第24話 衝突
空の家に向かう途中、凪咲は自分達の訪問を空に連絡するのを忘れていたことを拓海に話すと、どうやら空は携帯電話自体を持っていないらしかった。
途中コンビニに寄って、飲み物などを買ってから空の住むアパートまでやって来た。
空の部屋は二階の角部屋だったので、拓海と階段を上がっていく。その際、なんで空の部屋を知っているのかを拓海に訊かれたので、前に一緒に帰ったときに聞いたと言っておいた。間違っても、あの部屋から沙由里と一緒に出てきたところを目撃したからとは言えるはずもない。
部屋の前まで来て、凪咲はドアと数回ノックしてから呼び掛けた。
「朝海くん。凪咲です。届け物があって来ました。いま大丈夫かな?」
しばらくして鍵を外す音が聞こえてくると、少しだけ開けられたドアの隙間から空が顔を覘かせた。
「凪咲……? どうしてここに」
「あ、朝海くん、体調は大丈夫? 今日、欠席だったから、心配で」
ああ、と空は凪咲の訪問の理由を悟る。
「大丈夫だ。サボっただけだし」
またサボりかい。たしかに見た限りでは顔色はいいし、やせ我慢しているようにも見えないので、凪咲はひとまず安心した。
「空! 元気か? 俺も来たぞー」
ドアの影に隠れていた拓海が、ひょっこりと顔を見せる。拓海の顔を見た瞬間、空の目が一瞬細められるが、すぐに柔らかな笑みに変わったので、二人は気づかなかった。
「拓海もか。二人してなにか用か」
「そりゃあ、空が学校休んだからよー、心配で様子見に来たんだよ。あ、夏花さんはなんかお使いあったんだよね」
「あ、うん。沙由里ちゃんから渡してほしいものがあるって――」
「とりあえず、中入れ」
「え」
朝海くんの部屋に、入る……!?
思わずドキッとする。
「いいの……?」
「ああ。ここで話してたら迷惑だからな」
空はドアを押し開けて二人を招き、部屋の奥に戻っていった。
「おじゃましまーす」
凪咲は緊張しながらも、拓海に続いて部屋に上がった。
空のアパートの部屋は2DKの間取りで、玄関のすぐ隣にキッチンがある。その奥に六畳の洋室と和室があり、襖で仕切られていた。和室の襖は閉められていて、二人は洋室のリビングに案内された。
わぁ、朝海くんの部屋に上がっちゃったー!
凪咲達はそわそわとしながら室内を見回す。
空の部屋は極端に物が少なく、キッチンも使用した形跡がない。リビングにはテレビや本などもなく、敷いたカーペットの上にガラステーブルがひとつと、小さな棚が置いてあるのみだった。
「空、お前の部屋なんもねぇな。テレビもないって、不便じゃないの?」
凪咲と同じことを思ったのか、拓海が部屋を見回しながら似たようなことを空に言う。
「べつに。そう思ったことはないな」
「ふーん。あ、そうだ! 中学の卒アル見せてよ、卒アル! やっぱ誰かんち来たらこれは外せないよな」
「拓海、お前はなにしに来たんだ。あと、卒アルならここにはない」
「なぁーんだ。つまんねーの」
子供のように口を尖らせる拓海。
ないのかぁ。残念、私も見たかったなぁ……凪咲は心の中で肩を落とす。
「それで? お使いってなんだ、凪咲」
空は立ったままで言った。凪咲は沙由里から預かった茶封筒を取り出す。
「これ、沙由里ちゃん先生から。今日中に渡しておきたい書類だって言ってたよ」
「ああ、悪いな」
空は茶封筒を受け取ると、中身を見ずにテーブルに置いた。
お使いは終わったが、まだ肝心の用件は済んでいない。凪咲は真剣な表情で空を見つめると、
「あの、それでね、明日なんだけど……朝海くん、球技大会に参加してみないかな」
「球技大会? いや、前も言ったけど、俺はいい。興味ねえし」
「いや、興味ないって、一応学校行事だぞ」と拓海。
「そもそも、凪咲はなんでそこまでして俺を球技大会に出させようとするんだ? べつにバスケなら暇なときまた公園でやればいいじゃねぇか」
「それは、そうなんだけど……」
でも、それは違う。
それでは、彼を引き止める力が足りない。
「だって朝海くん、バスケ好きだよね」
「え」
「本当はなんでもいいんだ。明日も楽しみだなって思えるものなら、なんだっていい。朝海くんにとってなにが一番そう思えるかなって考えたとき、やっぱり好きなものだよねって思ったんだ」
つまりは彼にとっての未練。この一ヶ月、凪咲はずっとそれを探してきた。
「好きなことなら、きっと夢中になれる。それで、もっともっと上手くなりたいって願うようになると思ったの。だから昨日ね、バスケ部の部長さんと話して、明日の球技大会で朝海くんの活躍が見られれば、選手として大会に出してもらえることになったの」
「なんだ、それ」
空が大きく溜め息を吐くと、
「勝手に決めてくるな。俺は出ないって、前から言ってただろうが」
うんざりしたようにそう吐き捨てた。
「まあ、待てよ空。そんなに突っぱねなくてもいいだろ」
凪咲の傍らに立っていた拓海が一歩前に出る。
「少しは前向きに考えてみてくれって。夏花さん、このためにわざわざ部長のとこ行ってきたんだよ。空にずっとバスケをやってほしくてさ」
「そうか。そいつは余計な手間をとらせたな」
