第4話

「この池でちょくちょくきみの姿を見かけるが、家は近いのかい?」

 老人は金太のそばに腰を降ろしながら訊いた。

「はい、自転車で10分くらいです」

 金太はふたたび釣り針に餌をつけると、池に投げ込みながら答えた。

 顔をはっきりとは見なかったが、話し方は1年前に心臓病で亡くなったお爺ちゃんによく似ていると思った。

 金太はお爺ちゃんが大好きだった。この魚釣りを教えてくれたのもお爺ちゃんだったし、ほかにも虫捕りや凧揚げなんかも教えてくれた。いちばん嬉しかったのはあの秘密基地だった。夢にまで見た秘密基地を手に入れたことで跳び上がるほど喜んだ金太だったのだが、思いも寄らぬところから横槍が入った。母親が猛反対をしたのだ。その理由というのが、子供が小屋に入ってこそこそなにかをするのは教育上よくないということだった。目を吊り上げ青筋を立てんばかりの猛反対になかば諦めかけたとき、爺ちゃんの「自分の子をもっと信じてやりなさい。それに金太は男の子なんだからもっと自由に遊ばせてやったほうがいい」、その神の一声のお陰で資材置き場の小屋が秘密基地として使えるようになったのだ。

「そうかい。だからここによく釣りに来るんだ。魚釣りは好きかい?」

「はい。学校の勉強よりは……」

 金太は恥ずかしそうに片目を瞑りながらいう。

「そうか、そうか。なかなか正直な子じゃな。きみの名前はなんていうんだね?」

「山井金太っていいます。自由ヶ丘中学校の3年生です」

 水面に頭を出したウキを見たまま答えた。

 もう一度魚との駆け引きをしたいと思った金太は、しばらく水面で微妙に動くウキを凝視していたのだが、頃合いを見計らって釣り糸を水中から引き上げた。案の定餌は解け出していて、釣り針に餌というものがまったくなかった。ちっと舌打ちした金太は、新しい餌を指先で捏ねながら釣り針につけると、いままでと同じ場所に竿を振り込んだ。

 ウキが立ち上がるのを見て、つと横に目を向けると、さっきまでいた老人の姿がいつの間にかなくなっていた。

 そんなこと気にする様子もなく金太はもう一度あの大きなヘラブナの姿が見たくて、何度も餌を付け替えて誘ってみたものの、その後はまったくアタリがなく、そそくさと道具を片づけると、まだ衰えることを知らない木綿針で刺すような夏の光りを正面に受けながら家に帰った。

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