第30話 決勝戦4 後半戦
体育館内は、前半戦に沸いていたギャラリーの熱気が、嘘のように静まっていた。
それだけで、拓海のいるチームがいかに劣勢に立たされているかを物語っていた。
コート上で走る拓海は大きく息を荒げ、他のメンバーはもはや三年生チームの動きについていけていない。見るも無惨な一方的なゲームが繰り広げられていた。
体育館に戻ってきた凪咲と空は、ギャラリーの分け目からスコアボードに目を遣る。
『22-50』で、残り時間約7分。
それが、もはや取り返しのつかないスコアであると、この場にいる誰もが口にはしないが胸の内ではそう感じていた。
逆転はありえない。皆がそう思っていた―――ただ二人を除いて。
「点差があんなに……どうしよう、朝海くん。ここから逆転なんて、もう……」
大差のついたスコアを見て、凪咲が絶望の色を隠さずに呟いた。だが、空は一切臆せず、口許に不敵な笑みを浮かべて言った。
「心配するな。まだ十分に逆転できる。任せておけ」
決して虚勢を張るではなく、自然とそう口にした。その自信に満ちた横顔が、隣で見上げる凪咲の目にはとても頼もしく思えた。
「うん! がんばってね、朝海くん!」
クラスのベンチに顔を出した空に、はじめに気付いたのは、ギャラリーの中にいた沙由里だった。彼女は遠目から、空と、その傍らに立つ凪咲の姿を見て、人知れず満足げに微笑んだ。
続いて、ガス切れ寸前ながら不屈の闘志でコート上を駆ける拓海の瞳も、ゼッケンに腕を通している空の姿を捉えた。拓海の視線に気付いた空と目が合う。苦悶を隠しきれずにいた拓海の表情に、ようやく光が差した。
やがて、ボールがコートの外に出たことで、一度プレーが止まったタイミングで、メンバーチェンジの笛が鳴り響く。拓海は、真っ先にコートの外で控える空に駆け寄っていった。
「おせーよ、空。もうダメかと思ったじゃんかよ」
「情けないな。まだまだこれからだろ、拓海」
珍しい空の軽口に、不思議とテンションが上がり拓海の口許が緩む。応えるように拳を突き出した。
「当然」
バシッと、拓海は空の背を叩いて、チームに迎え入れる。二人の元に、遅れてチームメイト達が駆け寄ってくる。
「朝海? お前、来てたんか。てか、交代すんの?」
メンバーの一人の問いに、拓海が頷く。
「こいつ、ちょー強いから。こっからマジで逆転狙ってくぜ」
「マジかよ? じゃあ、俺が朝海と交代するわ。正直、体力もう限界」
別のメンバーの一人が、手振りで意思表明する。
「んじゃ、頼んだわ、朝海」
去り際に、空の肩を軽く叩いていった。
「ああ」
頷きながら、不思議な感覚が空の中に流れていた。
頼んだぜ―――その言葉に戸惑いながらも、どこか心地良い感覚を隠せずにいた。
チームに加わった空の姿を、大船率いる三年生チームのメンバー達が自陣から見つめる。
大船が凪咲や拓海から事前に伝え聞いていた空の情報は、名前とバスケが上手いらしいというもののみ。熱気が冷めかけているとはいえ、コート周りを覆い尽くすほどのギャラリーの応援で、拓海達の会話など聞こえてくるはずがない。
それでも、コートに新たに足を踏み入れたその男を、彼らは揃って彼こそが朝海空なのだと直感した。件の約束を知らない大船と青田以外のメンバーも、空の立ち姿から、ただならぬ雰囲気を感じ取っていた。
「アイツ、
メンバーの一人が大船に近づいて言った。
「ああ。体つきもいい。あれは、できるぞ」
言いながら、大船は笑みを浮かべた。
近くで聞いていた青田が、清々しい大船の笑みとは違う、嫌な薄ら笑いを浮かべながら、
「(だが、それがどうした。いまさら出てきてなんになる?)」
内心で毒づいた。
新たなメンバーということで、注目を集める空。
彼を目にしたギャラリー達がヒソヒソとざわつき始めた。
「ねえ、あの人めっちゃカッコよくない?」
「背高いよね! バスケ上手いのかな」
「いやー、イケメン先輩負けないでぇー! 拓海先輩を助けてあげてー」
休学明けからまだ約一ヶ月ということもあり、クラスメイト以外で彼を知る生徒は少ない。多くの女子達の目が空に釘付けになり、静まりかけていたギャラリーの声が、再びどよめき出した。
そんな中で凪咲は、ふふふ、驚くのはこれからだよ、皆さん……などと、心中で期待を煽る。
もっとも、かくいう凪咲も、空の実力を直接見たわけではない。けど、空なら必ずなんとかしてくれると信じていた。空がコートに立ってくれているという感無量も相俟って、凪咲の嬉しさと期待は最高潮に高まっていた。
そして―――
試合再開の笛が鳴る。
