第36話

「これだよ」

 父親が金太に見せたのは、40センチほどの長さのグレーの管だった。

「これなら見たことある。お父さんが添え木に使ってたやつじゃん」

 金太はビニール管をためつすがめつしながらいった。

 でも、10ミリはこれよりうんと細い。ふたりともそれがどう繋がるのか皆目見当がつかなかった。

 あたりを見回していた父親は、リビングテーブルの端にあるステーショナリーをまとめてある入れ物に手を伸ばし、短いスケールを取り出した。

「10ミリだから……」

 少し老眼になりかけた目を細めて目盛を読む。金太も顔がくっつくくらいに近づいてスケールを覗き込む。

 父親はソファーから立ち上がると、あたりを動物園の猛獣のように歩きはじめる。そのうちにダイニング、キッチンと歩き回ってふたたびリビングに戻って来た。

「なにか見つかった?」

「いや。あれ、ちょっと待てよ。これって……」

 そういいながらステーショナリーのなかから取り出したのは、青のマーカーペンだった。すかさずそれにスケールを当ててみる。

「これだよ。見てみろ金太、これぐらいの太さが丁度1.0センチだ」

 父親は親指と人差し指で立てに挟んで金太の前に差し出す。

 受け取った金太は、スケールをもらって自分で確認する。

「ほんとだ、ぴったり1.0センチだ。そしたら、もしあの数字がなにかの太さだとしたら、これくらいのものになるんだね」

 金太は宝物でも見つけたかのように、嬉しそうな顔で父親を見た。

「でもなあ、あそこに書いてあった数字がどう繋がるか謎だよな」

 父親は当てが外れたことで少し消沈している。

「できたわよーッ」

 夕飯のしたくができたことを、増美がリビングのふたりに知らせる。

 ダイニングに顔を出すと、増美が正にホットプレートで、誰が見てもおいしそうに思うパリパリ羽根のついた、そして食欲そそること間違いないキツネ色に焼けた餃子を皿に盛り付けているところだった。

 それを見た父親はすぐさま冷蔵庫からビールを取り出し椅子に腰掛ける。4人が揃い、いつもより少し早めの夕餉がはじまる。慢性空腹の子供たちは黙々と焼きたての餃子を口に運ぶ。

 父親はビールグラスを片手に、子供たち食べっぷりに感心しながらゆっくりと餃子を噛みしめている。目の前にいる親離れに近い子らを思うと、空疎と孤独感がじりになった。一方、母親はいつまでも優しい母でありたいという目で子供たちのエネルギッシュな食欲を見守っている。

 山のようにあった餃子も4人で箸を伸ばせば瞬く間に皿から消えた。立ち上がった母親は、もう1度ホットプレートのスイッチを入れる。

「さあ、そろそろ焼きそばを作るわ」

 子供たちは手を叩きながら喜ぶ。

 そのとき、突然金太が立ち上がり、冷蔵庫に向かった。戻ったその手にはビール瓶が握られていた。

「お父さん、飲むんでしょ?」

「ああ、サンキュ。えらい気が利くんだな」

 嬉しそうに瓶を掴むと、勢いよく栓を抜いた。

「どうしちゃったの?」

 増美は、訝しげな顔で母親に小声で訊く。

「なにかいいことがあったんじゃないの」

 母親は金太の気持が薄々わかっていたが、それを口にはしなかった。

 ホットプレートから激しい湯気が立ち昇り、やがてソースのスパイシーな香りが部屋中に広がった。待ちきれない金太は、箸を手にしたまま母親の手もとに釘づけだった。

 ソース焼きそばをお代わりした金太は、満足顔で冷たい麦茶を飲み干す。

 ようやく慌ただしい夕食がすんだ。だが、まだ西日が残っていて、残照が部屋の隅に幾何学模様を拵えていた。

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