薬屋稼業(改訂版)
succeed1224
序「レゾン・デートル」
「何でお前にそんなことを言わなきゃいけないんだ!?お前は医者か?」
血「今朝は血圧どうでしたか?」と訪ねられて、すごい剣幕でそう言い放った彼の血圧は、間違いなく高いだろう、血管切れて死ねばいいのに。
「はい、失礼しました。」
保険薬剤師綱領によれば、お薬を渡す時に、患者からは適切な情報収集を行わなければならないとされている。我々も世間話がしたいのではなく、仕事で訊いているのだし。なのに、何故俺は謝っているのだろうか。
そんなことを思いながら、他の多くの薬剤師がそうするように、手早く薬をレジ袋に詰めて渡す。
彼は引ったくるように薬の入った袋を奪いとると、再び袋を開いて中身の確認を始めた。以前薬の数を間違って渡されたことがあるらしく、その場で改めているらしい。
もちろん、そういう記録があるのでこちらもしっかり数を確認しながら渡しているのだが、その時は先に手にとった領収書に夢中で全く見ていなかった。
67才の、血圧以外はどこも悪くない大のオトナが、である。
「病院で書いてきたのに、どうしてここで問診を書かなきゃいけないの?無駄でしょ?」
隣では、先週免許が届いたばかりの新人薬剤師が、問診票の記載をゴネる30代後半の主婦っぽい女性に謝っている。
個人情報にうるさい昨今、医療情報の管理は医療機関毎で行われる。病院と町の薬局はもちろん別の医療機関になるので、病院で書いたことが薬局に伝わっているはずがない。
少し考えればわかりそうなもんじゃない?あんたが今日初めて飲むその薬で副作用が出たら、どこに問い合わせるの?
その婦人科医院今日は午後までだし、明日休みだよ?
そうなったらウチに問い合わせないの?
有事になってから痒みや吐き気に耐えながら自分の状況を説明するより、どう考えても事前に情報があった方がいいし、住所や電話番号も含めて、情報は多い方が良いに決まっている。
それとも、誰にも相談しないで勝手に止める?
ホルモンのバランスを整える薬を自分の気分で調節服用なんて正気じゃない。
割って入ってそう言ってやりたいが、残念ながら目の前のおじさんが領収書に夢中で立ち去ってくれない。残念だ、本当に。
「本社にクレーム入れるからな!」
領収書と薬を、待ち時間の何倍もかけて確認した後、そう吐き捨てておじさんは去っていった。
お薬手帳を見る限り、彼は一定の周期で、道を挟んだ反対側にある別の薬局を利用している形跡がある。
頼むから俺がいるうちはもう向こうの薬局で貰ってくれ。
「お大事に」
この言葉が反射的にでも出るうちは、俺はまだ大丈夫、だと思う。
さて、気を取り直して調剤室に戻り、主婦の薬のチェックだ。
女性ホルモン剤を14日間内服、その旨を説明する文書と併せて、1回1錠1日1回夕食後と書かれた袋に14錠入れる。
「なんか、すごかったですね」
問診のお願いをとっとと諦めて、俺の隣で粉薬の重さを計っている新人が、顔も上げずに言ってくる。
先輩相手に目も合わせずに言ってくるが、計量中に秤から目を離す薬剤師は三流以下だ、と三流以下の他の薬剤師の前でワザと聞こえるように教えたので、少なくとも俺と彼女の間ではこれは失礼には当たらないのだ。
「ああいう人を普通に対応するとしんどいから、俺が普段から応対してればなんかアラートが出るようにしてあるんだけどな、典型的な『特に変化なし』の感じのものしか記録がなかったんで、油断したわ」
薬剤師にも、医師の診療記録と同じく「薬剤服用歴管理指導記録」、通称「薬歴」というものを付ける決まりがある。住所や既往歴、アレルギーや副作用の記録の他、「自分の病状や服薬の必要性が理解できているか」等の点を踏まえて、医師の指示通りの服薬が問題なく行えているかの経過が記録されている。
