第35話 告白
暗闇に包まれた町を、終わりの見えない提灯の列が淡い橙色に灯す。
もうすぐ、祭りを締め括る花火が、海岸から打ち上がる。
段丘状のこの街は、どの場所からでも鮮明に見ることができる。二人は神社に続く大通りから少し離れた人気の少ない山の上から見ることにした。空は凪咲の足を心配して近場にすることを提案してくれたが、山といっても、近くの擁壁に設えた階段をちょっと登るくらいなので、凪咲は平気だと答えた。
大通り沿いには、沢山の出店が並んでいた。
子供の頃、凪咲は祭りの出店の中で、綿アメが一番好きだった。
正確には、綿アメが出来上がる工程と、それを包むアニメ絵柄の袋が好きだったのだ。雲の形をしたそのお菓子はとても甘くて、次の日に空を見上げれば、沢山浮いていることに胸がときめいた。いまは子供だから無理だけど、いつか大人になったときに手を伸ばせば、きっと掴み取れるだろうと思っていた。
けど、どれだけ手を伸ばしても、決して空に手が届くことはないのだと、残念ながら大人になる前に知ってしまった。
花火を各々の目的の場所から眺めるために、祭りを楽しんでいた客が徐々に移動を始めていた。
溢れかえる人の中で、凪咲と空は、流れに沿ってゆっくりと歩いていた。はじめは並んで歩いていたが、人が密集していたため徐々に足並みがずれていき、気付けば凪咲の一歩前を空が歩いていた。
空の大きな背。
いつも追い縋ってばかりいたこの背に、少しは近づくことができただろうか。物理的だろうとも、手を伸ばせば届く距離に空の背があることが、今はとても安心した。
そうしてぼうっと眺めていたら、隣の客が詰めてきたことに気付かず、接触した拍子に体勢を崩してしまった。
凪咲は咄嗟に前を歩く空の裾を掴み、なんとか転倒を免れた。振り返った空と目が合い、思わず裾を掴んでしまった手をぱっと放すと、追い掛けるように空の腕が伸びてきて、凪咲の手を握り締めた。
驚いて、思わず振り払ってしまいそうになったけど、それ以上に力強く握り締められていて、振り払うことなんてできなかった。
彼と手を繋ぐのは嬉しかったけど、恥ずかしくて、彼の顔を見ることができなかった。けれど、彼の方も手を繋いだまま、こちらに振り向くことはなかったので、少しほっとした。
人混みを抜けるまで、彼は手を繋いだままでいてくれた。
その手の温もりが、凪咲に一つの決心を後押しさせてくれた。
人混みを抜け、人通りの少ない道に出てすぐにある古い擁壁の階段を登って石段の上に立つ。
周りに人気は無く、暗がりに包まれていた。
二人は無言のまま、並んで夜空を見上げた。
その手は繋がれたままだった。
やがて、海のある方角から、夜空に向かって一筋の光が奔ると、パッと色づいた炎の花が咲いて、轟音が鳴り響く。
その一発を皮切りに、次々と光の筋が立ち上っていき、真っ黒なキャンパスに色彩を轟かせ、見る者の胸を震わせる。
凪咲の心臓も、大きく震えていた。
それは花火によるものではない。
もどかしいのに心地よく、苦しいのに手放し難い、甘い灯火。
どれもこれも、繋いだ手の先にいる人がくれたもの。それなのに、こんなにも身に余るほどの贈り物を受け取っておきながら、もっと先を欲している自分がいる。
だから伝えるんだ。
この花火が終わったら、自分の想いの全部を。
そして、最後の命を燃やすように、夜空に万遍の輝きを吐き出し尽くすと、やがて、遠くから終わりを告げる観客達の拍手が聞こえてきた。
凪咲の手に力が入る。
示し合わせたかのように同じタイミングで、自然と二人は向き合う。
互いの手を握り締めたまま、見つめ合う。
まるで何か別の生き物が暴れているんじゃないかと思うほど、心臓が跳ねて鳴り止
まない。
それでも、彼から目を離さない。
もう、離れない。
「私は……」
声を発しながらも、心で伝えるように凪咲は言葉を紡ぐ。
「私は、この
出会った頃から儚さを身に纏っていた彼だけど、ずっと儚いままではいさせない。打ち上げ花火のように、散らせたりはしない。
この手に指輪が現れるよりもずっと前から抱いてきた、たった一つの願い。
「私、朝海くんのことが―――――好きです」
その瞬間、世界から音という音が消えた。
否、自身の心臓の鼓動だけが、花火の轟音以上に大きく鳴り響いていた。
空の言葉を待つ。
それは永遠とも思える微睡みの中のよう。
景色を失った視界の中で、空の姿だけが、かつてないほど鮮明に刻まれていた。
空の目線がふっと逸らされ、ゆっくりと彼の唇が動いた。
「――……めん」
「え」
「ごめん…………凪咲の気持ちには、応えられない」
静かに、はっきりとそう口にした。
一言一句聞き漏らすことなく凪咲の耳に入ってきた。
あれだけ暴発しそうなほどに熱く滾っていた胸の灯火が、一瞬にして冷める。
全身から力が抜け、その場に立っているのがやっとだった。
繋いでいた空の手が、すっと凪咲の手の中から離れていく。
その手を追い掛けることは、とてもできそうになかった。
「どう、して……?」
凪咲は、なんとか声を絞り出す。
震えていることを気にする余裕なんてない。
空はゆっくりと、水中にいるかのような緩慢さで左手を持ち上げ、凪咲の眼前に手の甲を見せる。
淡い輝きが、嫌でも凪咲の目に入ってきた。
いや、空がそうしたのだと少し遅れて気付き、はっとなって空の顔を見つめる。
それを待っていたように、空が口を開いた。
「この指輪が、あるからだ」
「俺は、幸せになることに、向いていないんだ」
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