第27話 決勝戦1 前半戦
凪咲達のクラスは、夏澄の活躍のおかげで順調に勝ち上がっていき、次に決勝戦を控えていた。
男子の方も、沙由里と亜希子の応援に鼓舞されて、同じく決勝戦まで駒を進めていた。もっとも、担任の沙由里とは違って、亜希子は全てのクラスを分け隔てなく応援していたのだが、どうやらほとんどの男子が都合良く脳内変換していたようだ。
クラス全員が参加できるようにローテーションを組んでいたので、凪咲もすべての試合に出ていたわけではなく、空いた時間にはグラウンドの方へ応援に駆けつけたりもした。残念ながら屋外競技は男女とも惜しいところまでいくも、数回勝ち上がったところで敗退してしまった。クラスの優勝、もとい副賞のジュースは、バスケ部門の男女両チームの双肩に委ねられた。
女子チームの決勝戦は、ローテーションの関係で、凪咲は応援にまわることになった。夏澄率いる女子チームの応援をするつもりだったが、それよりも隣のコートで始まる男子の決勝戦の方が気になってしまっていた。
なにせ、この試合には拓海の退部が懸かっている。
自分の持ち出した話のせいで、拓海が理不尽な約束をさせられたのだ。知らぬ顔などできるはずがない。
そして、最も大きな問題なのが、その相手クラスの顔ぶれだった。
そこには因縁ある青田をはじめ、バスケ部部長の大船の姿もあった。さらに、他に控えるメンバーも、前に体育館に行ったときに見たことのある部員の顔ばかりだ。後で聞いた話だが、残りのメンバーも全員バスケ部で、部内ではレギュラーとして活躍している選手なのだそうだ。
これはなにも不正をしているわけではなく、三年次のクラス替えで、偶然彼らのクラスにバスケ部の主力メンバーが集中したのだそうだ。青田との約束を知らない大船は、相手が拓海のいるクラスということで、満を持してベストメンバーで試合に臨もうというわけなのだ。
「うっわぁ……男子の相手えげつねぇな。あれは経験者が拓海一人だけのうちのクラスじゃ、さすがにきついだろ」
夏澄が同情の眼差しで男子コートの方を眺めながら呟いた。拓海の実力をよく知る夏澄が言うのだから、相当厳しい戦力差らしい。
「どうしよう、夏澄ちゃん! 春沖くん達、大丈夫かな? 勝てるかな?」
「んー、どうだろうなぁ。いくら拓海でも、一人であの先輩達相手となるとちょっとなぁ……せめてあともう一人、うちのチームの方に拓海と肩並べられるヤツがいれば別だけど」
――あと、もう一人……
凪咲の頭の中に、すぐに一人の男子の顔が浮かんだ。だが、体育館を見回してみても、チームの中にも、ギャラリーの中にも彼の姿は見当たらない。
本当は、誰よりもこの場にいてほしかった。
今日までに説得できなかった自分の力の至らなさに、凪咲は歯噛みする。
網ネットの向こう側では、間もなく男子の決勝戦が始まろうとしていた。コートの中央で拓海と大船部長が向き合って立っている。
「ちょっ、部長。なんすか、そのメンバーは……。大人気ないっすよ」
「そう言いながら、お前は素直に負けてやるつもりはないのだろう」
不敵に笑う大船に、拓海も同じく口許に笑みを浮かべる。
「当然っすよ。負けるつもりで試合に臨むような腰抜けじゃないっすから」
「よくぞぬかした。だが、こちらもクラスの連中から絶対に勝ってこいと言われてしまったのでな。お前が相手では気を抜いていられん。悪いが容赦はしないぞ」
「望むところっすよ」
「ところで、朝海というのはどいつだ? いるのか」
「それが……実はまだちょっと来てなくて。けど、必ずこの試合中には来ます!」
「そうか。それは楽しみだ」
互いに握手を交わす。
踵を返して自陣に戻る際、大船と入れ替わりで青田が近づいてきた。彼は拓海に向かって薄ら笑いを浮かべると、
「わかってんだろぉなぁ、拓海ィ。約束忘れんじゃねぇぞォ」
大船に聞こえない声でそう言った。拓海は一瞥して返し、黙ったままチームメイトの元に戻っていった。
主審のホイッスルで、男女同時に決勝戦の試合が始まる。
凪咲は自分達のクラスの応援をしながら、横目で男子の試合も窺っていた。だが、決勝戦であることと、それ以上に拓海の出場する試合ということで、ギャラリーの数がとにかく多く、コート周りを完全に囲っているので、凪咲のいる位置からでは男子の試合の様子がよく見えない。だけど、目の前の応援を投げ出して離れるわけにはいかない。
凪咲が二兎を追えずに懊悩していると、不意に、背後から声を掛けられた。
「やっほー、夏花さん。元気ー?」
振り返ると、手を振って歩み寄ってくる亜希子と、そしてその隣には沙由里の姿があった。
「お疲れ様、夏花さん。女子の方は調子どう?」
労うような口調で沙由里が訊ねる。
「え? あ、えと、その……」
やばい、ちゃんと見てなかった…………あ、よかった。勝ってる。
「今のところうちが押してます。夏澄ちゃん、今日も絶好調みたいで」
「そう。それはよかったわ。やっぱり、きびしいのは男子の方ね」
「え? 男子の試合どうなってるの!? 勝ってます!?」
思わず捲し立てる凪咲に、沙由里は落ち着かせるような手振りでひとつ間を置いてから、
「そうね。今のところは大きく離されてはいないけど、相手の先輩達のチームがやっぱり強いみたいね」
「そんな……」
もし負けたら……
そんな嫌な予感が頭を過ぎり、凪咲はいてもたってもいられなくなる。気づけばその場を走り出して、男子の試合が行われている隣のコートに向かっていた。
――夏澄ちゃん、ごめん! けどがんばって!
