第28話 決勝戦2 ハーフタイム

植木の影から、煉瓦造りの花壇が顔をみせる。

空は、以前と同じように花壇の縁に腰を下ろしていて、以前と同じように地面を見つめていた。


あのときは、遠くから眺めているだけで心臓がドキドキして、なかなか声を掛けられなかった。昨日のことで、今朝は少し気まずくなってしまったけど、それでも胸の高鳴りは以前と遜色ない。


思えば、空のことを知りたいと願いながら、自分はこれまで誰かを通して自分の知らない彼を知ってきた。

拓海から彼の拠所を知り、

波多野美優から彼の悲しみを知り、

沙由里から彼の居場所を知った

全て、偶然手にしたものだった。本来ならば、自分から近づかなければ手に入らないものであり、そうすべきものである。

けど、自分は彼の見えないところでばかり立ち回り、外堀を埋めることばかりに意識を向けていた。

偶然手にしたものに感謝の言葉で返すことは簡単だが、それだけでは自らの足で進む力を養えない。そして、知らずうちに手にしたものも、離れて行ってしまったものも、等しくただの運命だとでしか捉えられなくなってしまう。

だからもう、僥倖偶然を待つのはやめよう。運命偶然に甘んじるだけでいるのもやめよう。

かつて、自身にとって大切なものがいつまでも近くにあるという考えが、傲慢なのだと思い知った。そしていま、自分が歩み寄ることでしか変えることのできないものもあることを知った。

ガラス細工のような彼の心に触れるのは簡単ではないけれど、他の誰にも譲りたくはない。壊してしまわないように、だけど手の中から零さないように、凪咲はそっと手を伸ばして、触れた。

「朝海くん」

地面を見ていた空が、顔を上げる。

自分を呼んだのが凪咲だと分かると、僅かに目を瞠った。凪咲は挨拶をするように、自然な調子で声を掛けた。

「また、サボり?」

「ああ」

空の方も、蟠りを感じさせないような声音で答えた。

「凪咲は? 何しに来たんだ」

「朝海くんに、お願いがあって来たの」

ゆっくりと空に近づいていきながら答える。

「今、体育館で決勝戦の試合をやってるの。けど、相手のクラスのチームが強くて、うちが押されてて……このままじゃ負けちゃうかもしれない」

「そうか」

「だから、お願い! 朝海くんに試合に出てほしい!」

「前にも言ったが、興味ないな。それに、学校行事は勝ち負けが全てじゃないだろう。なんでそこまで必死になるんだ」

「それは……」

訊ねられて、凪咲は言い淀む。

青田との因縁は、ともすれば空が部への復帰をより敬遠してしまう材料になりかねないからだ。

青田の理不尽な要求は、結果的には凪咲が話を持ち掛けたことで目をつけられ、拓海を窮地に追い込んでしまった。けれど、それを凪咲が後悔することは許されない。なぜなら、突然の申し出を喜んで受け入れてくれた大船部長の寛容な心も、今もコートで奮戦している拓海の頑張りも、すべて無下にしてしまうことになるからだ。なにより、中には空を歓迎していない者もいると、空本人に思ってほしくなかった。

凪咲が返答に窮していると、先に空が口を開いた。

「拓海のためか……?」

大まかに言えばその通りなので、凪咲は素直に頷いた。

「そう、なんだけど……」

もちろん、拓海だけではない。空自身のためにも試合に出てほしいし、沙由里から頼まれたということもある。そしてなにより、空が立ち上がってくれることで、試合に付随する因縁のすべてが、皆が笑顔になれる結末に辿り着くことが凪咲自身のためにもなるからだ。

だが、凪咲の返事を聞いた空は眉を顰めると、再び地面に視線を向けて言った。


「なら、余計にお断りだ」



その頃、決勝戦の試合は、男女とも前半戦を終え、五分間のハーフタイムに入っていた。

「お疲れ、夏澄。調子いいみたいね」

夏澄を労いながら、玲夏は彼女にタオルを手渡す。

「おう、サンキュー! 男子向こうはどう? なんかギャラリーの声援が小さくなっちまってるみたいだけど、ヤバいの?」

受け取ったタオルで汗を拭きながら訊ねると、玲夏は男子コートに目を向けながら、苦い表情を浮かべた。

「厳しいわね。春沖くんが他のみんなをカバーしながらなんとか追い掛けているみたいだけど、実力の差が出てきてしまっているわ」

「そっか……。ところで、凪咲はどこ行ったんだ? いないみたいだけど」

「そういえば、気付いたら姿が見えなくなっていたわね。どこへ行ったのかしら」周囲を見回しながら玲夏が言う。

「ふーん……」

そして、夏澄はなにやら口許に含みのある笑みを浮かべると、


「もしかしたら、あいつが勝利の女神になるかもしれねぇな」



「すまん、拓海ー! 俺達が不甲斐ないばっかりに」

メンバーの一人が拓海に泣きつく。

「いやぁ、あの人達相手じゃしょうがないって! てか、むしろみんなよく頑張ってる方だよ」

給水しながら、爽やかに言う拓海。天然物の汗も滴るいい男を、憚ることなく体現していた。

「だから、後半も楽しんでいこうぜ! あ、疲れてる人いたら、無理せず誰かと交代していいからね」

「つーか、お前が大丈夫かよ? 俺らの分もめっちゃ走り回ってたじゃん」

「だいじょーぶ! 普段からこれくらい動いてっから」

「バケモンかよ! お前ほんと凄すぎるよ。なあ、お前がいれば、俺達まだ勝てる可能性あるよな」

「おう! もちろん」

そう快活に答えながら、拓海はスコアボードに目を遣る。そこには『14-38』という数字が刻まれていた。

正直、きびしいな……

拓海は心の中で本音を吐露した。

体力全開で始まった前半戦でこの点差だ。後半はもっと厳しいだろう。

だがそれでも、立ち上がった拓海の顔に、諦観の色は見られなかった。



――まだ、勝てる可能性がひとつだけ残っている。

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