もちろんこれは患者との応対をもとに記載しているので「話にならない」患者に対しては「話にならない」との記載が行われなければならない。
ちなみに、前回あのおじさんに応対して記録を書いたのはこの薬局の管理薬剤師であるが、コイツは今日休んでいる。
他の薬剤師の記録も数回分振り返れば、「話にならない」患者であることはわかったはずだ。
前回分だけ見て「過良好のため、継続服用に問題なし」との記載を鵜呑みにした俺が馬鹿だった。
「君にはこういうの回避してほしいし、もし空いた時間があったら、俺の患者応対とか薬歴は見ておいて。それと」
俺は新人が作業する調剤台に置きっぱなしになっていた問診票とクリップボードを取り上げて
「忙しくても定物定点な」
といって、クリップボードで彼女の頭を軽くはたくと、粉薬が瓶からこぼれて、目標数値から1グラム程ズレた。
新人は抗議の目線を送ったが、俺はニヤリと笑って患者のもとに向かった。
「お待たせしました番号札54番でお待ちの方~」
先刻の主婦が、番号札をちらっと確認してこちらへ歩いてきた。
「はい、こんにちは、私は薬剤師の唐柴と申します。よろしくお願いします。」
「どうも」と返す主婦っぽい女性、保険証によると35才、本人のものだから結婚してるかどうかはわからない。
「今回ウチに来られるのは初めてですけど、村野産婦人科医院さんも初めてですか?」
「ええ」
産婦人科を受診した人が、男性の薬剤師にあれこれ訊かれるのは、あまりいい気がしないだろう。しかし残念なことに、今いる唯一の女性の薬剤師は、さっきこの人が問診を断った時点で、担当する事はなくなった。
村野先生も男性の医師なので、こちらが男性でも、いくらか患者の抵抗感も少ない事が多いのだが、今回はあまり時間をかけず、内容を絞らなければならないだろう、そんな怪訝な顔つきである。
「てことはこの薬も初めてですよね?1日1回夕食後で14日分、1回1錠なんで14錠のご準備です、ホルモンのバランスを整える薬なので、人によっては胸焼けや吐き気、火照り、ダルさなんかが起こったりもします、先生から何か特別に指示はありましたか?」
「いえ、特に」
内容を絞って時間をかけないコツは、イエスかノーで答えられる質問にしつつ、質問自体に情報を組み込むこと。
「では、そういった点に注意して、なるべく欠かさず使い切って下さい。安易に中止すると症状が悪化する可能性がありますので。こちらからは以上ですが、何か訊いておきたいことはありますか?」
「あの、これって強い薬なんですか?2週間分しか薬をくれないのも、副作用とかあるからですか?」
かかった。
これで何もないと言われたら、領収書を出しながら世間話の体で明日が村野産婦人科の休診日である旨を伝える。
そして緊急時に医師に連絡できることを後ろ盾にして「円滑に連絡を取るために」問診と連絡先を書いて貰うという回りくどい手に出るのだが、これなら話が早い。
「その人次第ですね。いま何か別の薬は飲んでおられますか?」
そういいながら、新人から回収した問診票にチェックを入れていく。
過去の病歴、使用薬剤や、継続使用中のサプリメント、アレルギーや、酒タバコの嗜好品など、関係のあるものから、無いものまで全部訊いていく。事前の問診は渋ったのに、こうなると患者は素直に答える。こちらの都合で聞いているのではなく患者自信の安全ための質問であることを無意識に理解し、渋る理由がなくなるからだ。
「ではこれを元に確認します。ついでに内容を登録しますので、ご住所と電話番号をご記入ください」
こう言って渡せば、薬局との連絡手段を持つことの意味を理解して、大抵の人が最低でも電話番号くらいは書いてくれる。
「痛み止を頓服しておられるようですが、頻度が高いと胃への負担が強くなるので、吐き気も出やすくなるかもしれません。」