ギャラリーを掻き分けて、なんとか試合の見える位置まで辿り着く。
スコアボードを見やると、確かに沙由里の言っていたとおり、押されてはいるものの、大きく引き離されてはいなかった。だが、眼前で繰り広げられている試合からは、そんな悠長に構えていられるほどの余裕などないことが明らかだった。
部活動で鍛えられた抜群のコンビネーションを見せる三年生チームに対し、こちらの男子チームは、得点源がほぼ拓海のみという試合運びだった。
拓海の素早いドリブルで三年生のディフェンスをかいくぐって味方にパスを繋げるも、その後が続かない。チームメイトも、なんとか拓海に繋げようとするが、現役部員の壁は厚く、押し切ることができない。
一度ボールをスティールされてしまうと、そのままカウンターで得点されてしまうという展開になることが多かった。
そしてまたひとつ、ボールを奪われてからの速攻による得点を相手に許してしまった。
「ふうー。しっかし、やっぱ
ディフェンスに戻りながら、三年生メンバーの一人が大船にぼやく。それに大船が頷いた。
「ああ。アイツのバスケ
「つーか、ギャラリーのほとんど拓海のファンとか……俺ら完全に悪者やんけ! なんであいつばっかモテんだよチキショー!」
「妬むな…………泣くな」
そんなやり取りを側で聞いていた青田が、口許をニヤつかせると、
「(だが、それもこれまでだ。一人じゃなにもできやしねぇ。こっからは点差が離れても、縮まることはない)」
嘲笑うかのような表情で、心中で拓海を見下ろした。
だが、無情にもコート上では青田の見解通りの試合展開となっていた。
バスケは走りっぱなしのスポーツといえども、拓海の動きは明らかなオーバーペースだということは、素人の凪咲の目にもわかった。オフェンスもディフェンスも、先輩達の動きについていくことのできないメンバーに代わり、拓海が全てのポジションをほぼ一人でカバーしているのだ。これではまるで、息継ぎ無しで泳いでいるようなものである。最後まで保つはずがない。
それでも、じわじわと点差は開いていく。
凪咲は、コート上の拓海に目を遣る。
拓海がボールを持つ度に、ギャラリーから大きな歓声が上がった。だが、今のペースが最後まで続くはずがない。彼は、前半戦とは思えない程の汗を額から流し、疲労で顔に苦悶の表情を浮かべていた。
拓海でなければ、とっくに取り返しのつかないところまで点差が離れてしまっていただろう。だが、このままでは、それも時間の問題である。
――このままじゃ……このままじゃ、春沖くんが……
だが、見ていることしかできない自分に、凪咲は悔しそうに歯噛みする。
――誰か……誰か春沖くんを助けてあげて……誰か…………朝海くん
ぎゅっと左手を握り締める。
本当はどうすればいいのか。どうすべきかなのかはわかっていた。
なのに……私はいったい、なにを怖がっているのか。
「春沖くん、相当キツそうね。最後まで体力が保つかしら」
不意に掛けられた声に、凪咲がはっと顔を上げると、いつの間にか凪咲の隣に沙由里が立っていた。
「頑張ってほしいけど、無理はしてほしくないわね。これはあくまで学校行事なのだから」
目の前の試合を見つめながら、沙由里が呟く。彼女がなにを言いたいのか検討がつかず、凪咲はなんと答えていいのかわからなかった。そんな凪咲に構わず、沙由里は続ける。
「それと、これは生徒同士の交流を深めるレクリエーションなのだから、生徒達にはぜひ全員参加してほしいのだけど、うちのクラスにはまだ一度も参加していない生徒が一人、いるのよね」
授業中のときのような口調で意味深に言う。
誰のことを言っているのか、考えるまでもなくわかった。凪咲が理解するのを見届けて、そこではじめて、沙由里の目線が凪咲に向けられた。
「私は担任だから、何かあったときのためにここを離れることができないのよ……もしよかったら夏花さん、彼を探してきてくれないかしら」
「え」
私が?
「あ、もちろん、どうしてもということではないから、無理そうなら他の人に頼むわ」
他の人に……
他の誰かが、朝海くんに歩み寄る。
他の誰かが、彼の中に踏み込む…………
それは……嫌!
「私が……私が、行きます」
力強く、はっきりと己の意志を彼女に示す。沙由里の言葉に絆されたわけではないが、結果としてそれが後押しとなって、凪咲の足を動かした。
沙由里はどこか満足げに微笑むと、
「ありがとう。それじゃあ、お願いしようかしら。ああ、彼ならきっと、グラウンドに向かう途中にある花壇の近くにいるはずよ」
凪咲はすぐにピンときた。復学した空とはじめて言葉を交わした、あの花壇のある場所だろう。前も彼は一人でそこにいた。
頷いて、すぐにその場所に向かった。
試合や、空のことで頭がいっぱいだった凪咲は、沙由里が『彼』の名前を一度も口にしていなかったことに、最後まで気付かなかった。
ポニーテールを揺らして空の元へ一途に向かう凪咲の青い輝きが、沙由里にはとても眩しくて、彼女は思わず目を細める。
見た目以上に小さく見えていた凪咲の背が、いまはとても頼もしく見えた。
「頼んだわね、夏花さん」
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