空達のボールで始まり、適当にパスを回した後、拓海が空にパスを出した。空の手にボールが渡った瞬間、大勢の女子達から期待の声援が上がった。
三年生チームの一人が素早くディフェンスに向かう。
睨み合う両者。
凪咲は固唾を飲んで見守る。
床にボールをつく音が、徐々に強くなっていく。空が仕掛けてくることを予感したディフェンスの三年は、腰を低くして身構え、全神経を集中させて空の動きに意識を向ける。
ダンッ
ダンッ
ダンッ
ダッ―――ディフェンスの視界から、空の姿が消えた。
「――ッ……!?」
全国区の現役部員が全く反応できないほどの鋭いドライブで、ディフェンスを完璧に抜き去る。目の当たりにした拓海以外の選手達が、揃って驚愕に声を上げた。
「はッ、速ぇえッ!」
「――だけじゃないぜ」
拓海が不敵に笑う。
すぐにヘルプに来た三年を、今度は目線と体捌きを織り交ぜたフェイクで瞬時に抜き去る。その卓越した技巧に、その三年生選手は、一歩も動けず魅入ってしまっていた。
誰も空を止められないまま、フリースローライン内への侵入を許す。
空は、そこで最後のディフェンスを躱すと、そのまま勢いをつけて大きく跳躍――左手に構えたボールを、ゴールリングの中心に叩きつけた。
リングが音を立てて震える。
観ていた誰もが声を出すのを忘れ、館内が一瞬静まり返る。空が悠然と床に着地すると同時に、先程までお通夜モードだったギャラリーが一斉に沸いた。
「うぉおおお! 朝海すっげぇーッ! ダンクもだけど、その前! 先輩達あっさり抜きやがってー」
ディフェンスに戻る最中、チームメイトの一人が駆け寄ってきて、空の背を叩きながら快哉を叫ぶ。背中から伝わる感触は、先程の交代の際に感じたものと同じ心地よさを感じた。
たったワンプレーで会場の度肝を抜いた彼の衝撃は、オフェンスだけでは終わらなかった。相変わらずのコンビネーションでボールを回す三年生チームだが、ボールを受け取った一人に、空がはりついた。
射竦めるような空のプレッシャーに圧され、味方にボールを出すことができず、かといって、抜こうとしてもまったく隙が見当たらない。結局、勝負を避けて苦し紛れのパスを出させられるが、それを拓海がスティール。一瞬早く駆け出していたノーマークの空へ、ダイレクトにパスを出した。ゴール手前で受け取ると、そのまま本日二本目のダンクシュートが炸裂した。
「……アイツ、オフェンスだけじゃねぇ。ディフェンスももの凄ぇプレッシャーかけてきやがる」
「ああ。鋭いキレに、うちの部員が振り払えないほどのディフェンス……こいつは、本物だ」
歓迎するように笑い、大船はそう言った。
対して、青田の表情からは薄ら笑いが消え、空の想定外の強さにわなわなと身を震わせていた。
「(ふざけんじゃねぇぞォ……! 何なんだあのヤローは)」
そして、凪咲といえば、ただただ空に見とれていた。
話に聞いていただけで、初めて見た本気でバスケをする空の姿があまりにかっこよくて、胸の疼きが治まらない。
以前、公園で子供達に混じってバスケをしたときは、その子供達に合わせて軽く動いているだけのように見えた。けど、今は全力で、仲間のためにコートを駆ける空の姿が、凪咲の目には誰よりも輝いて見えた。
空達の猛追は尚も止まらない。その中で、空を危険視した三年生達のディフェンス複数人を引きつけた上で、空から拓海に絶妙なパスが通った。
――ああ、これだ。
ボールを受け取った掌から、一年前の感覚が甦えってくる。たったの一週間だったが、あのときの衝撃は、拓海の中に強く刻まれていた。
――はじめてこのパスを受け取ったとき、俺はお前とだったら絶対に一番になれるって、確信したんだ。
拓海がコートを駆ける。
前半戦の疲労で重くなっていたはずの足が、嘘のように軽くなっていた。誰にも阻まれることなくゴールへ一直線に突き進み、落ち着いてレイアップシュートを決めた。
――やっと――……叶った。
ゴールを決めた拓海が、ディフェンスに戻り際、隣を走る空に無言で拳を突き出す。
拓海にとってそれは、一年前から用意していた拳。
空はその拳をしばし見つめてから、少しぎこちなく自分の拳を重ね合わせた。
その瞬間をコートの外から見ていた凪咲は、瞳を潤ませた。
空が仲間と一緒に
ずっと思い描いていたその光景に、凪咲は自分と拓海の想いがようやく空に届いた気がして、眼の奥から込み上げてくるものを堪えきれなかった。
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