事実だが、正直、取って付けたような文言であるし、おまけに質問の直接的な回答ではない。
しかしそれでも患者からは怪訝な様子は消え、真剣に耳を傾けてくれている。
こういう手合いにはまず、薬剤師との関わりが、自分にとって有益であると思い込ませることが肝心なのだ。
「2週間後に再受診かと思いますが、その時に、今日受けた検査の結果と経過を見て、内服に耐えるなら治るまで継続するのが通例です。吐き気や火照りはもしあっても2週間を待たずに慣れていくことが多いので、もしあっても自己判断で中止しないで下さい。そして最後まで飲んだ上で、どうだったかを医師に伝えるようにしてください。ただし万が一、蕁麻疹などの急なアレルギーがあった場合はこの限りではありませんので、直ちに医師にご相談下さい、ちなみに明日は先生お休みですので、そういう時は救急病院をご利用ください。」
最後に笑顔を忘れずに
「はい、丁寧にありがとうございます。」
結局「この薬が強いのか?」と言う質問には全く答えていないのだが、患者は満足し、こちらは患者から必要な情報を得ることもできた。
誰も損はしていないし、何一つ悪いことはしていない。
なのに、この胸に去来するやるせない気持ちはなんだろう。
彼女の質問に真摯に答えるのであれば、今回の処方は子宮内膜症と医師が診断した際に1番最初に使われる治療薬で、強いか弱いかという質問には意味がなく、2週間分しか出されないのも、「何の薬でも長期になる場合は、最初に使うときは大体2週間分くらい出して様子を見る」というガイドラインに沿ったものであり、必ずしも副作用の発生頻度によって決められたものではないことだけを伝えれば、患者の拘束時間は半分だ。
情けないことに、こうまで小細工をしなければ、我々薬剤師は患者からロクに話も聞けない事が多い。
「いえいえ、なんでも聞いてください」
「最初からちゃんと問診を書けばよかったですね」
この人は良い患者さんだ。思っていても実際にそれを口に出して言う人は珍しい。
「ははは、分かりますよ」
この薬局は調剤室が量販のドラッグストアに併設した形態をとっている。このタイプの薬局が特に受けやすい誤解なのだが、薬局で登録した住所をもとに、セールスのダイレクトメールやチラシが送り込まれると思っている人は多い。
しかし、調剤薬局として得た情報は、医療目的以外では使用してはいけない。これは個人情報保護法に明記され、その旨がすべての医療機関に掲示してある。だが、それを読む人は少ないだろう。
満面の笑みを張り付けて言うと、会計を済ませて、いつもの台詞。
「お大事に」
薬剤師としてはどうしても画一的なやり方になってしまうが、自分達の患者に対する誠意が伝わっていると、ほんの少しだけ信じられた
彼女に軽く一礼して顔をあげると、先程まで彼女がいたところに立つ人影があった。
顔を真っ赤にした男性、さっきのおじさんだ。
「湿布が入ってないだろうがあああああ!」
そう叫びながら、俺が薬を詰めたビニール袋を投げつけてきた。
それは笑顔の俺の顔を直撃し、足元に落ちた。
俺の笑顔は崩れなかった、心の中でさっきのお姉さんに感謝したが、それも束の間、おじさんが「流石にこれはマズい」という顔をしたので、やはり崩れていたのかもしれない。
おじさんの声が大きかったので、ドラッグストア側のスタッフも何人かこちらを覗き込んでいる。
驚いたが、痛みも怪我もない、冷静な頭で対応を考える。
ドラッグストア側の店舗責任者は頼りにならない。
今日のこの時間の薬局機能は、実務経験2ヶ月の新人と、通常業務以外は何も出来ないことで有名な、他店舗からの応援薬剤師、そしてこの店舗への着任3ヶ月、実務経験3年目の俺、後は医療事務職員だけで賄われている。
