第15話 第三章『pain』 変化

軽快すぎるアラーム音で目覚めて、設定を変え忘れていたことに気づく。

けれども今朝はそんな騒々しい音を不快に感じることもなく、すっきりとした目覚めだった。


登校する足取りも、不思議と軽く感じた。

いつものようにクラスメイトに挨拶をしながら自分の席につく。いつもと変わらぬ教室が、いつもと違って見えるのは、やはり彼との距離に変化があったからだろう。


「おはよ」


教室に入ってきたその彼が、後ろの席から声を掛けてくる。

凪咲は嬉しさと緊張を顔に出さないように努めながら、それでもやはり少しの嬉しさを零しながら振り返った。

「おはよう、朝海くん」

空は微笑み、鞄を机の横に掛けて席につく。手を伸ばせば触れられる距離に彼がいることが、心から嬉しかった。



あのあと、約束の言葉を口にした凪咲に、空は繕った仮面が剥がれたかのように破顔した。

「覚えててくれて、よかったよ」

いつも、その場をやり過ごすような笑みを浮かべていた彼にしては、はっきりと嬉しそうに口許を綻ばせていた。そして、

「頼んだのは俺の方だ。どうするか決めるのはアンタだよ」

凪咲は嬉しそうに微笑んで、「よろしくお願いします」と頷いた。


それから少し話をした。

その中で、空はひとつ大事な約束をしてくれた。

「いますぐに、全てを話すことはしたくない。けど、友達のアンタに黙ってどこかへ逝ったりしないことは、約束する」

そう言ってくれたことはとても嬉しかったけど、それだけでは根本的な部分の解決はしていないこともわかっていた。

昨日、海辺で彼の下した決断を覆すために、これから彼に歩み寄っていくことが私の役目だ。


そしてもうひとつ、変化したものがある。


「今日の一限ってなんだったっけ? 凪咲」


名前で呼ばれて、ドキリと心臓が跳ねる。

友達なんだから名前で呼ぶことにする、と昨日、去り際に空が言った。自分のことも名前で呼んでいいと言われたが、緊張と恥ずかしさでうまく声が出なかったので、凪咲の方はそのままの呼び方でいると決めた。後になってちょっぴり後悔したが、呼ぶ度に緊張で顔を真っ赤にさせるのも恥ずかしいので、いまはこのままでいこうと思った。

「えーとね、今日の一限は、古文だよ」

「ああ、沙由里先生か」

ズキリと胸の奥が痛む。

空が復学した日も、彼は沙由里を名前で呼んでいた。あのときは少し違和感を覚えただけだったけど、二人の関係を知ってからは、やっぱり意識してしまう。


昨日、凪咲は二人の関係については訊くことができなかった。

自分の恋愛と空の未来は関係ないと決意を新たにはしたが、空自信の口から決定的な言葉を告げられたら、その決意が揺らいでしまうかもしれないと思ったからだ。弱くて情けないと思ったけど、凪咲にとって空は、やっぱり特別だったから。


それ以来、前後の席というのも助け舟となって空と他愛ない話をするようになった。

空の周りにはいつも人が集まっていて、特に拓海は休み時間によく声を掛けていた。その中で拓海は一日に一度は必ずバスケ部に戻ってくるよう空を誘っていた。

クラスでトップのイケメン二人がつるんでいれば、自然と人が集まってくるもので、空と二人で話すタイミングを失った凪咲は、背中で彼らの会話に耳を傾けていた。

誰かに聞いた情報だが、もともとクラスだけでなく学校内で人気の拓海は言わずもがなだが、最近では空の隠れファンも増えてきているらしい。

玲夏の言っていたように彼の大人びた雰囲気と、あまり自分の内側に他人を踏み込ませないところが、逆に惹かれるのだというものだから、それ以来背後で女子が空に声を掛けているのを耳にする度に、凪咲は悶々として落ち着かない気分になる。


当然、中にはその方面に積極的な子もいて、そういう女の子達が空に「彼女いるの?」とか、「放課後どっか遊びに行こうよ」とか話しているのを耳にするとドキッとして心臓に悪い。

空本人はてきとうにあしらっていたが、それでもその手の話題は連日繰り広げられていた。

そんな日々にモヤモヤしながらも、空にとっては話す友人が増えたり、居場所があるというのはいいことなのではないかとも思ったので、複雑な気分に煩悶としていた凪咲だった。


そういえば――

凪咲は左薬指を見る。


指輪のことは、なんとなく、聞きそびれてしまった。

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