容は世間話や昔話になった。

「田舎に若い子が増えるのは歓迎だが、元教育者としては複雑な気持ちだねぇ」

「あんなに小さかった孝ちゃんが、二人の女性を連れて来るようになるなんて複雑な気持ちよねぇ」

夫婦は笑いながらそんなことを言う。

そこに非難やたしなめるような響きは無い。

「もし校長時代、生徒にそんな子がいたらどうしてましたか?」

会長は美矢の質問に苦笑してから、

「まあ呼び出して注意だろうねぇ」

と答える。

「なんというダブルスタンダー──どっ!」

小声で呟く美月の頭は叩いておく。

「私達は高校二年から付き合ってましたから、注意対象ですね」

「君達が間違っているとは思わないよ。幸せの形は人それぞれだ。ただ……」

「ただ?」

「苦労や困難が多いのも確かで、大人としてそういった道を歩ませたくないと思うのは仕方がない」

美矢は頷いて聞いていたが、美月の方が少し身を乗り出す。

「二人では支えられないものが、三人だと支えられることもあると思いませんか?」

「おい美月」

どういうわけか、少し反抗的な声色だ。

自分達の関係が、より大きな幸せのためであると信じているのだろう。

「逆に訊くけど、君が教師になって、男子生徒が二人の女性と付き合っていたらどうするんだい?」

「別れさせます」

「うぉい! お前の方がダブスタじゃねーか!」

「私達が特別なのですが? 二股かけるようなさかったサルと孝介さんを同じにされては困りますが?」

美月……。

「君と同じだよ」

「え?」

「孝介君を信用してるから、こうやって君達と会ってる。彼は子供の頃から優柔不断なところがあったが、間違ったことに関しては頑固だった」

優柔不断というところで二人が深く頷くのは何故だ。

「だから最初に話しを聞いたとき、寧ろ彼が都会の若い女の子にだまされてるんじゃないかってね」

「まあ、私は魔性のおん──なっ!」

段々と調子づいてきやがったので再び叩いておく。

「この一年、彼は頑張っていたし、色んな人に頭を下げて回った。そこまでして迎えたい女性なら、希望があるんじゃないかと思った」

二人がピンと背筋を伸ばす。

「それに……」

会長は一度、俺に目を向けていたわるような笑みを浮かべる。

「?」

「彼は両親を亡くした時、気丈に振る舞っていた。でも私は、頼もしいとか偉いとか、そんな風には思えなくてねぇ」

当時のことを思い出したのか、奥さんがハンカチで目許を拭う。

「あれは、葬儀から一週間後くらいだったか?」

奥さんが頷く。

「彼のことが気掛かりで家を訪ねたんだが、彼はとても真っ直ぐな目で照れ臭そうに笑いながら、これから何のために生きていけばいいんでしょう、と訊いてきた。途方に暮れるというのはこういうことなのかと初めて知った思いがした」

「……」

「何のために進学して、何のために就職して……それはいったい誰のために? 勿論、親孝行のためだけに人は生きてるわけじゃない。でも私達は、彼の質問に明確な答が出せず、ありきたりな励ましを言ってお茶を濁した。そのことが不甲斐なくてねぇ……」

俺を何かと気遣ってくれたのは、そんなこともあったからなのか。

会長は、そこで俺達三人に笑みを向けてから、奥さんと視線を交わして頷き合う。

「あらゆる目的を見失っていた彼が、君達と生きたいと思えたなら反対する道理は無いよ。頑張りなさい。私達夫婦は応援する」

とても包容力のある、優しい声だった。

田舎の、しかも豪邸の応接間は話が止むと静寂に満ちる。

時計の針の音、そして声とも言えない声が、静けさを際立たせた。

……ターマ。

泣き虫のコイツを見ると、つい昔の呼称で呼びたくなる。

俺は美月の頭をポンポンと叩いた。

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