その言葉に、拓海の表情が僅かに険しくなる。
「余計だなんて言うなよ。夏花さんはずっとお前のために自分になにができるかって考えてくれてたんだぞ。それで、無理を承知で、それでも部長に頭まで下げにきたんだぞ」
「押しつけがましく言うな。それが余計なことだって言ってんだ」
「空ッ!」
いまにも空に掴みかかりそうな剣幕で詰め寄る拓海。だが、歯牙にもかけていないように空は落ち着いた佇まいを崩さない。凪咲は、二人が取っ組み合いにならないかが心配で、二人のやり取りをオロオロとして様子を窺っていた。
「そもそも、拓海。バスケ部ってことは、お前も噛んでんだろ。一緒になって余計なことするな」
「たしかに、お前にとっては余計なことだったかもしれないけど、本当にお前に必要のないことだと思ったら俺は協力したりしないよ。夏花さんが頑張ってることは、お前にとって必要なことだと思ったから、協力したんだ」
「春沖くん……」
拓海を巻き込んでしまっていたことは分かっていた。けど、それを拓海に詫びなかったのは、彼もまた、空が心配で、彼を救いたいと願っていたからだ。空が復学した日から、拓海が彼をずっと気に掛けてきたことを凪咲は知っている。
「空。お前こそ、どうして自分から居場所を取り上げようとするんだよ」
「なんのことだ」
「夏花さんが必死に用意してくれたのに……お前がそれを手に取らないから、離れて行こうとするから、俺も夏花さんも心配になるんじゃないか」
「……」
空が押し黙る。
これまで特に核心に迫ることは誤魔化して躱してきた空だったが、拓海の真っ直ぐな視線と想いにあてられてか、てきとうにあしらうことはしなかった。
「なあ、空。もし、手に取らない、手に取れない理由がなにかあるなら、俺達に話してくれよ」
二人の会話に耳を傾けながら、凪咲は真っ直ぐに空にぶつかる拓海に感服していた。自分が踏み込みたくてもなかなか踏み込めずにいたところへ、彼は迷い無く突き進む。その強さには素直に憧れると共に、拓海の助けを得られてよかったと凪咲は思った。
だが、その拓海の言葉を耳にした空の方は、その瞬間、はっきりと見て取れるほど表情が歪められた。
「話せだと?」
そこには、確かな嫌悪感を滲ませていた。
「心配なんだと、ただ一言そう言われただけでお前に懐のすべてを曝け出せっていうのか。おまえ達の安い青春ごっこを教室の外にまで持ち出すな」
口調こそ変わらないものの、言葉の端々に嫌悪と敵意を含んだ鋭さを宿していた。
「そんなものに俺はほだされたくはない。たとえ俺がどうなろうと、お前達には関係のないことなんだからな」
「関係なくないだろ! 俺達、友達じゃんか」
「安いセリフだな。お前はただ、誰かに寄り添う自分に酔っているだけだ」
「違う! 俺はべつに、そんな……」
「自己満足を得るだけのために、俺を利用するな。なにも失うことなく呑気に生きてきたお前に、なにが分かんだ」
その瞬間―――
パンッ、と甲高い音が室内に鳴り響いた。
「あなたこそ……」
同時に、空の右頬と凪咲の左掌に、鋭い痛みが奔り、赤く熱が灯る。
「あなたこそ……春沖くんの気持ちの、なにが、分かるの」
眼に涙を浮かべて、凪咲は怒りと悲しみの入り混じったような瞳で空を睨む。空と拓海は、突然のことにただ呆然と立ち尽くしていた。
「春沖くんは、朝海くんが休学中もずっと学校に来る日を待ってたんだよ。朝海くんが戻ってきたときは一番に声を掛けて。朝海くんがどれだけ離れて行こうとしても、決して諦めなかった」
「夏花さん……」
今日までに幾度も投げ掛けるも届けきれなかった友人への想いを、目の前の少女が代弁してくれている。拓海はその眼に映る、切実に空へと自分の想いを投げ掛ける凪咲から、目を逸らすことができなかった。
「朝海くんからすれば、確かに押しつけがましかったかもしれない。でも、春沖くんも、私も、必死だったんだよ。なりふり構っていられなくて、自分にできることを必死に考えて。でもそれで春沖くんを巻き込んでしまっても、何も訊かずに手伝ってくれた。春沖くんはそうやって、これまでもクラスのみんなのことをたくさん助けてきてくれたんだよ」
拓海が皆の人気者な理由は、容姿やスポーツ万能が故だけではない。あくまでそれはおまけであり、分け隔て無く友人を大切にし寄り添う彼の本質に惹かれるのだ。
「だから、そんな春沖くんの言葉が、安いはずがない! 自己満足なはずがない! たとえ、私達のしたことが朝海くんにとって本当に余計なことで、押しつけがましいことだと思われるのは仕方ないよ。けど、春沖くんの真剣な想いまでは否定してほしくない」
どうしても止められなかった想いを吐き出し終えた凪咲は、拓海の手を取ると、
「行こう、春沖くん」
「えッ? ちょっ、夏花さん……!」
戸惑う拓海の手を引いて、空の家から出て行ってしまった。
しばらく圧倒されて立ち尽くしていた空は、一人になった部屋で二人が出ていった玄関の扉を苦々しい表情で見つめていた。
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