俺がキレたら、尻を拭う奴がいない。他の患者も見ている。
表情を意識的にそのままに保つようにして、早足で調剤室の奥へ引っ込むと、調剤スタッフ達の視線や、何事か声をかけようとする様子を無視して、先程おじさんからもらった処方箋を掴んで、そのままおじさんに突き出した。
「今日はね、湿布出てないんですよ。処方箋に書いてないでしょ?書いてないとね、勝手に出せないんですよ。法律違反なんで。必要ならこれから先生に問い合わせますけど、どうします?待ちます?」
法律違反は誇張、と言いたいところだが、その処方せんを作った医師以外が、勝手にその内容を変更することは、公文書(処方せんは法律上、公文書に該当する)の改竄にあたり、本当に犯罪であるし、勿論、医師法違反にも該当する・・・と思う。実例に出会った事はないが。
しかし、いくら法に触れることとはいえ、患者応対という状況で今、自分がどんな顔をしているかはあまり考えたくなかった。
「どうしてもダメなのか?」
「無理ですね。『法律』に『違反』してるんで。」
食い気味に、重要な語句を強調しながら即答した俺に、更に何かモゴモゴと言いたそうにしていたが、待つはずがないとタカを括って、おじさんが投げた袋を拾って、先程そうしたのと同じ様におじさんに差し出した。
「じゃあいい」
そう言うとおじさんは先程よりいくらか勢いの足りない感じで袋を掴んで、小走りで去っていった。
「お大事に!」
心の中では「2度と来るな!」と叫んでいたので、実際に声に出なくて良かった。
「大丈夫ですか?」
新人が手を止めて訊いてくる。
「ああ、先生に湿布頼むの忘れたか、先生が書くの忘れたんだろ、『先生には言った』って言って来なかったから、多分前者だな。分かってて言ってるっぽいしタチの悪い話だよ、まったく」
次の患者が待っていたので、この顛末に一言も発してこなかった勤続10年の応援薬剤師に、新人が用意した薬を渡して続ける。
「まぁ、よくある事さ」
「いや、そういうことじゃなくて」
新人は変わらず困った顔をしている。
「大丈夫大丈夫。怪我もないし、問題にするような事じゃない」
俺は努めて明るく言ったが、新人は納得した様子ではなかった。
まぁ、俺も「こういう事があったって上司に報告しても、誰も何もしてくれないからな」という言葉を飲み込んだので、相応に同じ心持ちではある。違うのは諦めを知っているかどうかだ。
「私達って、毎日こんな扱いを受けなきゃいけないんですか?」
だよな。
俺もこの新人ちゃんも、2006年以降の薬学部入学組、薬学部が六年制になってからの薬剤師だ。次代の医療の担い手と言われ、六年間必死に勉強して薬剤師になったのは、自分が渡した薬を顔に投げつけられるためでは決してない。
「当たり前だろ。知らなかったのか?社会に出るってのはそういうもんさ」
どんな仕事に就いたとしても、少なからず理不尽な目には遭うし、頭を下げずに生きることは出来ない。まして医療従事者が関わる相手は、確実に「問題」を抱えている。
理不尽なんてあって当たり前だ。その覚悟無くして、医療従事者を名乗るべきではない。
話を打ち切って次の処方箋に手を伸ばす。目の前の診療所の午後の診療時間が始まって30分、そろそろ患者が押し寄せてくる時間だ。
「本当の絶望はこれから」
自分にだけ聞こえるように呟いたのか、誰かの声を心の内で思い出したのか。
確かに、俺達には敵がいる。理不尽な患者なんて目じゃない、本物の敵が。
俺の稼業は薬剤師、あらゆる医療従事者のなかで唯一、「お前らなんか要らない」と複数の勢力から声高に論じられる職業だ。
これは俺が、そんな数々の強敵を前に、脆くも敗れ去るまでの物語である。
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